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劣等感(コンプレックス)の超克 Part1(霞ヶ関での武者修行)

組織内で一緒に仕事をする若手の悩みを聞いていたところ、徐々に私(桐島)が霞ヶ関のとある役所に入ってからのトンデモナイ武者修行の日々がフラッシュバックしてきました。

私は、どの組織・環境に身を置くかによって、(特に若いときの)人間の成長は決まると思います。

その観点から、私が入省した霞ヶ関の役所は、私を最大限に成長させてくれました。

しかし、それは、同時に渓谷に突き落とすような厳しい環境のなかで、大きなストレスを抱えて、長時間労働を余儀なくされることと表裏一体でした。

生き方(稲盛和夫)

大学生の時と大学卒業時点で、自己管理能力が乏しく自分に甘かった私は、厳しい環境に所属できて正解だったと言えます。

私が何度も見返してきた「生き方」には、以下の公式が出てきます。

これに関して、以下の名言があります。

自分の可能性を信じて、現在の能力水準よりも高いハードルを自分に課し、その目標を未来の1点で達成すべく全力を傾ける。

そのときに必要なのは、つねに「思い」の火を絶やさずに燃やしつづけるということです。

しかし、これは自己管理能力が高い聖人君子向けの言葉です。

この言葉を読んで、私は「稲盛さん、人は誰でも、自分で自分を律することができるわけではないのです、、、私のように組織に鍛えてもらわなければいけない人間だっているのです!」と1人ツッコミを入れてしまいました… 笑

やはり、若い間は、自分を最大限成長させてくれる組織に所属し、自分が尊敬できる人と一緒に仕事をすることが1番だと思います。

いまの20代は、タイパを重視して、自分を成長させてくれる組織に所属することを重視します。

私も、いまの20代と同じ考えです。10年以上に渡り自分を成長させてくれる組織に所属できたことを感謝しています。

閑話休題

上記で述べたのは、後になって振り返った時の綺麗事です。

その場に身を置いていた時は、辛くて、厳しくて、過酷な日々でした。

これ以降は、自分が、如何に劣等感(コンプレックス)を抱えて、苦しい思いをして、日々と何とか乗り切ってきたか、述べたいと思います。


入省1年目(ポンコツぶりを大発揮@局の総務課)

入省して驚いたことは、17時30分に「終業時間になるので、帰宅の準備をしましょう!」という放送が鳴り響く。

しかし、誰も何もなかったかのように仕事をしている。

自分だけにしか聞こえていないのではないかと耳を疑うほど、誰も帰宅しない光景が広がっていました。

こんな些細な驚きから私の社会人1年目はスタートしました。

その後は、毎日、仕事ができないポンコツぶりが露呈して死にました 泣

大臣官房総務課(大臣に近い省内トップに君臨する課)→局の総務課(事業部単位のトップの取りまとめ課)→各原課という仕事のフローのなか、私の1年目の配属は、局の総務課でした。

まず、大臣官房総務課から、大量の発注メールが流れてきて、これを自分なりに自分の局の事情にあてはめて、整理して、各原課に発注する、というのが基本的な仕事の流れでした。

しかし、大量の発注メールには、それぞれの〆切りがあります。

仕事の優先順位付けをして、超高速で上司に相談しつつ、各原課に発注しなければ、ぷよぷよが積み上がって、すぐに、ばたんきゅ~になってしまうという無理ゲーに放り込まれました。

発注には、ショート発注(〆切りが短いもので大臣案件などのTop Priorityのものが多い)など、特徴的なものもありました。

つまり、落ちてくるのがはやいぷよぷよや、最初に消さなければいけないぷよぷよ等、普通のぷよぷよより難易度の高いゲームでした。 

途中から投げやりになって、大臣官房総務課から来た発注メールを、各原課に丸転(丸々転送すること)していたところ、先輩から、「桐島君、これって丸転しているだけじゃん!それなら、君がここにいる意味ないよね。きちんと、局の総務課の役割を考えてくれないと。君が雑な仕事をすると、原課の信頼を失って、局の総務課に情報が集まらなくなり、仕事が効率が下がるんだよ。常に自分だったらどのような付加価値を付けられるか考えてよ!」と怒られました。

付加価値」という言葉があまりにも強烈で印象に残りました。

それ以降、常に自分の付加価値と向き合うことになりました。

激遅スピード

恥ずかしながら、大学の時にはサークル活動と海外旅行に明け暮れていて、パソコンを触るのは、レポートを書くときだけだった私は、タイピングスピードが激遅でした。

そして、ワード、エクセル、パワーポイントも最低限しか使用していませんでした。

社会人としての基礎力が圧倒的に欠けていた私は、日々の仕事で、睡眠時間不足になりました。
週5日のぷよぷよを乗り切ることだけを考えて生きていました。

基本毎日終電でした…

そして、5日だけは終わらない仕事を、土日のどちらかに片付ける有様でした(メリハリをつけるため、なるべく金曜の夜遅くに友達と飲むようにしていました)。

さらに、並の人間になるために、自分のパソコンに、タイピング練習ソフトをダウンロードして、土日の暇な時間に練習していました。

ワード、エクセル、パワーポイントの簡単な本を購入して、土日に機能を使ってみて、少しずつ覚えました。

はじめの1年間は、劣等感に悩まされ、朝、職場に行くときの霞ヶ関の千代田線のプラットフォームから階段を下って改札を通るときに、冷や汗をかいていました。

緊張感ある毎日で、同僚や上司との関係もぎこちないものになってしまいました。

とある金曜日に、課長から「おお、新しく不公正貿易報告書ができたのか!お前、これを週末中に全部読んでこい!」と言われました。

冗談だと思って「またまたまた!」を満を持して断ったところ、「冗談で言っているんじゃねーよ!」と大激怒されました、、、

なんて不器用だったのでしょうか 笑

他方、課内の人たち(15人ぐらい)は、皆さん、私よりも人間的に立派で、仕事ができる人たちだったので、できる限りはやく1人前になって、まずは、皆様に迷惑のかけないような人になる。つぎに、皆様の役に立つ人間になろう、という思いはありました。

課長補佐は、時折、私に教育的な質問をしてくれました。

●「桐島君、君は、僕が好きなマーカーの色はわかる?
●「桐島君は、コピーをお願いされた時って、どうするかわかる?

マーカーの色=上司の好みを知ることで上司との距離を縮めよ!、大部屋で日頃から人の動きを観察してタイミングよく案件を相談せよ!

答えは黄色マーカーでした!

コピーを取れ=コピーをしている最中にその資料を読んでおけ!、指示の言外に隠されたメッセージを把握しろ!

という意味があります。

こういったスキルは、一見、古くさく役立たないように見えますが、官僚のみならず、一流のビジネスパーソンが身につけている能力だということがわかりました。

霞ヶ関は、自分の省庁の大臣をはじめ大物政治家と常に対峙しなければいけません。

目から相手の特徴、耳から相手の言わんとするメッセージを高速で把握することで、国益を体現していくことを学びました。

局の取りまとめ課での1年2ヶ月が過ぎました。

最後の挨拶で、「私は、この課の皆様に迷惑ばかりかけまくって、できるだけ迷惑をかけないようにすることばかりを考えていました。しかし、1年2ヶ月を振り返ってみて、皆様に貢献できたとは言いがたいです。次の課では、少しでも課員に貢献できるよう頑張りたいと思います」と言いました。

上司から、「桐島君は、きちんと自分の立ち位置をわかっているね。君は、抽象的なことは苦手だとわかったので、次の課は、具体的なモノを扱う部署にしたから、仕事が楽しくなると思うよ」と言われました。

振り返れば、1年目は、休みという休みはなく、仕事のことを最優先に考えていました。旅行に行った記憶もないですし、ずっと仕事のための勉強をしていた記憶しかありません。
(他方、この時に時間的に追い詰められた状況で。速読術を学んで良かったと思っています)


社会人2年目、3年目(他者管理?@原課)

晴れ晴れしい気分で、2つ目の課に異動しました。

そこでわかったのが、2年目の私には、1年目の部下がつくということです。

自己管理さえ出来ていない自分が、他社管理(マネージネント)をしなければいけないのか?!

つくづく、自分は凄い組織に入ってしまったと思いました。

この課は、大臣官房総務課→局の総務課→各原課でいう、原課になります。

そのため、現場に近い距離でじっくりとした仕事ができました。

日本国内の多数の工場見学に行って、まずは業界のことを勉強しました。

日本津々浦々の工場見学をさせていただきました

直属の課長も課長補佐も非常に優秀で尊敬する人でした。

私は、つくづく周りの人間に恵まれているな~と思いました。

課長補佐は、私を2年目の私をプロフェッショナルとして扱ってくれました。

「桐島君は、大学は経済学部出身だよね。この文献に出てくる国際貿易のGravity Modelって知っていると思うんだけど、教えてよ!

このような質問が時たまありました。わからないことはすぐにググって、報告すると、上司は喜んでくれました。
知は力なり」という言葉を思い出しました。

「桐島君、我々は1年とか2年で異動するでしょ。その間に最大の成果を上げなければいけないんだよ。そうすると、業界のことを知って、相談に対応できるようになるのに、どのぐらいの期間でキャッチアップしたらいいかわかる?

私が「2年だとすると、2~3ヶ月ですかね」と答えると、

「そうだね。君の場合は係長だから3ヶ月かけていい。でも僕は課長補佐だから3週間、課長になると3日と言われている。一見すると、3日でなんて無理だろと思うだろうが、課長は一気に業界の状況を把握するために、業界の有識者にまとめてヒアリングをして、一瞬で課題を解決策を見つけなければいけないんだよ」と教えてくれました。

これを聞いて、つくづく自分は凄い組織に入ってしまったな~と誇りを持つと共に、自分の責任の重さに気づき、緊張感が芽生えました。

そして、最初の3ヶ月、業界の書籍をすべて購入して、土日も楽しく真剣に業界のことを学びました。必死に勉強すると、確かに、業界の方の言葉遣いや、考えていること、課題がわかるようになりました。

組織のMind Setの効果は絶大です。

この時間感覚は、他の上司に聞いても、同期に聞いても一緒でした。

結局、うちの役所では、みんなが同じ時間感覚を有しているため、キャッチアップスピードが異様に早いわけです。

原課といえど、国際的な案件も扱います。

課長と課長補佐の会話を聞いていると、
この韓国からの公示通達って、日本のどこの裁判所に到達して、いつから有効になるんだっけ?

なんと!!!

私は、経済学部出身で、法律に根っからの苦手意識を持っていました。

そのため、公示通達、裁判所、訴訟など全然わかりませんでした。

何なら、恥ずかしいことに、民事と刑事の区別さえもわかりませんでした。

そして、法律の「ほ」の字も嫌いな私は、ググって勉強をしようとしても、何から手を付けて良いかわかりませんでした。

2、3年目は法律の勉強から逃げてしまった自覚があります。

この課にきて1年ぐらい経過して、課長との人事面談で、

「桐島君、我々が日々向き合っているのは民間事業だよね!でも、この世界では、すぐに民間事業者ないで噂が拡がる。1社から「この官僚は、我々の案件から逃げている」と思われたら、その時点で終わりだ。その噂は業界を駆け巡って、君はどの会社からも表面的な付き合いしかしてもらえなくなる。一切、真剣な相談は受けられなくなる。私は、常にこういったことを意識しながら、仕事をしている」

と言われました。

自分が法律の勉強から逃げていることを、ひょっとして、課長は気づいているのかもしれないという勘が働きました。

そこで、つぎの人事異動の希望には、「法律改正」と書きました。

2、3年目は、役所での仕事の仕組みが徐々にわかってきました。それでも、自分は文書を書くことに苦手意識を感じていることもわかりましたし、法律に対してもコンプレックスを持っていることがわかりました。

さらには、部下の育成という観点も、まったく手をかけなかった自覚もあります。

やるべき事は沢山あるのに、やれていることは僅かという感じでした。

さて、2年近くいた現在の課から異動になり、4年目は、希望通り、「法律改正」に従事することになりました。

~次回Part2へ続く~


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