見出し画像

【Shake it off. vol.057】 “人”として喋るから伝わること、そして届くこと

最近自分の年代と話すことが減っていた。元々年上の人と仕事をすることも、仲良くなることも多かった私はたくさんのことを彼ら彼女らから学んでいたけど、パンデミックがきっかけで家に居ながら世界中の様々なバッググラウンドを持つ人々と以前より接するようになって、自分より年上或いは年下の方々と会話することがグンと増えた。(その中に私の年代がグンと少ないのは何故だろう、そこも深いものがある気がするけれどその辺りについてはまた今度触れようと思う)本当に面白い時代に生きているなーと有難く感じている。(そして感謝している)

この週末も興味深いオンラインイベントがあり土曜の10時から参加した。(起きたのが9時半だったことに声を出して驚いたが一瞬で身支度を整えpcの前に座れば、これまた一瞬にして様々な人たちと繋がれるんだから、私はもっと現代の発展に感謝しなければならない)

今回のテーマは大きく言うと、“あなたはファクトを偏りなく見れているか?”良しとされること悪とされることどちらにも表と裏の両面があり、それを分かった上で考えられているか?物事を捉えられているか?そして自分の言葉を持てているか?という問いをある本を軸に講師が話し、それを元に小さいコミュニティーでディスカスすると言う時間だったのだが、私はこの“小さいコミュニティーでディスカスする”ことの重要性を改めて感じたし、普段生活していたら出会えない方々と接点を持ち、一つのテーマについてディスカッションすることに多くの価値があると思っている。しかも今回私が一緒になったメンバーは高校2年生と中学1年生の女の子だったから尚更のことだった。だって普通に生活していたら出会えても話すことはなかった年代だったから。




pcの画面越しでも伝わるもの


自己紹介を簡単に済ませテーマについて1人づつ話し始めるのだが、ビックリするくらい自分の意見をしっかりと持っていて、堂々と発言をしていた2人のその姿勢に30歳の私が感化された。自分がこの年代の頃、大人とこんなに堂々と意見を交わした経験もなければ、あったとしても自分の言葉を持ち合わせていなかっただろうな、と振り返ってみたりした。そして真剣な眼差しで私の話を聴き、聴きながら必死でメモを取るあの姿は、いろんなものを奮い立たされたような感覚になった。凄まじい吸収力が彼女たちにあり、それでいてパワーが漲っている様子が画面越しにも伝わってくるのだ。そうか、対面が以前より叶わなくなった今、人からのパワーというものも受けにくくなっていた気でいたけどそれは大きく間違ていたみたい。pcの画面越しからも人のパワーや気というものはバシバシ伝わってくる。




私が1番感化されたこと


大人でも難しい話題で結構なディスカスになるような話だったが、私たちの時間はとっても平和的で温かい空気感に包まれていたのが印象的だった。きっとそこには大きく“あなたを受け入れ、そして尊重します”という誰がルールに挙げたわけでもないけど、みんなに備わっていたからこそ話せたに違いない。これ文字で書くことは簡単だが、実際に行うことってとってもとっても難しい。現にテレビをつければ大の大人が国会で見るに堪え難い言いあいをし、ニュースを見ればまた誹謗中傷のことが話題に上り、ネットを開けば目を疑う言葉が飛び交い会ったこともないであろう人を無差別で傷つけている。そんな世の中にもこうして平和的で温かい空気感に包まれて話せる場があり、それを13歳や17歳の彼女たちと作り上げられたことに私は1番感化された。そんな2人に大きく共通していることがあった。それがこれだ。

日本以外のカルチャーに触れていること
日本語以外からの情報を常に入れていること




人として出た言葉に、人は心が動くんだ


彼女たちはそれぞれ多文化に触れ、また多くの外国人との対話を生活に取り入れていた。1人は幼少期にアジア2カ国で9年間生活をしていたと言い、もう1人も幼い頃から語学に触れ毎日オンラインで外国人とカルチャーの違いについて等トークしていると言った。私もこの2つってかなり重要なことだと思っていて、やっぱりどう考えても日本語だけでの情報だけでは少なく、そして偏る気がしてならない。だからできるだけ他の言語からの情報も取り入れて、日本のニュースをあえて英語で読んだりしてみている。(これが結構面白いし、外側から見た日本ってこんな感じなのか!と得られるものが多いのでオススメしたい!)そう考えると、まずは英語をツールとしてしっかり使えることが益々デフォルトになるし、そこからより多くの情報に触れて自ら精査し、意見をしっかり持つこと。その先の人としての言葉を持ち、アウトプットしていくこと、ここまでがデフォルトになっていくんだと実感しながら私はそんな世界素敵だ!とワクワクした。

そんな2人が述べる意見は私の心を揺さぶり、そしてまっすぐ届いてきた。それが何故かというと誰かの言葉を真似たわけじゃなく、それでいて何か役割を背負って(〇〇の誰それという〇〇にそれが当たる)“私個人としては違う意見を持つけど、〇〇としてはしょうがないからこう思います”などと言ったじゃあ結局その言葉あなたの言葉ではないよね?本心じゃないよね?ってものとまるで違ったからだ。そう、ここが私も意識して言葉を述べたいと思っている部分、本心からの人としての言葉で喋るということだ。何故意識したかって?余りにも組織や会社としては〜ほにゃらら〜といった言葉で述べられる言葉を多く耳にしすぎて、何にも届いてこないなーとイライラしていたからだ。

お喋りできた彼女たちからの学びをしっかり胸に刻んで、まずは私から!人として喋り、言葉を表現し届けるんだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?