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ああ恋とはなんと愚かなのだ

とすでにこの世の誰かが…中世のフランス人あたりが言っていることでしょう。私は毎日思います。あの日あの時あの場所の愚かな自分、恋に振り回されて心神喪失寸前だった自分に対して。

幸いにも今は妻がいて、そして(死が二人を分かつまで)ずっと一緒に居られる人がいるっていいもんだなとしみじみ思うけど、それと同等もしくはそれ以上にもう恋なんてしないっていいよね絶対と思う。

恋をする人は愚かである。愚かになってしまうのである。
相手の一挙手一投足に振り回され、嫉妬し、不安になり、怒り、悲しみ、それでもなお愛してしまう。愛してくれと要求してしまう。
そばにいてほしい、他の人を見ないでほしい、私を見て、大事にして、大事にされてると感じさせてと一体何度言葉や態度で乞うただろう。

驚くべきことに、そういうこと全般、つまりは承認欲求を他人で満たさなくてもいいことに気づいてからの方が「自分だけを見てくれて」「愛してくれて」「大切にしてくれる」人に出会えるのだからこの世の仕組みは驚きだ。他人なんかいなくても、自分で自分を最高に愛してれば生きていけると振り切ると、不思議なことにそこに愛するパートナーが現れてしまった。私の場合。

私は基本的に自分が好きである。自分のことを愛しているし、最高だと胸を張って言える。ダメなところもあるし完璧ではないのでミスもするけど、私はこの世に唯一無二の存在であり、尊い。掛け替えのない存在である。
そしてそれは「誰かと比べて」そう思うのではなく、私が私に下した評価だ。他の人は他の人で最高であれば良い。その人自身が認めて、お互いに最高だと思っていれば良い。それぞれにそれぞれの国の王なのだから。
誰かに最高と言ってもらう必要はない。褒めそやされなくてもいい。(褒められたら嬉しいけど)たとえ他人に貶されようとも、自分から自分への評価は変わらないし、変えるつもりもない。

私が恋に振り回される愚か者だった時、私は私の評価を他人に求めていた。
私をどう扱うのか、どう愛すのか、その行動で私の価値基準は振り子のように揺れ動き、精神状態は荒れ果てる。
そんなのはもうごめんだし、もうそうなることもないだろうと思うけど、ふとした瞬間あの愚かだった時って結構楽しかったなーと思う。
あんな風に全力で感情に振り回されることもう無いと思うけど、あの時のがむしゃらなエネルギーとか希望とか絶望、月まででも追いかけると思えた気持ちは忘れがたいものです。
おわり。

投げ銭してくれたらあなたにも私にもいいことがあるでしょう。たぶん。