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【企業研究】三菱地所


はじめに

当記事では総合デベロッパーの三菱地所の企業研究を行います。

三菱地所は就活生から絶大な人気を誇る企業の1つです。しかし、採用人数は20-30名と三井不動産よりも少ないため、最高クラスの入社難易度を誇ります。したがって、三菱地所の選考を突破して内定を勝ち取るためには、他の学生よりも輝く経験や志望動機をアピールすることが必要になります。

それでは、輝く経験・志望動機とは一体何でしょうか?それは三菱地所が求める性格/価値観/強みを兼ね備えた経験と志望動機を指します。しかし、これらを知るためには三菱地所の歴史を振り返り、当社が何を大切としていて何を強みとしているのか、そして何を今後求めているのかを正しく把握することが必要になります。

そこで、当記事では
◆三菱地所の歴史
◆三菱地所を語る上で欠かせない代表的なエリア/物件とその背景
◆三菱地所の三井不動産と比較した強み(面接での頻出質問)
◆三菱地所の課題と今後の強み

を解説しました。私の二度の就活経験が参考になれば幸いです。

基本情報

会社名:三菱地所株式会社
設立:1937年
採用人数:例年20-30人
選考フロー:ES・適性検査→面接(3回)→内定

創業の歴史

-三菱の起源はなんと海運業!?

出典:http://ktymtskz.my.coocan.jp/denki4/yataro5.htm

三菱の起源は1870年にまで遡ります。三菱の創業者は岩崎弥太郎であり土佐藩出身の人間でした。明治政府の樹立によって廃藩置県が行われ、岩崎弥太郎が務めていた土佐藩の商事部門も撤退を余儀なくされました。その後、同じく土佐藩出身であった板垣退助と後藤象二郎は九十九商会を設立し、その海運事業を商事部門で事業経験が豊富な岩崎弥太郎に譲渡することにしました。この九十九商会こそが三菱財閥の原点になります。

-軍事輸送を担った西南戦争で急成長を果たす

出典:Tactical Media「西南戦争の原因」

1877年に日本で西南戦争が勃発しました。海運業と後藤象二郎の後ろ盾を持つ九十九商会はこの際に軍事物資の輸送を担いました。そのため、三菱は明治政府が軍事物資の調達にかかった資金を富として得ることに成功しました。その利益は明治政府が西南戦争にかけた金額の1/3程度とされ、いかに巨大な額であったのかが分かります。同時に、三菱は政府との関係が強い「政商」としての地位を獲得することになります。

-倒産の危機を迎え、事業を「海」から「陸」へと転換

出典:明治期の丸の内/東京風景(小川一真出版部)より国立国会図書館蔵

西南戦争を機に、三菱の政商としての地位に世間の不満が高まりました。その批判の世論を先導する中心となったのが三井財閥です。三井はこの世論の流れに乗り、海運業を独占していた三菱に対抗するべく共同運輸会社を設立しました。三菱は共同運輸会社の海運事業に対して値下げをすることで競争優位性を築こうとしましたが、共同運輸会社側もそれに対抗したことで徹底的な値下げ合戦が行われることになりました。驚くことに、海運の運輸価格は初期の1/10まで下げられました。結果的に、三菱と三井双方が値下げ競争で疲弊し、三菱は倒産まであと一歩のところまで追い込まれることになりました。そこで、過当競争を止めるべく明治政府が仲介に入り、共同運輸会社と合弁で日本郵船会社が設立されました。

-軍用地であった丸の内を政府から相場の3倍で取得

海運業の独占的地位を失ってしまった三菱は大きく事業方針を転換することにしました。それが「海」から「陸」への転換です。具体的には、当時の主業ではなかった鋼材、金融、造船、不動産事業に舵を切る決断をしました。1885年に創業者の岩崎弥太郎は亡くなり、弟である岩崎弥之助が後を継ぎました。岩崎弥之助は留学を経験しており英語や海外の事業経営に精通している人間でした。彼は三菱の事業の多角化を行い、炭鉱、造船所、不動産へとビジネスを広げていきました。その三菱グループの不動産事業への踏み出しとなったのが幕府跡地、すなわち丸の内の買収です。

江戸時代に存在していた大名屋敷のほとんどは宮城保護のため兵営になりました。その後は練兵場も作られ、丸の内は次第に軍用地化されていきました。しかし、明治の富国強兵政策の下、日本は対内よりも対外に向けた戦争対応に注力するようになり、首都の陸軍も丸の内からより大きな敷地のある赤坂・麻布へと移動していきました。その結果、丸の内は江戸幕府の跡地だけでなく、軍用地としての活気も薄れてしまいました。

その後、明治政府は麻布により大きな軍用地を作るために多額の資金を調達する必要が生まれました。一方で、東京は丸の内を市街地化する都市計画を発表しました。そこで、明治政府はこれを契機と捉え、丸の内を売却して資金を調達することを決定しました。しかし、政府が希望する入札額は東京市の予算の3倍であり、到底入札できるような金額ではありませんでした。そのため、政府は最後の手段として古くから政商としての関わりが深い三菱財閥に入札の依頼をすることになります。そして、当時の三菱財閥のトップの岩崎弥之助は「国家あっての三菱です」という歴史に残る言葉を残し、丸の内を買収を行いました。しかし、岩崎弥之助は国家の頼みだから仕方なくこの土地を買収したわけではありません。しっかりとした土地の活用構想があったのです。その構想とは、丸の内を「ロンドンのようなオフィス街にする」ことでした。

-三菱合資会社より不動産部門が独立し、三菱地所が設立

1937年に三菱合資会社から不動産部門が独立し、新たな会社が設立されました。それが三菱地所になります。この背景には、三菱が組織として事業部制を導入したことが挙げられます。岩崎家がトップダウンで全事業部を支配するよりも、各事業部が独立してそれぞれの収益責任を負った方が組織として活性化されるという欧米寄りの思想があったのです。そして、三菱地所に丸の内の敷地における所有権および営業権が譲られることになりました。

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①新丸の内/丸の内ビルディング(※両ビルは別物)

新丸の内ビルディン/丸の内ビルディングは三菱地所の歴史を語るのに欠かせない物件です。1990年代に入ると、高度経済成長期に建設した物件の老朽化が深刻になりました。一方その頃、品川、新宿、赤坂で街の再開発が加速し、高層ビルが丸の内以外でも増加していきました。そのため、賃料が相対的に高い丸の内の競争力が低下していくことになりました。

当時の丸の内のイメージは完全なオフィス街でした。ビルの一階には金融機関が並び、あくまでも仕事のための街でした。これでは他の再開発地域に負けてしまうと考えた三菱地所は丸の内を単なるオフィス街ではなく、東京の中心、すなわち交流が活発に起こる街にすることを目指し、商業ビルを丸の内に開発することにしました。具体的には、三菱地所の若手社員が中心となり、単なる男性オフィスワーカーではなく、若手女性や家族連れも丸の内に足を運びやすい街づくりをテーマとしました。このような背景で開発されたのが丸の内ビルディングです。現在は丸の内ビルディングは旧・新の2つ存在しており、どちらも商業・オフィス双方の機能を兼ね備え、幅広い年代層が集まるビルになっています。

このように丸の内ビルディングは丸の内開発の命運を分けた物件であり、三菱地所の挑戦の歴史そのものです。したがって、当ビルは三菱地所にとって最重要物件といっても過言ではありません。


②ロックフェラーセンター

ロックフェラーセンターとはアメリカのニューヨークにあるジョン・D・ロックフェラーによって1930年に建設されたビルをはじめとする複合施設のことを指します。三菱地所は1989年にロックフェラーセンターをロックフェラーグループから1200億円で買収しました。当時の日本はバブル経済であり、海外不動産価値が日本よりも相対的に下がったため、三菱地所の海外進出を加速させることが買収の目的でした。しかし、この買収は当時「愚行」とされ大バッシングを浴びることになります。なぜなら、日本のバブル経済が崩壊し大赤字を招いたことで、三菱地所は取得した合計14棟のうち、12棟を売却する形となってしまったからです。けれども、国内不動産市場の縮小が少子高齢化によって生じ、海外展開が求められる現在では、この米国不動産マーケットに進出したことが無駄ではなかったという意見も出ています。だからこそ、三菱地所の失敗および今後の成功のきっかけを語ることになり得るこの物件は非常に重要だと言えます。

③常盤橋タワー

常盤橋タワーは三菱地所が現在進行形で行っている「常盤橋プロジェクト」の竣工物件の1つです。常盤橋プロジェクトとは「日本を明るく、元気にする」というビジョンの下、東京の世界プレゼンス向上を目指した常盤橋タワーとTorch Tower2つの物件を中心とした大規模開発のことを指します。

TOKYO TORCH街区には江戸城に向かう表玄関である常盤橋御門があり、古くから社会的意義を果たしてきました。また、高度経済成長期にも、下水ポンプ・発電所等のインフラ施設を中心とする複合開発が進められ、日本の経済成長を支えてきました。しかし、現在ではインフラ施設および建物が老朽化し、その輝きが失われつつあります。だからこそ、三菱地所にはTOKYO TORCH街区をどのように位置づけるのかが問われました。そこで、三菱地所の出した答えが常盤橋プロジェクトだったのです。

三井不動産と比較した強みとは!?(頻出質問)

街を成長させることに圧倒的な強み

-大規模な土地を所有しているからできる柔軟な街づくり

三菱地所は大規模な丸の内一体の敷地を所有しています。そのため、土地の一部分で開発を行う必要のある三井不動産よりも柔軟に街づくりを設計・実行することができます。だから、三菱地所は街づくりにおいてできることが多く、三井不動産よりも柔軟な街づくりを行うことができます。

-常に視座高く、世界の最先端トレンドを取り入れたコンセプトメイキング

三菱地所の街づくりの特徴は街全体を時代の最先端に追いつくようにアップデートすることです。丸の内一体を取得した際には、ロンドンのオフィス街をロールモデルとしており、近年の常盤橋プロジェクトにおいては米国のシリコンバレーのようなイノベーションが絶えず創出される街づくりを目指しています。したがって、三菱地所の街づくりには時代の最先端を取り入れ、それをロールモデルとして街づくりに反映させる特徴があると言えます。大規模な所有地を持つ三菱地所だからこそ、丸の内一体を自由自在に時代の最先端に合わせるような物件およびインフラの設計・開発ができるのです。

-100年以上にわたり地権者との関係を維持し続ける力

三菱地所は丸の内を100年以上にわたり開発してきました。これはつまり、開発で協力を得る必要がある地権者との関係を100年以上にわたり維持してきたことを意味します。なぜなら、官庁・自治体などの関係者の協力がなければ街づくりを実行することができないからです。人間との関係を深く構築するには相手のニーズを捉える力および相手の信頼を獲得する誠実さが求められます。だからこそ、三菱地所の抱える人材は相手のニーズを見極める洞察力を兼ね備え、誠実さに強みを持つ人が多いと考えられます。面接での重要なアピールポイントはここになります。

会社の課題および今後の戦略(頻出質問)

国内不動産市場の縮小による将来的な別の収益源の確保が必要

今後、国内不動産市場は2つの理由から縮小していくと思われます。1つめは、少子高齢化による生産年齢人口の減少です。現在、日本では少子高齢化の影響で、生産年齢人口が大幅に減少しています。そして、生産年齢人口は消費活動の主体です。したがって、生産年齢人口が減ると消費、すなわち、外出して動き回る人口数も減ることを意味します。2つめは、インターネットの発達による不動産ニーズの低下です。近年、情報技術が発達し、外出を行わずとも商品を注文できるEコマース、オフィスのシェアリング、リモートワークが可能になりました。だから人々は明確な理由もなく外出する必要性がなくなったと言えます。それゆえに、日本の国内不動市場は今後縮小していくと考えられます。

しかし、国内不動産市場は総合デベロッパーの収益の柱であり簡単に手放すことはできません。けれども、現状のビジネスモデルを継続していけば将来的には利益の減少は避けられません。だから、ビジネスモデルを変えて新しい市場を創造していくか、別の市場に変えていくかが至上命題になります。そこで、三菱地所はそれぞれに対して以下のような施策を打ち出しています。

-国内アセット事業のビジネスモデルの転換

新たな取り組みは2つ挙げられます。1つめは、大型テナントの獲得モデルを誘致だけでなく、育成へと広げたことです。三菱地所は従来、丸の内の入居テナントをビルディング営業によって誘致していました。しかし、今後は日本の国内市場が縮小するため、大型テナントを誘致することが難しくなります。そこで、三菱地所はテナントの獲得方法の新たな選択肢として、創業または成長期のベンチャーを将来的なテナントとして育成することを考え出しました。具体的には、ベンチャー企業の資金調達プラットフォームおよび大企業との交流機会を提供し、大企業側にはイノベーション創出機会、ベンチャー企業側には外部パートナーおよび資金調達機会を提供することで、両社が連携・成長を可能にするモデルです。これによって、将来成長したベンチャー企業がテナントになる可能性が高まるだけでなく、イノベーションを求める大企業を丸の内の新規テナントとして誘致できる期待も高まります。2つめは、回転型アセット事業の拡大です。回転型アセット事業とは不動産を市況価格が低い時に取得、高い時に販売を行う、その差分で利益を獲得するビジネスです。つまり、不動産の長期保有による成長というよりは回転率を高めて利益を獲得することを重視していくことを意味しています。

-ノンアセット事業の拡大

三菱地所はICT技術を活用した新規ビジネスの創出を狙っています。具体的には、街からIoTを駆使して収集したデータの販売およびそれを活用した外部パートナーに対するコンサルティング事業の展開を行う方針を打ち出してます。今後はビジネスにおいて生活者のデータの収集・分析力が成功の鍵を握ります。なぜなら、生活者のニーズが分かれば何を提供すれば良いのか、すなわち何をサービスとして作れば良いのかを予測できるようになるからです。従来であれば、サプライチェーンの上流を掌握していれば、安く原料を調達・製造・流通して高いマージンで販売することが可能でした。しかし、それはモノを作れば売れることが前提の戦い方でした。現在では、需要よりも供給の方が勝っているので、消費者のニーズを適切に掴まなければ商品をいくら安く作ったとしても購買行動に繋がりません。だから、生活者のニーズから逆算してサービスを設計することが成功の鍵となるのです。三菱地所は丸の内全体の開発を担うことから多くの生活者データを獲得することができます。そのデータは外部パートナーに対して活用できる場面が多いことから、上記のような販売およびパートナーシップによる新規ビジネスとしての活用可能性を見出すことが可能になります。

-海外市場への進出

三菱地所は現状300億円程度の海外事業利益を2030年までの900億円程度に伸ばす、つまり海外事業の利益を現時点の3倍まで拡大させる方針を打ち出しています。これは国内市場縮小による新たな収益の柱を海外事業に見出していることを意味します。具体的には、米国・アジアを注力市場としています。

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