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好きだからこそのお別れ

約2年付き合った大好きな人と恋人を辞めた。
最初に言っておくと「恋愛感情が無くなった」だとか「喧嘩した」だとかそういう別れではない。
「好きだから」、お別れした。


クラスメイトだった私たちは高3のバレンタインデーに付き合い始めた。(バレンタインデーが記念日になったのはちょっとした偶然なのだけど)

高校卒業後、進学で私は東京の2年制の専門学校、彼は京都の4年制の大学に行き私たちはひとり暮らしと遠距離恋愛を始めた。


「会えない時間が愛を育てる」そんなのはうそだ。
会いたいときに会えなくてたまらなく寂しかった日がどれだけあっただろうか。
それでもお互いの家からたくさん電話をして夜遅くまでたわいもない話をするのが本当に楽しかった。
もう今までの電話の時間を合わせたら何時間になるのだろう。
直接会えなかった1年記念日はお互いにケーキを買ってきてテレビ電話でお祝いもした。

2年間ずっと会えなかったわけではない。
互いの家を順番に行き来もした。
次に会える日の予定を2人でたてている時からもう幸せだった。
夜行バスに乗って彼に会いに行くのもわくわくした。色んなところに遊びに行って、その場所それぞれに深い思い出を作った。

2人で過ごす時間が増えていくにつれて、お互いのことを知れば知るほど、どれだけ価値観が合っているのかが分かった。盲目的な感情ではなく本当に運命なんじゃないかって2人とも考えるほど。
付き合っている間1度も喧嘩をしたことは無いし波があったとしても熱が冷めることも無かった。
「何か」がない限りはずっとこの関係が続くのだと思っていた。


でも専門2年の夏その「何か」が起きた。

私が仙台の会社に就職が決まったのだ。

この時点で私の就職が「何か」だという認識は無かったけれど、京都~仙台の遠距離恋愛がいずれ始まるという事実は受け入れがたいものだった。

でもその事実は変わることなんてなくて、私が社会人になる春までの間に会えるだけ会っておこうと、その夏から月に1度のペースで京都と東京を行き来し合った。
本当に楽しかった。春からもこうであったらいいのに。こうであれるのではないか。とも思ってしまった。


年が明けて今年のバレンタインデー。

私たちは2年記念で箱根旅行を決行した。
前年の9月にふたりで決めた旅館で記念日を迎えて今までの振り返り会をした。

そこで別れ話をした。
正確には「別れ話し合い」かな。

記念日にこんな話をするつもりはお互いになかったのだけど、私たちは今まで言わなかっただけでなんとなくこの話をいつかは話し合わないといけないと分かっていた。

春から知らない土地で社会人になる私とあと2年学生を続けてそのうち就活が始まる彼。
個人での負担が大きい環境へと変化するときにもっと物理的距離が離れることで、2人での、恋愛面での負担は作りたくなかった。
いつかどちらかがパンクしてしまうのが怖かった。
本当にお互いがお互いのことを大好きなのに、心に余裕がないという理由で嫌いになりたくなかった。嫌いになって欲しくもなかった。

だけど好きだから、別れたくなんてないから、別れるべきなのか否かでかなり話し合った。それが箱根での「別れ話し合い」。
感情だけを優先して別れないという選択をするのか、お互いのことを考えて別れるのか、どっちも納得できるから答えは出したくなくてずっと悩んだ。

私はそこで初めて知ったのだけど、彼は私の就職が決まったその日からこのことについてすっごく悩んでいたらしい。思い返せば一時期何故か余裕がなさそうでずっと無気力な時があった。
ひとりで抱え込ませて本当に申し訳なかったと思う。
私が思っていた以上に彼は私とのことを真剣に大切に考えてくれていたことを知った。

それ知っちゃうとますます好きになっちゃうじゃんね。
箱根での話し合いは結局、結論が出なくて持ち越しになってそのまま旅行を続けた。

でもその旅行が楽しくて楽しくて。
そしたらまたほら、どんどん別れたくなくなっちゃうわけで。

これは結論出すのを先延ばしにしたらズルズルいっちゃうな、となって箱根旅行が終わって東京に帰ってきてからもう一度話をした。



「やっぱり、別れよう」

そこでそういう結論になった。私の家で2人で抱き締め合ってわんわん泣いた。泣き虫の私より、普段全く泣かない彼の方が声を上げて泣いていた。

「楽しかったね」

「ずっと楽しかったね」

いっぱいいっぱい泣いて、たくさん愛を伝えて、私たちは私が仙台へ発つ日に恋人を辞めることを決めた。


私は今まで世の中のカップルでたま~に聞く「好きなのに別れる」が理解出来なかった。

でも、「好きだから別れる」ことはあるんだなって自分が経験して思った。
好きだからこそ、この関係が原因で相手を悲しませたくなかった。
お互いのこの優しい我儘が私たちは全く同じタイミングで同じ熱量でたまたま生まれたから、恋人を辞めることにしたのだ。

だけれども恋人を辞めるだけでお互い好きでい続けるから友達に戻るつもりはなくて。
思い出の写真たちも消さないしもらったものも捨てないし、余裕があるときには時間がかかっても会いに行くし、旅行も行くだろうし、誕生日も特別扱いして祝いたい。

それなら「別れた意味ないんじゃ?」「別れなくても良いんじゃない?」と思う人もいると思うけれど、
付き合っていると会うことや連絡をとることが義務になってしまうから。恋人ではなくなったらLINEでの「おはよう」や「おやすみ」も無くなる。それと一緒にちょっとした負担も無くなる。すこし寂しいけれど、恋人っていう肩書きが外れるだけで結構変わると思う。軽くなるというか。

これはもはや私たちにしか分からないことなのだけど、そもそも私たちは付き合っているときから「恋人」でも「親友」でも「戦友」でもあったし、事によっては「先輩後輩」でもあって、たったの2年だけどその時間をかけて肩書きにとらわれない深い何かが生まれちゃってて。どの肩書きであってもなんにも肩書きが無くても、心から大切な唯一無二な人なのだということには変わりはないのです。


あと、普段から連絡を取らなくなる分、春からは文通を始めることにした。
だからあえて肩書きをつけるとしたら「文通相手」となるのかなあ。

(もちろん別れるわけだから他に誰か相手ができたらこの関係はほんとうに終わってしまうのだけど。)


彼との2年間は本当に本当に濃くてきらきらしていて眩しくて、ずっとずっと幸せだった。
付き合った日から彼は「幸せだ ってdomiが思えるような毎日を過ごしてもらいたい」って、それを1番に、私の幸せをなによりも大切にしてくれていた。そりゃ、幸せになるわけだ。
なんというか、恋とかそういう次元じゃないんだよな。上手く言えないけれどこれが「愛」なのかという気持ちをたくさんもらった。


お別れを決めて2人で大号泣したあの日からしばらくは毎日悲しくて切なくて泣いてばかりいたけれど、1ヶ月半経った今は「これから」の私たちにわくわくしている。
文通で手紙と一緒に写真を入れようかな、撮り終えた写ルンですを送りあってお互いがみた景色をわけあいっこしようかな、だとか。
なんなら次に会える時は大阪旅行しよ!とかその前にミセスのライブ当たったら2人でいこ!?とか話しちゃっている。

私たちの選択は間違っていないし私たちが私たちでいるために必要だったのだと思う。

そんな感じで大好きな彼との関係は違う肩書きで続いていくしずっと仲良しでいたい。



そうだ、この一件をここで何故公表したかなのですが、3つ理由があって。

1つは彼とのことに関するツイートで私に出会ってフォローしてくださった人がたくさんいたからです。
ついこの間も金沢に旅行に行った時のツイートを載せたばかりなので「別れた!?」となった方も多かったと思います。
ちなみにあれは恋人としての最後のデートでした。

2つ目は私たちのことを応援してくれていた人たちも多かったからです。
「domiちゃんカップルのこと大好き!」そう言ってくれる方もいました。中には記念日を祝ってくれる方もいました。本当にありがとう。私も彼も私たちカップルが理想であり大好きなんです。

そしてもう1つが1番大きな理由で。
私たちみたいにどうしようもない弊害があって関係を変えないといけないのかもと悩んでいる人に「こういう選択肢もあるよ」と伝えたかったからです。別れるということは、恋人を辞めるということは、必ずしも悲しいことではありません。
現に私たちは付き合っていた時よりレベルアップした気持ちですし、好きが増しています。

お互いのことを想ってなにか行動するのは一見悲しい結果だとしてもそれは愛になり得るのではないでしょうか。





以上が私が彼と好きなのに、好きだけど、好きだから、別れた話でした。


これからは「恋人」としてではない立ち位置で彼がちょこちょこツイートに出てくるかもしれません。
今後も見守って頂けたら嬉しいです。

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