東京ユートピア
年に数回東京に行く。
イベントや大会などの大きな催しは東京でやることが多い。生まれて30年近く経つので東京には何度も足を運んでいる。
しかし、毎度のことながら「この都市には絶対に住みたくない」と思うし、仮に住んでも数ヶ月で何らかのアレルギーを発症する気がする。
まず何といっても、人と建物が多すぎる。
日本の首都を超えて、アジア、世界の中でも大都市なので当然ではあるが。いくら何でも人口密度が高すぎやしないか。
実は国の中枢の偉い人たちが、「人間が生活圏を築くことができる限界の人口密度」を導き出すために、何十年もかけて秘密裏に実験しているのではないか、と思うほどである。
さらに、建物が多いということは、それだけ看板も多くなり街中に文字が溢れている。どこをみても、文字、文字、文字。
周囲360度にある文字数を調べたらエグいことになりそうである。
これだけ文字が溢れているのに、我々に役に立つ文字はほんの数十文字だろう。人口密度、建物密度は異常に高いのに「有効文字密度」は異常に低い。
そして、東京はゆっくりできる場所を見つけるのにも一苦労する。トイレを見つけるのですら大変だ。
私は東京で1人で落ち着きたいときは、マクドナルドに行くことが多いが、だいたい満席に近い。
まれに、窓際の端の席が取れたりするとテンションがあがる。
「やっと、この東京という街から少しの安らぎを手に入れられる」と。
私はこのような席から、自分には全く関係ない、窓に映る人たちが足繁く行ったり来たりする光景を眺めるのが好きである。
東京ではどこに行くのにも迷う。とにかく迷う。アプリの地図を見ても全然分からない。
行き先がこの道で合っているか不安なので常におどおどしている。
東京の街中を白髪の高齢者やベビーカーを押している女性が堂々と歩いている姿を見ると、「何て自分は頼りないんだ…」と少し焦る。
ここまで東京の悪口を散々書いてきたが、もちろん良い面もある。
あれだけたくさんの人が溢れているのに、みんな他人のことに全然関心がない。つまり、人の目の数は物理的に多いのに、人の目を気にする必要がないという矛盾が成立している。
また、東京ではたとえ何もしていなくても、そこに存在するだけで、東京という大都市の風景やシステムの一部になっている。とてつもなく大きな経済の歯車の一部になっていると言っても良い。
東京には、どんな種類の、どんな境遇を抱えた人間もそこに存在して良いというある種の暖かさ、包容力があるのかもしれない。
やっと見つけた東京のユートピア、「マクドナルド」で私はこれを書いている。
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