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自作自演の「いつもの森」の写真集ができあがったのだが…

正直にいって仕事も激減し時間が有り余っていたことが大きい。
ボーとしていることが出来ない性分ということもある。
好きで撮っている写真がたまってきて、ほっておけばこのまま埋もれていく。それもなんとなく虚しいかなと感じた。
そもそも、こうしたもののデザインが仕事でアプリやスキルはあったのも理由だろう。
ときに仕事で利用しているネット印刷のポイントがたまったこともあった。
逆につくってどうするんだ、という疑問はある。
「いつもの森」への恩返し、、というのも、ちょっと違う気がする、笑
森にとっては、訪問者など取るに足らないというか、眼中にないというか、そも意識があったとしても人間のそれとは別の世界のものだろう。
まあ、ワタシってこんな感性をしていて、こんな視点を見出して、こんな写真が撮れるんだぜ、という自己中なプライドと満足のためかな。
もしかしたら、それを他者に認めて欲しいという欲求もあるのかもしれない。ただ認めて欲しいというのではなく、同じような感性を追求する人との出会いを希求しているという心理が、心の深いところでうごめいているかもしれない。
誤解なきようことわっておきますが、これを売って生活の種にしようとは思っていない。それほどのものではないし、そうなった途端に別の意味にとらわれてしまう。
まあ、いずれにしろそうした品質のものに仕上げるには、印刷製本に相当な金がかかるわけでいずれにしろ無理なのである。

写真をチョイスしたり、レイアウトに悩んだり、写った草花や虫やキノコの同定をしたりで、ずいぶん時間はかかり「暇つぶし」の目的は達成した。
特にキノコの同定など無理中の無理で、結局空欄のままの写真も多い。
まあいいか、もともと心象写真集のつもりだったし、など誤魔化してみる。
でも、選ぶうちにあれもこれも載せたくなった。
いずれにしろ、毒多チョイスであることでオリジナル写真集といえる。

結局半年以上、作業したりほっておいたり、またアイデアが浮かんだり、新しい写真が撮れたので入れ替えたり、まるで完成よりも制作過程を楽しんできたような気がする。とはいえ、いい加減飽きてきたし、今日会う友人にみせてやろうとやっと形にする決意がつき発注、昨日届いた。
3冊にしようかな? もし欲しいという人がいたらでもすぐ足りなくなるな。じゃ5冊にしよう。出来上がりがどうしようもなかったら、無駄になるしポイントもそれほどあるわけじゃない。
まあ、4人位は欲しいという人がいるだろう、という希望的観測をもっていたら「予備」と称して2冊余分に送られてきた、^^;
5冊にたいして2冊予備とは、、、なんとも豪気な。
しかし、4人位ならいそうだが、6人となるとどうなんだろう?と周辺の友人を思い浮かべる、、、^^;^^;^^;
無料で配るなら欲しいという人もいるかもしれないな。
でも、それは何かが違う。
さして欲しくもないけど義理で貰ってあげるという人もいるだろう。
ワタシだって、逆の立場ならそうなる。
なので、ちょっと迷うぐらいの価格にしようと考えた。
3000円かな?髙いかな?じゃ2000円、、、弱気かな?
高価なプリンターといえどもやはりレーザープリンターのプリントだからな。かなりよく再現できてそうで、モニターや写真プリントに比べてしまえば少し落ちる。製本の仕上がりも微妙に波打っているのも気になるしね。
ただ、これを仕事としてつくった場合は原価だけで桁が違ってくる。
つまり、3000円だろうが8000円だろうが超赤字なのだ。でも、儲けようと思っているわけじゃないしね。
どこまでいっても、自己満足だけどちょっとおっそわけ、って感じ。
ちがうかな、明日死んだときのための遺品ってことかな。
それにしても、この世に何かを遺すって何か意味があるのかな?
ベートーヴェンでもピカソでも清志郎でも遺したものを後世が享受してるな。まあ、市井の一人が些細なものを遺してもいいではないか。
名前とか人間としてのワタシそのものを遺すんではなくて、ワタシという一人の人間が生きていたときにはこんな森もあったんだよ、ということを遺すことにしよう。


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