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カオリちゃん

夢を見た。
人生で何度も引越しを経験している私がいちばん初めに住んだおうちにいる夢。

私が見る夢はいつも丁寧に色がついていて匂いも温度も感じられて登場人物の感情も視覚化されているから目覚めたあともその頃に心がタイムスリップしたままの状態がしばらく続く。

だから今日は幼少期の自分の遠い記憶をひっぱり出してみる。


札幌にある3、4階建てくらいのアパートで私の家族は2階の部屋に住んでいたような。
祖父母のお寺とうどんみたいに麺の太い「美味しくない」と我が家で有名な古いラーメン屋さんが近くにある。

なんならことあるごとに夕方くらいにそのラーメン屋さん沿いの歩道を父に肩車してもらいながら「よっちゃんは神の子だから」と言われるという夢を何度も見る。肩車をたくさんしてもらった覚えもないのに。私の父は僧侶だから言うとしたら神より仏なのに。

まあそれはちょっと置いといて、
そのアパートにはバルコニーがあって模様が可愛くて母のお気に入りポイントだった。
よくそこでしゃぼん玉をした。
初めてやったときにやり方がわからなくてしゃぼん液を吹かずに吸って飲んでお昼ご飯ごと吐いた。

バルコニーに繋がるリビングのカーテンは淡いブルー。焦げ茶っぽいずっしりとした食器棚と当時地デジ化がまだでブラウン管だったテレビが乗せられたシルバーのラックの間にローテーブルとカーテンに色味がよく似たソファが配置されていた。

食器棚がある壁のうしろの部屋が私と3つ離れた兄の2人の子供部屋だった。
ミニカーとかDSとかレゴとかシールとかおままごとセットとかポケモンのぬいぐるみとか私たちの大好きなものがぎゅうぎゅうづめにされていて秘密基地みたいだった。
思えばそれが私のルーツで今この記事を綴っている部屋を見渡しても似た雰囲気を感じる。
2人ともA型だけど兄の勉強机はいつも散らかっていて私のは綺麗だった。私のテリトリーにたまに侵攻してきた。頼まれてもないのに彼の机上を幾度も整えた記憶もある。

狭いその部屋に合わないやたら大きな2段ベッドが勉強机の後ろにあった。
上が兄で下が私。
お経みたいになっちゃって読み聞かせが下手くそな父が何回かハンバーグのお話を寝る前にしてくれた気がする。まあやっぱり下手くそだからなんにも内容は覚えていない。

カウンターのあるキッチン、その隣に狭めの浴室。お風呂上がりにリビングでテレビを見ている父の前に座ってタオルドライをしてもらった。
力があってすぐ乾くから「お父さんドライヤー」って母と兄とで呼んでいた気がする。

両親がケンカした日の夜の洗面所、翌日には仲直りしてほしくて兄と2人で涙に見せかけた水を目元につけ合って寝室に行った思い出は鮮明に覚えている。

きっと幼いながらにしんどいこともたくさんあっただろうけれど記憶は遠ざかるほど美化されるもので、そのアパートの色はやわらかなオレンジ色の陽だまりでしかない。



上だか下の階にカオリちゃんという女の子が住んでいた。私の人生において唯一幼なじみと呼べる子。
つやつやの黒い短い髪でぱっつん前髪で口の悪い私の祖母に「こけしちゃん」って呼ばれていた。
何をして遊んだか、あまり覚えていないけれどお互いの家を行き来した。

カオリちゃんがうちに来る時はだいたい祖父母の大きなお寺に行ってふかふかのひとりがけのソファで飛び跳ねていた。1度だけ落っこちて泣いていた気がする。きっと私もカオリちゃんも小さかったから実際より広く感じただろうな。
私がカオリちゃんのおうちに行ったときはおやつを食べながら映画を2本くらい観た気がする。同じアパートだから造りが同じなのに匂いも家具も違って変な感じがした。カオリちゃんのお母さんはたしか黒縁のメガネをしていてシンプルなお洋服が良く似合うボーイッシュな人だった。

急にカオリちゃん一家がお引っ越しすることになって離れるときに私にプレゼントをくれた。
紅水晶、片仮名だとローズクォーツでできたちいさなちいさなサイコロ。
なぜサイコロなのかもよく分からなかったけどもピンク色が可愛くてとても綺麗なことは幼い私にもわかって、おまもりみたいで、「あのサイコロどこにやったっけ」となることもなくそれから十何年の間いつも目に入る場所に置いて過ごした。
小中学生までは勉強机の引き出しのお気に入りのものたちを貯めるスペースに、高校からは色鉛筆の前に置いた砂時計や地球儀の隣に。
上京してひとり暮らしを東京で始めて勉強机を変えてからは花の隣に。
そして就職してまた住む街もおうちも変えた今もピンクの小物とグルーピングして飾っている。

今彼女は何をしているんだろうか。成人はしたかな。綺麗な黒髪は好きな色に染めたりしたんだろうか。何が趣味でどんな音楽を聴くのだろう。恋はしたのだろうか。まずどこに住んでいるんだろう。幸せでいるのだろうか。

当時彼女のことが大好きだったかどうかもわからない。ただ私の幼少期にはなくてはならない存在だったことは確かで、その大切であろう思い出が、彼女の顔が、歳を重ねる度に朧げになっていくのがさみしい。
彼女も私も大きくなったけれど頭の中にあるのは子供の頃の小さなこけしちゃんの姿だけ。
私がカオリちゃんとだけ呼んでいたせいで名字も思い出せない。彼女も私の下の名前の頭文字から「よっちゃん」と私を呼んでいたから本名も私のことすらももしかしたら忘れてしまっているかもしれない。

どちらかと言えば会いたいけれどどうしても会いたいわけでもなく、会ったら何を話したいかもなく、ただただ私の1部を築いてくれた大切な人に幸せでいて欲しいと、長くみた夢を引き金に突発的に思っただけの我儘で涙が止まらない。懐かしい。楽しかったんだろうな。


その頃住んでいた地域のランドマークも覚えているからGoogleマップだとかストリートビューで検索すれば思い出のアパートもカオリちゃんと歩いた道も見ることができるだろう。
でも大人になってしまった今では見方も見え方も何もかも変わっているだろうから調べてしまうのが怖い。私の陽だまりを冷ますことをしたくない。
いつか札幌に再び足を運ぶ日が来たらこの目に直接焼き付けたい。
ただ美味しくないラーメン屋さんはたぶん潰れてる。美味しくないから。


私たちが退居して今その部屋に住んでいる人が、どこかで生きているであろうカオリちゃんが元気で日々をあたたかく育んでいることを信じて願って、今日私は涙を拭って流した分だけお水を飲もう。

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