【生成AI界隈の話】どうせ慣れるんだろうけど、慣れるまでのモヤモヤした"違和感"を大切にしておきたい。

一昨日ロードバイクの草レース的なイベント"ブルベ"に参加してきました。ブルベとはなんぞやという詳しい話はさておき、一言でいうと「ロングライド」イベントで、一昨日は約24時間かけて400kmを回してきました(ネジぶっ飛んでるとか言わないで〜)。

トレランの100kmや100マイルなんかのウルトラトレイル然り、今回のブルベ400km然り、やってる最中はフィジカルはもちろんフル稼働なんですが、頭のほうはぶっちゃけ大したことは考えてなくて、リソース的には「暇」なんですよね。

大半はくだらないこと(疲れた、腹減った、ラーメン食べたい、ビール飲みたい、ケツ痛い、終わったら何しよう、ていうか眠い、等)が頭の中をぐるぐるしてますが、ごく稀に、ちょっとマシなことというか、哲学的というか、「あ、メモっておきたい」という感じのものが出てきます。

今回のブルベの最中は、タイトルのテーマ(生成AI界隈)がふと浮かんできました。

この、エンデュランス系スポーツの最中に時折出てくる感情は、自分にとって「大切にしておきたい感情」であることが多くて、本当はその場で思考を深めてもっと感情を深掘りしたいのですが、いかんせんそれだと事故るのでw、単語をメモる程度に留まります。(感情ってほんと"秒"で忘れるから儚い…)

ちなみに今回の「生成AI界隈」に関しては別にいまさら深掘りする気はありません。だって、遅かれ早かれどうせ波に飲み込まれるからw

僕はデジタルとかテクノロジー界隈が比較的好きなので、飲み込まれることに対してはウェルカムだし、そもそも今回は抗えない波なので、自ら波に飛び込んでいく所存ですが、でも何かこう「人間の矜持」みたいなところは、イチイチ出てきちゃんですよね。

最近だと、テキストAIに加えて、画像生成AIが隆盛してますが(最近は動画も流行ってきたね)、あの、AIが一瞬で生成してくれる画像(動画)、どう思います?

いや、マジですごいですよね。なんだか人類を一足飛びで凌駕してきたな、と。もうちょい段階踏めよコノヤローwと思うけど、すごいのは本当にすごい。

でも。

なんかまだ馴染めないんですよねw

正直気持ち悪い。

いや、たまたま僕が見てる画がそういう部類のものであって、プロンプト次第でいかようにでもなるんだろうなとも思っているけど、一旦の感情としては「気持ち悪い」です。

良くも悪くも、なんか、良く出来すぎている。

テキストも然り。やっぱりまだ不自然。不自然ていうより面白くはない。

ギミックとか言葉の綾とか、話の展開を思いもしない方向に開いてそれをちゃんと閉じるとか、その辺りはまだ"人間様"に分があるのかなと、物書きの端くれとして思っていたりします。(あ、物書きとか言っちゃった〜♪)

あ、書きながら今、このポストのいい締めが思いつきました。

僕が生成AIが作り出すアウトプットに対して「なんだか気持ち悪い」と感じる理由が、すぐ前に書いたように「良くも悪くも、なんか、良く出来すぎている。」でした。

一方、生身の人間が作り出すアウトプットは「完璧じゃない」んです。

テキストでいえば、誤字脱字もあれば文脈崩壊もあるw。画像(動画)でいっても"人間らしいミス"なんてたくさんあると思う。それがあえての"バッファ"だったりもする。

日本の"侘び寂び"もイメージに近しい。完璧じゃない状態をあえての美とする。

でも、きっとこれだよ。人間を人間たらしめるもの。人間として大事にしておきたいもの。

それが意図されたものかそうでないかは別として、「間違い」や「ミス」や「失敗」。ちょっと意味合いは異なるけど、「余白」や「バッファ」。

なんかもうちょいうまいワードもありそうですが、この辺りを生成AI全盛時代を前にして、「人間の矜持」として持っておいていいのではないだろうか。

人間としてのプライドが「間違い」「ミス」「失敗」とか、なんだかネガティブ寄りだけど、完璧すぎる生成AIと比較すると、なんだかこれらは愛おしくさえ思えてくる。

人間の皆よ、僕らは失敗してなんぼだ。

(まぁでも、矜持とかいって、そのうち「生成AIの完璧すぎる違和感」にも慣れてしまうだろうな。あー儚い。一瞬でもこういう矜持をもったというログを、ここに刻んでおくw)


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