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【今日描き加えた足跡が、自分の人生の1ページになる】

こんにちは、どらみです。
この世に生まれて・・・自分でも びっくり!の年月を
過ごしてきました。

66年目の人生を 2023年の今は
少しペースをゆっくりにして
楽しみながら歩いています。

客観的にみたら、おばーさんの年齢かもしれないけれど、

とっくに社会人の息子たちは ふたりともsingle(独身)

私に孫はいないけれど、じゅーにぶんに しあわせな毎日を送っています。

41歳で 急性心筋梗塞 なんぞという、命に関わる大病しながら、

とにかく運がよくて、ラッキー×何十倍(?)というくらい 幸運が重なって

おかげさまで、今日も まだ命いただいて 生かされています。

しんぞー病になる前は、「自分で頑張ること、必死に努力すること=唯一、自分を成長させる」 というのが、


私のアタマ、心の中で、常に「定義」だったのに・・。



命がけの大病して、その定義が 自分の中で崩れたんです。

どんなに がんばろう、努力しよう・・としても、

身体、心が 健康じゃないと、 なんにもできないんですよね。

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心臓主治医や、真夜中2時過ぎの病院スタッフのおかげで、私は命を救われました。救急車を呼ばなかったから、病院まで私を家の車で 送り届けてくれた夫にも、

私にかかわってくださった すべての方たちに感謝しかないのです



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小学生の頃、毎日 日記を書くのが 宿題の一部。

その時は 正直いうと 書くのが苦痛でした。^^;

生まれつき 左利きで、書く時、食べる時は右手で、って
矯正(練習)しても 文字が 綺麗に書けない、という
コンプレックスも一因だったけれど(笑)

雑に書いた文字を 担任の(家庭科、お習字大得意)年配女性の
先生に「もう少していねいに」って 赤ペンで注意され続けると
ますます自信なくしたり・・・

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でもね、中学になって 英語が主要科目に入ってきたら、
「横文字」書くのは しんどくない。縦書きの日本文より
ずっとマトモ(だと思った^^;). で、英語、外国語の授業好きに(笑)


それからは、自分の悪筆を あまり気にするのはやめて・・
ニホンゴノートも横書きで書けば まあまあ揃った文字が書けるようになったし。

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高校3年、大学受験(私は音大受験)直前、学校の高校で、ある文学者の先生の講演を聴いたんです。

嫌いだった「日記を書く」ことが、私の日課になったのは、この先生の話のおかげ。

「日記は 後から読んで、遠い過去を懐かしむために書くものではない。
あなたが今日一日をどう生きたか?

それを 自分で確認するために書くのです。

今日は何も書くことがない、と嘆くなら、

書くことができるような「何か」を自分で作りだしなさい。」



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義務感で いやいや書くのではない。
自分から すすんで書きたい、書いておきたい、
そう思うようになったんです。

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音大を卒業して、本当は 母校中学で 音楽(私立校で、私たちの学年から
クラス全員が 一斉に🎻ヴァイオリンを持つ時間ができた)を教える仕事をするはずでした。

音大3年の冬に じきじきに先生から そう頼まれて、教育実習も母校でがんばり、教員免許も取って、来春から母校の音楽教諭・・・🎶

というシナリオが、 大学4年の夏の終わり、

突然 学校側の人事、複雑な事情で 突然ボツになりました~(茫然自失!)

私に卒業後は母校で教鞭を・・・を依頼した 女性ベテラン教諭に

新宿の美味しいお店で ごはんをごちそうになったけれど

就職が突然ボツになり・・・アタマの中は真っ白。

どうやって新宿から、当時都区内にあった実家まで 帰りつけたのか

まったく記憶がないのです(涙)


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後述するけれど、この青天の霹靂! 大ショックが

翌年、奨学金をいただいて、(おぼろげに考えていた USAではなく)

ハンガリー、当時、まだ東欧。
社会主義体制が最終盤に近づいていた国へ

日本人の23歳女、どらみ、ひとりで 音楽留学に飛び込むことに つながりました。
(音楽教育研究所。 が、声楽、楽器演奏、合唱、指揮法、理論系、心理学、授業見学、すべて)

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突然の大病も その後、医師、病院も全面協力のもと、
「出版」につながりました。

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人生、何が どう展開するか、本当にわからない。

長く歩けば歩くほど、感動することにも出会い、

良い意味でも、そうでない意味でも、「ソウテイガイ」に

遭遇します



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大丈夫、何とかなる。 なるようになる。

乗り越えられる。 どうしても ダメな時は

やめる、逃げ出す・・・それもアリ。

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今日、南関東は 朝から冷たい雨が降りでした。

一昨日あたりまで、季節外れの暑さ・・・と言っていたのが

急に晩秋、初冬のような気温。

それでも 命あって、今日も笑えること、笑顔になれることが

たくさんありました。

昔だったら、見つけられなかったかもしれない、 
ごく身近な場所、

足元にぴかっと光る、「小さな しあわせのかけら」に気が付くと

笑顔になります^^



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このNote に、心筋梗塞の闘病記(書籍化したもの)を、もう一度

自分で校正、古い医学情報は、主治医と会うたびにアップデートしているから それも書き換えていこうかと思ったけれど・・

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自分の 人生残り時間、どのくらいあるかは 神さまだけが ご存じ。(たぶん)


めっちゃ元気だけど、一応 心臓病患者だから、次回の発作=今度は助からないかもしれない。いや、その確率が6~7割くらい。


だから・・・書いていて 楽しい方を 優先することに決めました



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ハンガリー留学中、旧東独(DDR)から来訪する、教育関係のお偉方の前でカナダ人ピアニストと🎻を弾くことに (曲はBeethoven violin sonata )


今も びゅーんと飛んでいきたいけれど、私と海外、留学中のエピソード。

旅のこと。 海外の友人たちのこと。(今も SNSでつながってる 同い年もいる、という この時代のしあわせ!)

今だったら、カメラ、写真は 私の大切な趣味なので、いくらでも撮るけれど、昔の海外の写真、特に 社会主義時代の留学中の写真は、非常に少ないんです。

撮影禁止の場所が多く、国内では外国人が写真を現像することままならず、フィルムをこっそりかくして国境を越え、

「西側 西欧」の国に入ったら、そこの郵便局から日本へ送り、現像してもらった写真は、
ハンガリーに送り戻る際、すべて検閲を受けてから
手元へ・・・という ものすごく時間と手間がかかるものだったから。

(駅や空港でさえ 撮影禁止の✖印がついていた。違反したら その場でホイッスル吹かれて、どこからとなく警官が現れ、撮ったら データ(当時はフィルム没収))

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そんな 当時の「社会主義国 東欧」と、 見えない国境で隔てられている「民主主義国 西欧」の違いすぎる現実。 そんな経験、今はできないから、私家本にしてもらった 書籍も参考にしながら、

エピソードを拾って 書いてみようと思います。

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 あなたは 今日、どんな 足跡を描いたかな?



 毎日、自分で 当たり前と思っていることは

 他の人には 当たり前ではないこと 多々。

 皆さんの 描いた「足跡のつみかさね」=人生、生き方

 ぜひ 見せていただきたいな。

 一歩一歩、自分で「こっち!」 と その都度 選んだ道、

 進みましょう! ちがうと思ったら、回り道、引き返しても いいんだから・・・^^

 では、またね。 See You Soon !     どらみ 💗 




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