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山登りとマラソンは瞑想である

タイトルで言いたいことが終わってしまったイシマルです。

それでも敢えて、改めて。

山登りやマラソンは瞑想である。

迷走の間違いやろ、と思ったあなた。イシマルの取扱いの熟練とお見受けする。ありがたし。#謎の微妙な上から目線

だが今言いたいのは、メディテーションの方の瞑想であって、おーまいがおーまいが言いながら地回りくるくるするわたしの方ではない。

足回りの悪い山中を歩くとき、人は足元だけに集中する。

今の一歩をどこに置くか。その一歩が踏めたら、次はどこに足を置くか。

目の前の今だけを考えて、足を運ぶ。

疲れたら、止まる。見上げる。キツイなー、気持ちいいなー、暑いなー、等々感じたり思ったりするけれど、その多くは、今ナウに関係している。

それが瞑想に似ている。

マラソンも然り。

近所のランニングと違い、車や自転車のことを気にしなくてもいいマラソン大会に参加すると、交通規制のある安全な道を、ただただ、足を運び続けることだけを考えればよくなる。

喉が渇いた、足が痛い、歩きたい。それらも全て、今ナウのことであって、明日のことではない。

普段は頭の中がごちゃごちゃしていて、起こりもしない未来を想定していろんなシナリオを考えては打ち消して、瞑想しようとしても迷走ばかりを繰り返してしまう脳味噌が、この2つの場面に関しては、概ね頭をスッキリできる。

他のことを考えていたら怪我をしてしまうからではあるが、そういう場があるのは、脳みそにはご褒美になるように思う。

ダイビングはそれに呼吸を加えた瞑想になる。最近行けていないけれど、他の言葉や音が聞こえない水の中の環境で、ただただ呼吸をする時間は、私にとっての瞑想だったのだ。

次はどこへ瞑想の迷走に行こう。どこかオススメがあれば、教えていただけるとありがたい。

明日も良い日に。



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