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本の紹介5冊目:「国際協力の戦後史」(JICAや国際協力に興味のある方必見)

御無沙汰です。
最近、会議準備の仕事のため、忙しくしていた桐島です。

今回は、2020年11月に出版された「国際協力の戦後史」を紹介します。
この本は、気鋭の研究家4人(末廣昭, 宮城大蔵, 千野境子, 高木佑輔)が、
「日本のODAの生き字引」でJICAの設立にも中心的に関与した荒木光弥さんへのインタビューした内容です。

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荒木さんは、1936年生まれで御年84歳になる文字通りの「生き字引」です。

ODAの援助プロジェクトの現場、援助政策やその方向性を形づくる、霞が関と永田町の内奥を知り尽くしていて、日本の国際協力の戦後史についての驚愕の秘話が明かされています。

一言で言えば、「日本の援助戦略(ODA)の構想人の真相解明」本です。凄まじい破壊力です。 

読んでいて、全エピソードが興味深いため、一気読みしてしまいました。

特に、国際開発の関係者、JICA職員は必見です。何せ、自分たちのIdentity(政策・組織の成り立ち)が発見できるからです。

私が特に興味を持ったのは以下ですので、順番に紹介します。

①日本とアメリカの「途上国援助、国際的な開発」に対する考え方の違い
②JICAの誕生秘話
③ODAの世界を変えた中国

①日本とアメリカの「途上国援助、国際的な開発」に対する考え方の違い

まずは、①の日本とアメリカにとっての、「途上国援助、国際的な開発」に対する考え方の違い、です。

「途上国援助」という言葉の「援助」は英語ではAid又はAssistanceです。

しかし、これを日本語に訳す時に、戦後日本では、「経済協力」と言い換えてきました。日本の発想には、援助=経済協力、経済を発展しなければ、国の独立も主権の確立も経済成長も国の経済の安定もうまく行かない、という発想があったようです。

そして、「経済協力」という思想は自助努力になります。
「援助(aid, assistance)」という用語は、無料でお金を与える施しというニュアンスがありますが、日本のいう「援助=経済協力」は、お金を利子無しで貸してあげるから、自分の国を自助努力で作る際に活用してね、という意味です。

こういう発想が根本にあるため、未だに日本の有償資金(利子付き貸与)は、援助金額の64%を占めますが、アメリカ(オランダ、ノルウェー等)の有償資金は0%で、全て無償資金と技術協力なのです。

また、「国際的な開発(International Development)」が意味するのも、日本では経済開発になります。しかし、アメリカでは政治開発になります。

政治開発とは、社会主義に対抗して、資本主義社会の仕組みをぶち込んでいったり、議会制民主主義を根差すように仕向けたりする事です。
例えば、ミャンマーに対する「国際開発」は、日本では水力発電所や道路の整備になりますが、アメリカでは民主主義を標榜する人材育成がメインになります。

私は経済官庁に勤務しているため、「国際開発」と言えば経済開発という先入観がありましたが、日米で全く考えが異なるというエピソードには、目が見開かれる思いでした。

②JICAの誕生秘話

次に、②JICAの誕生秘話が印象的でしたので、紹介します。

そもそもJICAの設立は、1974年8月です。

以下は、JICA(国際協力機構)とJBIC(国際協力銀行)の両組織の歴史的変遷ですが、JICA設立には、外務省、農水省、通産省の3省の主導権争いがありました。
最終的には外務省が海外移住事業団を潰して、海外技術協力事業団(OTCA)に合流させることで、JICAを創設することになりました。

結果として、事業団の職員500人をJICAに入れることなり、JICA事業団法作りでは、国内法づくりに強い農水省職員の力を借りたようです。

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そして、驚きなのが、JICAの設立理由です。

私は、JICAは、途上国支援(南北問題解消)が主目的で作られたと思い込んでいましたが、1972年の食料危機(ソ連の穀物大量買付けが原因)と、1973年の石油危機を受けて、海外の食料資源の確保・鉱物資源の確保を主目的として創設されました。そして、その創設には、田中角栄総理大臣や、倉石農水大臣も関与していました。

もちろん、主目的ではないにせよ、途上国支援(南北問題解消)の目的もありました♪

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しかし、1980年代には、70年代に「食料・資源の安定的確保」、「南北問題の解消」を目的に掲げて、外務省、農水省、通産省、大蔵省の4省協議で決めてきたODA(政府開発援助)が、日米経済摩擦の悪化により、日米経済交渉の道具として使われるようになりました(日本が貯め込んだ貿易黒字を世界に還流させる「資金還流計画」の道具としてODAは貿易黒字削減策として使われた)。

そのため、ODA政策は、日米経済交渉を管轄する大蔵省の判断に左右されるようになり、大蔵省の影響力が強まりました。

JICAの援助政策(ODA)も時代に応じて、使途や目的が変わることが分かります。

最近ですと、官邸から、タイド型円借款も掲げて、「インフラ輸出」を積極的にやれと大号令がかかっていて、先祖返りしているわけです。

JICA職員は、多くが国際開発(not only 経済開発)を志し、イギリスの大学・大学院で国際開発(人道支援、保健、教育等)を専門的に修得して、入行した人も少なからずいます。

そんな職員からしてみれば、経済協力にあまりにも傾きすぎていて、ショックを受けて、混乱しているという話も漏れ聞こえてくる所です。

実際に、JICAの株主向け説明会資料(こちらがURL)でも、以下の説明がされていて、日本の経済成長に寄与する国益が強く打ち出されています。

ODAにおいて、日本の国益を前面に出す時代=日本国内に余裕のない時代、という事なのでしょうか?!

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③ODAの世界を変えた中国

最後に、③ODAの世界を変えた中国です。
「中国が、国際ルールを破って、国際開発の現場が荒れている」という単純な話ではありません!!!

荒木氏は、皮肉的ですが、中国の登場を歓迎しています。DAC(OECDの開発援助委員会)が過度にヨーロッパ主義のためです。

面白い箇所なので、全文引用します。

ー中国は日本からのODAでインフラ整備をする一方、今度はそれを中国自身がアフリカで行っている。中国はODAを単に受け取っただけでなく、今やODAの世界を変えたと言ってもよいのではないでしょうか。       

荒木 OECDのDAC(開発援助委員会)がそうですよ。DACにはかつてのような力はもうありません。言ってみれば、DACはつぶれてしまった。つぶしてくれたのは中国です。でも、私はうれしいんですよ。DACで援助はこうあるべきだという、あんなヨーロッパ人の勝手な組織、つぶしてくれたからありがたい。DACというところはヨーロッパの考え方に基づいてやっているわけですから。
 日本だってDACのことを、すごい変なところだと思っていたんですよ。例えば2000年に入る少し前に、途上国における累積債務の棒引きをやりました。日本の棒引きは1兆円ぐらいです。放棄したわけです。途上国の累積債務、つまり借金を帳消しにした。そのとき、ヨーロッパからモーゼの話が出てきましたよ。ヨーロッパの市民運動が、ちょうど2000年に、モーゼの教えに帰ろうと…。

ー「ジュビリー2000」ですね。1990年頃から世界中で、最貧国の累積債務を2000年の帳消しにしようという社会運動が起きました。

荒木 これはクリスチャンの発想ですよね。DACは当然その影響を受けているし、結局この話はG8まで行きました。98年のバーミンガム・サミット(英)や翌年のケルン・サミット(独)で、実際に最貧国の累積債務帳消しが実施された。
 ただ当時を思い出してみると、日本は全部チャラにするのは如何なものかと、釈然としないものを感じていたと思います。やっぱり基本的には貸したものは返してもらうというのが日本の根本的な考え方ですから。でも世界の趨勢には逆らえないということでしょう。とにかく1兆円近い援助残高をチャラにしたのです。

ー中国は、まさにそれを武器にしているところがあります。CLMV(カンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム)などは、半端じゃない。今までの累積の3割ぐらいは、帳消しにしています。

荒木 やはりODAの世界でも、中国の影響をひしひしと感じるようになってきました。今までは、大したことないだろうと思っていたけれど、彼らがODAの世界で、特にアフリカで蒔いた種というのは、DACの理屈をつぶしてしまいましたからね。それはまた中国の「一帯一路」という世界戦略につながっています。
 これからの援助の概念というものが中国の登場でまったく変わってくるこれまでの話は古典的な援助論になってしまう恐れがある。歴史に残る話ですよ。(「国際協力の戦後史」P249~P251)


最近、日本の戦後賠償→国際協力の流れに興味を持ち始めて、本を乱読していましたが、久しぶりに、地に足のついた良い本に出逢えました。

繰り返しになりますが、国際協力の関係する方、JICAの方には、是非とも手に取っていただきたい本です(*´ω`*)

See you soon.

次回は、毛色が異なる本の紹介です。


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