見出し画像

【企業研究】三井不動産


はじめに

当記事では総合デベロッパーの三井不動産の企業研究を行います。

知名度、年収、勤務地に恵まれる三井不動産は就活生から絶大な人気を誇る超人気企業です。しかし、採用人数が30-40名と非常に少なく、内定を獲得するには倍率100倍を超える選考を勝ち抜く必要があります。だから、どの就活生よりも輝く過去の経験だけでなく、確固たる志望動機を持っていなくてはなりません。しかしながら、良い志望動機を作るためには企業の仕事・歴史・強み・今後の戦略を理解すること、すなわち”企業研究”が絶対条件になります。なぜなら、これらの理解なしに、志望動機の本質である”自分のやりたいことがなぜ企業で達成できるのか、そして自分の強みがなぜ/どのように活かせるのか”を相手に納得感を持って伝えることができないからです。

また、三井不動産は3月開始の本選考で、ESを高評価で通過した学生限定特別座談会=優遇が特典としてもらえます。この特別座談会で評価をされると6/1開始の本選考をいきなり最終面接からスタートすることができます。このESを高評価で通過するためには”人事が納得する志望動機”に加えて”三井不動産に将来活かせる強みが学生時代の経験から読み取れること”が必要な条件になります。しかし、企業研究を行えば”三井不動産が欲しがる能力”が明確に理解できるため、それを逆算しながらESを作成することができ、優遇を貰える可能性を格段に高めることができます。

そこで、当記事では読者の皆様が良いES・志望動機を用意できるように、
◆三井不動産の歴史
◆三井不動産の最重要開発エリア/物件とその背景
◆三菱地所と比較した三井不動産の強み
◆現状の課題と今後の戦略

を中心に解説しました。私の二度の就活経験が参考になれば幸いです。

基本情報

会社名:三井不動産株式会社
設立年:1941年
採用人数:例年30-40名程度
選考フロー:ES・適性検査→面接(3回)→内定

創業の歴史

-三井のルーツは呉服店

出典:https://wako226.exblog.jp/16131005/

三井の起源は江戸時代にまで遡ります。創業者は伊勢商人の三井高利であり、身分は武士でした。三井高利は後に武士を廃業し、酒と味噌類を取り扱う質屋と呉服店を創業しました。この呉服店が後の「三越」であり、三井発展のきっかけになります。

江戸時代の呉服店の商売方法は「掛け売り」が基本でした。掛け売りとは、まず商品を相手に渡し、その数か月後に代金を掛け金を上乗せして払う方式です。この方法を取れば顧客は手元に呉服を購入できるだけの現金がなかったとしても代金を支払うことができます。三井高利はこの掛け売り方式から転換した方法で呉服を販売することにしました。その方法とは呉服を現金で店頭売買することです。現代でいう八百屋の現金払いのようなものです。掛け売りでなく店頭販売を行う大きなメリットは事業の資本回転率を大幅に向上させられることです。資本回転率が向上すればその分呉服の販売サイクルが速くなり収益を上げることができます。三井高利は呉服の掛け金を削減し、呉服を定価で販売することで顧客の獲得に成功しました。このような形で三井は発展の第一歩を踏み出しました。

-三井合名会社の不動産部門が独立して三井不動産が設立

出典:https://www.mitsuitower.jp/mitsuimainbuilding90th/about/

1941年に三井合名会社(当時の三井グループのホールディングス)の不動産管理部門が独立し、三井不動産が誕生します。これが三井不動産の起源になります。

-日本初の高層ビルの竣工に成功

出典:https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1804/25/news014.html

三井不動産は日本の高度経済成長を支えるために、臨海地の埋立事業に取り組みます。この埋立事業はコンビナートおよび企業団地の形成に大きく寄与することになりました。三井不動産はこの事業での成功を機に、デベロッパーとしての道を歩み始めます。その後、1968年に三井不動産の歴史を刻むような挑戦が行われました。それは「霞が関ビルディング」の竣工です。竣工前の1950年代の東京は急速な経済発展のため、公害問題の増加および緑地の減少が大きな課題になっていました。そこで、三井不動産はこれらの課題を解決すべく「大都市における人間性の回復」というテーマで日本初の超高層ビルディングの開発に挑戦しました。

-総合デベロッパーの道へ

出典:https://www.31sumai.com/theme/tower.html

1970年代になると日本の人口が増加し、住宅・別荘に対するニーズが高まり、三井不動産は中高層および戸建て住宅の開発・販売事業に進出しました。これを機に、三井不動産はビルの開発から住宅・別荘の開発・販売を行う総合デベロッパーとしての地位を確立していくことになります。

【背景も徹底解説】面接に向けて絶対に知るべき代表的な開発地域/物件5選

①55ハドソンヤード

55ハドソンヤードは三井不動産のグローバルポートフォリオにおける旗艦物件として位置づけられています。つまり、三井不動産の今後の海外展開の命運を分けるような物件がこの55ハドソンヤードなのです。三井不動産は国内市場の縮小によって、事業ポートフォリオの大きな転換を求められています。そして、次なるポートフォリオの収益の柱を担うのが海外不動産事業としています。しかし、ローカル性が高い不動産事業は海外進出が難しく、過去の成功事例や現場ノウハウが必要になります。だから、三井不動産は早期から海外プロジェクトの成功およびそのノウハウを蓄えることが必要になります。55ハドソンヤードはこのような三井不動産の海外戦略における最初の大型高層ビルになります。したがって、当ビルは今後の三井不動産の海外における旗艦物件と言うことができ、当社の今後の戦略を語る上で外すことができません。

②柏の葉スマートシティ

出典:https://mainichi.jp/articles/20200729/pls/00m/020/261000c

柏の葉スマートシティは三井不動産の先進的な取り組みを世界レベルで伝える街となっています。柏の葉の歴史は江戸時代にまで遡ります。従来、柏の葉の周辺台地は古来馬の産地であり、幕府直轄の放牧場として利用されていました。しかし、この放牧場は明治維新を経ると、政府によって廃止されてしまいました。朝鮮戦争が終わると、放牧地帯から通常の生活地帯になった柏の葉周辺地域にアメリカ軍事基地が設定されました。その後、アメリカの空軍基地があった地域が全面返還されることになり、柏の葉は新しい街として再出発をすることになりました。そこで、柏市は273haの区画整理事業を都市計画として発表しました。そこで、三井不動産は柏市と協力をしながら、柏の葉の再生を行うことを決定しました。三井不動産は柏の葉において「環境共生」、「健康長寿」、「新産業創造」をテーマとした開発を打ち出しました。これは、現在日本が少子高齢化や経済規模の縮小など課題先進国となっており、それを課題できるような「世界の未来像」を創ることを目指しているからです。だから、柏の葉スマートシティは三井不動産の長期的な成長を見据えた取り組みであり、当社を知る上では欠かせないものになっています。

③日本橋

出典:https://www.mitsuifudosan.co.jp/corporate/news/2019/0829_02/

日本橋は三井不動産の「面開発」の注力エリアです。

日本橋は江戸時代の五街道の起点であり、経済活動の中心地でした。しかし、1990年代のバブル経済の崩壊と共に、その賑わいが著しく失われてしまいました。けれども、賑わいを失ってしまった原因はあくまでも生活者の行動様態が変化しただけであり、日本橋が持つ地理的優位性や商業地としてのポテンシャルが消えたことではありません。加えて、日本橋の賑わいが戻れば東京の経済活動が活性化され、全国にその影響が普及していく可能性も大いにあります。官庁や民間企業も同様の考えを持っていました。だから、三井不動産は「日本橋を昔のような賑わいのある街へと再生する」というスローガンを掲げ、日本橋再生計画を実行することにしたのです。

三井不動産が日本橋に対して行う街づくり手法はミクストユースでした。日本橋は従来、オフィス街の中心地として賑わいを確立していましたが、現在ではその中心は丸の内エリアに移動しており、ビルを中心とした開発では活気を取り戻すのに不十分であると考えたためです。だから三井不動産は商業施設・多目的ホール・住宅などのミクストユースをテーマとした街づくりを行い、日本橋の活気を取り戻す戦略を取ることにしました。現在、日本橋の再生計画は最終局面を迎え、水辺の再生、産業の創出インフラの作成、国際競争力を高めることをテーマとした街づくりを進めています。

④東京日比谷ミッドタウン

日比谷には日本の近代化を担った歴史があります。例えば、諸外国の外交官をもてなす「鹿鳴館」、東洋でも随一とされた「帝国ホテル」がその代表例として挙げられます。また、日比谷は三井不動産が古くから開発を担っていた地域でもありました。そして、昭和に入ると、劇場などのエンターテイメントの中心地としても日比谷は発展していきました。だからこそ、日比谷は日本だけでなく三井不動産にとっても重要な地域でした。しかし、建物の老朽化によって街の賑わいが落ち込み始めました。日本政府もこの問題に対しては大きな懸念をしており、内閣府は日比谷を東京圏で初の国家戦略特区として指定しました。そこで、三井不動産は「日比谷を再生し、新たな価値を日比谷に創造する」というスローガンの下、東京日比谷ミッドタウンプロジェクトの計画・実行を行いました。

⑤霞が関ビルディング

霞が関ビルディングは日本最初の高層ビルディングであり、三井不動産の挑戦の歴史そのものです。1960年代に日本は高度経済成長期を迎えたことで、都市開発も大規模に行われました。しかし、国土の狭い日本は土地の不足を懸念し、土地の有効活用が求められました。したがって、日本が経済成長を行う上でビルの高層化は必要命題になりました。そこで、三井不動産はゼネコンである鹿島建設と協力し、日本初の取り組みである高層ビルディングの開発に踏み切ることを決定し、見事プロジェクトを成功させました。その後、霞が関駅の利用客は2倍以上になっただけでなく、霞が関と大手町の駅が結ばれるなど、交通インフラの発達にも貢献しました。だからこそ、このように日本および三井不動産の成長の歴史の礎を担ったと言える霞が関ビルディングは当社を語る上で必ず外せない物件になります。

三菱地所と比較した強みとは!?(頻出質問)

-三菱地所の強みである「面の拡大」ではなく「面の創出」に強みを持つ

三井不動産は三菱地所とは異なり、大規模な土地を「面」で所有していません。だから、三井不動産は土地を取得・開発し、面を新たに創出・拡大する必要がありました。しかし、政府の払下げを落札した三菱地所のようなケースでなければ、土地を面単位で一括で取得することは土地の利害関係者全員の説得・協力を求める必要があるため不可能と言っても過言ではありません。だから、三井不動産は開発した面=街を三菱地所のように自由な形で広げることができません。そのため、三井不動産は面を一点に創出するのではなく、様々な拠点から生み出すことが求められました。つまり、三井不動産は三菱地所のように一か所の大規模な面を広げるのではなく、小規模でも多くの面を創出してそこから収益を得る必要があり、面の創出に特化した戦略を取る必要があったのです。だからこそ、三井不動産はこのような面を創出するような街づくりに強みを持ち、三菱地所と差別化を図る要因になっているのです。

多くの関係者を巻き込むコンセプトメイキング

三井不動産は三菱地所のように自社所有地から拡大していくような街づくりを行うことができません。だから新たに土地を取得して街=面を創出する必要がありました。しかし、新たに土地を取得することは簡単なことではありません。なぜなら、土地の関係者は開発によって既得権益が失われたり、その土地を離れなくてはならない可能性があるからです。だから、土地の関係者、特に国から賛同を得られるような街づくりのコンセプトを創ることが大切になるのです。三井不動産はこのような三菱地所とは不利な開発環境の下で、何度も魅力あるコンセプトを作り、紆余曲折を経ながら数多くの街づくりプロジェクトを成功させてきました。

新開拓地で0からテナントを獲得するビルディングの営業力

デベロッパーの仕事は物件を設計・開発・配置するだけでなく、街に人を呼ぶことも必要になります。特に、既存地域から面を拡大するのではなく新たな土地で面を創出する三井不動産は全く接点のない土地から入居テナントを獲得する営業力が求められました。そして、古くから三井不動産は既存のビルの入居率が100%に近い水準を常に保ち続けています。だから、三井不動産はビルディングの営業力に強みを持ってると言えます。

会社の課題および今後の戦略とは!?(頻出質問)

将来的な国内不動産市場の縮小によって、別の収益源の確保が必要

今後、国内不動産市場は2つの理由から縮小していくと思われます。1つめは、少子高齢化による生産年齢人口の減少です。現在、日本では少子高齢化の影響で、生産年齢人口が大幅に減少しています。そして、生産年齢人口は消費活動の主体です。したがって、生産年齢人口が減ると消費、すなわち、外出して動き回る人口数も減ることを意味します。2つめは、インターネットの発達による不動産ニーズの低下です。近年、情報技術が発達し、外出を行わずとも商品を注文できるEコマース、オフィスのシェアリング、リモートワークが可能になりました。だから人々は明確な理由もなく外出する必要性がなくなったと言えます。それゆえに、日本の国内不動市場は今後縮小していくと考えられます。しかし、国内不動産市場は総合デベロッパーの収益の柱であり簡単に手放すことはできません。けれども、現状のビジネスモデルを継続していけば将来的には利益の減少は避けられません。だから、ビジネスモデルを変えて新しい市場を創造していくか、別の市場に変えていくかが至上命題になります。そこで、三井不動産はそれぞれに対して以下のような施策を打ち出しています。

①ICTを活用したビジネスモデルの転換

三井不動産はICT技術の活用による不動産収益の確保を目指す方針を打ち出しています。その具体的な方法は3つあります。1つめは、既存物件に対してICT技術を応用することです。例えば、&mallにおけるEコマースが例として挙げられます。2つめは、ICT技術を活用して新しいビジネス市場を築くことです。これは、ワークスタイリングが例として挙げられます。ワークスタイリングは三井不動産が有するシェアリングワークスペースであり、ICT技術を活用して、物件の空室率をリアルタイムで可視化して、シェアリングを行うことを可能にします。3つめは、ICT技術を今後開発する街の中で活用することです。具体的には、オフィス・商業・住宅内にIoT設備を主軸とするデータ集積ツールを配置し、そのデータを収集・蓄積・分析を行い、第三者に販売または共同でプロジェクトを行うことです。

②海外市場への進出

三井不動産は海外進出に大きな経営資源を投下しようとしています。現状、三井不動産全体の利益における海外比率は10%程度しかありません。しかし、中期経営計画2025ではその比率を30%近くまで引き上げる方針を出しています。三井不動産は世界トップの消費大国の米国だけでなく、今後成長が見込まれるアジア新興国を注力地域として、オフィス・商業・住宅を中心として開発していくことで利益の確保を狙っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?