見出し画像

【人を殺めるとは】 大河ドラマ 「光る君へ」 第7回

人は殺めるな

「卑きもののすること」として、直接手を下すことは決してしない藤原家。でも安倍晴明に命じて呪い殺させるのは、あり毒矢はNGでも毒を盛ることはOK。要は、人を殺す現場を自分が見ていなければOKってことかしら。とはいえお上は、死によって「穢れている」遺体に近づくこともできません。

でも盗人を射殺すのは、狩で雉や猪を殺すのと同じ。人ですらないから、その死は穢れていないということかしら。この無意識の差別の強さたるや。

大丈夫、大丈夫

「殿は大丈夫でございますから」とは、「どうする家康」の築山殿を始めとした家臣団の皆様から何度も聞いたセリフでございますね。但しこちらでは、「蜻蛉日記」の作者が自分の息子を推すために言っています。「蜻蛉日記」もいずれ調べてみなければ。

お前は気が回る。その分、父上にいいように使われてしまう

人の優しさにころっと転がされてしまう道兼がだんだん可哀想になってきました… どんな生い立ちがあって、こんなに愛情に飢えた子に育ってしまったのだろう。どうしていつも、自分は愛されていないと思うようになってしまったのかしら。

打毬(だきゅう)でもやるか

議会的なやつを経ての、打毬

何のことかと思ったら、平安時代のポロでした。ポロは、紀元前6世紀のペルシャを起源とし、その後イギリスに持ち込まれて近代化されたスポーツです。ペルシャから西の欧州へ向かうだけでなく、東へも伝播し、中国、朝鮮を経て日本にももたらされたのです。(wikiさんによれば)

その打毬の試合を、「若い殿方を間近で見られるなんて、滅多にありません」と眺める姫君たち。さながら、運動部の男子らの試合を、フェンス越しに目をハートにして観戦している女子学生の図。

見られている間は満更でも無い男子たちですが、部室に戻ってから脇で観戦していた女子の値踏みをします。そこまでは現代にも通じるけれど、平安時代の男子らにとって「愛だの恋だの」以上に家柄が一番大事。

友人らの色恋沙汰、出世話に関心がない道長は、水を向けられて「ふ?」と聞いてなかった、という反応をするのですが、どうやらまひろは、それを肯定の相槌だと捉えてしまった模様。両者の思いはすれ違ってしまいます。

他にも「日記に書きなさいよ、聞き飽きたから」と言われる頭中将やら、鳥獣戯画やら(平安時代だったんですね!)、初めての原案提供のまひろから、色々詰め放題な回でした。

明日も良い日に。


この記事が参加している募集

テレビドラマ感想文

言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。