儒教・六教「楽」

四書五経という言葉を聞いたことがあると思います。
中国の国教的な儒教の啓典のような存在といっていいかもしれません。

しかし、その昔、五経は六教だったそうだ。
つまり1つ減らされたのだ。
減らしたのは焚書坑儒をして儒教を抑え込んだ秦の始皇帝である。

では、なぜ減らしたのか。

まずは六教の性質から。
六教は基本、人智を超えたもの(鬼、神、先祖、精霊etc…)と繋がるための方法である。
それが「礼」であり、「楽」「御」「射」「数」「書」となる。
中でも特に「礼」が陣地を超えたものとつながるためのもので君主の必須教養とされた。

減らされた「楽」

六教から五経になる過程で消されたのは「楽」であった。
「楽」は六教の中で2番目である。

ではなぜ最上位の「礼」ではなく「学」は消されてしまったのでしょうか

①「礼」は庶民は使わない
前述の通り、「礼」は君子の必須教養であって、占いなどをする必要のない庶民には必要のないものだった。
なので「礼」を消す意味はなかった。

②対象が無限大
六教は基本的に人智を超えたものとつながるためのものだ。
しかし、その中で一気に大衆を扇動してしまうものがある。
それが「楽」だ。
その中で「楽」とは、文字通り神を楽しませるものである。
神を楽しませながら、民衆をも楽しませてしまうのが音楽なのである。

娯楽の無かった時代における「音楽の効果」は絶大だったであろう。

しかも曲調によって、あらゆる方向に扇動することができる。

③行為者も無限大
「礼」が君主に限られているのに対して、「楽」は誰にでもできるものである。
歌うこと、楽器を弾くこと、手拍子、なんでも「楽」なのである。

これらの理由により、秦の始皇帝は「楽」を消して、五経としたのである。

「楽」を味わう

昨日、目の前(1〜3m圏内)で素敵な演奏を聴きました。
バイオリン、ギターと二胡のコラボ。
特に二胡に関しては知ってはいたのですが、初めて音色を聴きました。
優しい音でしたね。

バイオリンも同時に2つくらいの音が出てるように感じました。
奏者に聴いたら4本弦があるから出せるよ〜とのことでした。

昨日は昔ながらの歌を演奏していただきました。
素敵な音色に聞き入りました。

ここに太鼓やシンバルが加わってピッチが上がって行進曲のようになると本当に扇動して軍を作れてしまうんではないか?と思ってしまいます。

そして、昨日演奏を聴いたあと、知り合いの訃報を聞きました。
衝撃的すぎてどうにもなりませんでした。

そんなときに聴いたのが二胡の音色でした。
その優しい音色に私自身が癒されると共に、亡くなられた方の「鎮魂」にもなるのではないか?という感じがしました。

日本の伝統芸能

改めてですが、能楽や猿楽と言った日本の伝統芸能にも「楽」の文字が入っています。
有名な「敦盛」などは平敦盛の霊と繋がって、敦盛の鎮魂をおこなうものですね。
そして、見ている大衆も楽しむ。

「鎮魂」と「大衆を楽しませてしまう」という『楽』。
本当にすごいものだなぁと思いました。

人生楽しく生きたいですし、他人も楽しませる。
そういう人になりたいものです。

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