私とハロプロの話 3 握手会に行きたい

ハロプロにハマってからの毎日はワクワクと幸せの連続だった。

当時は各グループにこれといった推しメンがおらず、全員が大好きだった。

そのため、毎日誰かしらのブログが更新されるたびに嬉しくて食い入るように読み、載せられている写真を見てかわいいなあと思い、誰かしらの誕生日が来るたびにケーキを買って全力でお祝いした。
ハロプロを好きになってからあらゆるお店でケーキを買うようになったので、地元のケーキ屋さんにちょっと詳しくなった。

毎日必ず何かしらのコンテンツが更新され、大好きなメンバーたちの新しい情報を知ることができるため毎日を生きるのが格段に楽しくなった。

ライブや握手会などにはまだ行く勇気はなかったが、そのうち行ってみたいなあと思っていた。

そんなある日、とあるグループのメンバーの1人が子宮内膜症であることを公表した。

Juice=Juiceの金澤朋子ちゃんという女の子だった。
当時20歳。グループのサブリーダーを担当していた。

20歳という若さで子宮内膜症になってしまったことも勿論のこと、男性ファンが特に多いこの界隈でこの症状を公表することはとても勇気のいることだったのではと思う。(本人も、公表するかしまいかすごく悩んだと話していた)

彼女の体調がとても心配だった。
これからどんな気持ちで過ごし、どのように活動していくのか考えると胸が痛んだ。

子宮内膜症であることを公表した日の彼女のブログにコメントをしようと思ったが、どんな言葉をかけるのが適切かわからず、打っては消してを繰り返し結局コメントすることはできなかった。

またその直後、Juice=Juiceが全国を回って握手会を行なっている最中であることを知った。
しかも2日後に、当時住んでいた仙台での開催も予定されていることが分かった。
絶対に行きたい、Juice=Juiceに会いたいと思った。

これを機に初の握手会に行ってみようと思ったが、いかんせん2日後の話である。
当時販売員として働いていた私は既に仕事が入っており、代われる者もおらず泣く泣く諦めることとなった。

仙台での握手会の当日は、朝からソワソワしていた。
職場の近くにメンバーたちが来るのに会えない悔しさ。
会って少しでも前向きな言葉をかけられればよかったのになあと思った。

しかし私は社会人である。
Juice=Juiceのみんなが頑張って仕事をしているのだから、私も仕事を頑張ろうと思った。

握手会は夜から行われた。
その時間は売り場に1人で立っていた。
よりによってすごく暇な日だったので

「こんなに暇ならもうお店閉めて握手会行きたかったな…」

と悶々としていた。

そんなことを思いながら売り場に立ち、閉店時間が来るのを待った。

そんな時に、ちょっとした奇跡が起こった。

続く

関係ないけどGWは意外と忙しい。更新がどうしても遅くなってしまう。明日からはもっと早い時間に書いて余裕を持っていきたい。

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