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【乗るかそるかとは】 大河ドラマ 「光る君へ」 第19回

あの者が男であったら、登用してみたいと思った

帝を介して、道長とまひろの思いが通じ合った回でした。

コツコツと自分の信じている道を進むことは、時に孤独です。虚しくなることもあるでしょう。それでも、己の中の真実を見出し、その道を進む姿は、きっと誰かが見てくれています。まひろのことも、その父のことも。

誰よりも物知りで、学者として聡明であるにも関わらず、鳴かず飛ばずであった父の背中を、まひろはちゃんと見ているし、そこにリスペクトもある。

自身も、「政のあるべき姿が書かれている」新楽府(シンガフ)を弟から借りて写し、身分の壁を越えることのできる宗の国のような制度を、右大臣と帝に作っていただきたいと願う。

その思いは、父を動かします。父は恐らく生まれて初めて「乗るかそるか」の大胆な願いを出すこととなり、その願いは道長経由で叶えられ、更にこの先に待つ、まひろの今後の内裏仕えにも繋がっていくのです。

高者 未だ必ずしも賢ならず、
下者 未だ必ずしも愚ならず

新楽府

下々が望みを持って学べば、世の中は活気づき、国もまた活気づきましょう。高貴な方々も、政を仇や疎かにはなさらなくなるでしょう

かたやの道長。

異なる道を歩みとうございます

陣の定めで公卿らと共に論じ合い、考える道を選んだ道長は、自身が信用できる人を次々と登用することで足場を固めていきます。

今まで地味ながらもちょいちょい登場していた行形が、ここへきてとっても活かされているのが素敵。彼を通じて女性の多い大奥的な内裏の様子を知ることは、道長にとって大きな意味を持つことになるはずです。

「画鋲ばら撒き」という何とも古典的な嫌がらせを出したのは、「源氏物語」フラグかな。それをものともせずに、裏にいる女御らに堂々と宣戦布告をしている清少納言が素敵。かくありたい。推しがいるってマジで最強。

あれ、女のとこに行ったんじゃないのか。振られたの?男が来ていたとか

こんな月九みあふるる軽ーい台詞からの、長徳の変の始まりを描いて今回は終わり。運命の歯車がゆっくりと回る音が聞こえたような回でした。

明日も良い日に。




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