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腱鞘炎とのお付き合い ②

3年ほど前に左手に違和感を感じてからいくつかの病院で診てもらい、注射をしながら経過を観たあと、いよいよ手術をすることになりました。
②では手術当日のことを書いています。

当日の朝 

あらかじめ処方された痛み止めと抗生物質、コンタクトレンズケースを持参し、当日病院にチェックイン。自動販売機でお水を購入。
いつもと違う病棟で場所がわからずちょっとウロウロして到着したら看護師さんがエレベーターホール前で待っていてくれていた。
別の担当の方が更衣室に案内してくれた際、コンタクトレンズは入れているかと確認され、入れていると答えたら、「入れたままだと何かあった時に保障できません」と言われ怖くなり更衣室で外した。
手術着は肩腰に紐があり右前か左前かゴソゴソ探り、左前がフィット。ボタンやホックはなくマジックテープがついていた。


手術中のこと

2日前に執刀医の変更があり、念の為何度か自分の氏名を伝えるシーンがあった。
手術台に載ると、心臓まわりに心電図用のものがパチパチと貼られていき、右靴下だけ脱がされ親指にも何かクリップのようなものが取り付けられた。
そして「顔にも布をかけますね〜」と言われ、死んだ人の顔に掛ける布をイメージしてしまい、なんだか笑えた。

右側から看護師さんが「点滴をするので針入れますね」と言い、え〜初点滴で怖っと思っていたら、5分おきに血圧も測るらしく上腕に測定布が巻かれたまに締め付けられ怖さ倍増。。
左側からは先生が「今から麻酔入れてくね。細い針で打った後太い針でも入れるね」と言い、なんで二段階なんだよぉと内心ドキドキ。
麻酔は左の上腕の脇近くに打たれ、細い針で液がじわじわ浸透して痛いわ〜と思っていたら、「次太い針いくね」と言われさらなる痛みを予想するも そんなに痛くなかった。すごいな私、痛み耐性できた?と思ったけど、細い針の麻酔が効いてきたからだと気づいてちょっと自分を笑ってしまった。
そうこうしているうちに、左手に衝立みたいなのができ術野が私からは見えないようにしてくれた。見たら絶対に気分が悪くなるし。。。
麻酔が効いてきたかの一つの確認として、自分で腕を曲げられるかと聞かれ、曲げられないと伝えたら手術が始まった。

まずは早く麻酔が効いた親指から。切開されたのも全く気づかず、微かに自分の指先の感覚で触られていることがわかる程度。途中ちょっとだけ痛みがあり、つい「あ」と声がでたら「大丈夫?どんな感じ?」と聞かれ、感覚も確認しながら進めてくれた。次の人さし指に入る時、「あと同じくらいの時間ががかるけど耐えられそう?」と聞かれ、大丈夫と答えた。
人さし指は途中でチクリと刺すような痛みがあり、触られている場所も薬指のような感覚だった。途中から上腕から脇にかけて液体が乗ってくる感覚があり、どこかに血が流れているんだろうな、と思いながら目を閉じた。
痛みや液体の流れを感じたとき、心拍数を表す音とは別の機械音が流れ、出血の量か何かを音で知らせる仕組みなのかなと思った。

縫合まで終わった時に、先生が看護師さんと「ジグザグにしたのは格好つけたわけじゃなくどうこうという理由で・・・」と説明していた。ここは大学病院だったことを思い出した。

怖かった手術が終わってホッとしたのと同時に、私の会社の同僚や後輩も色々な手術を経験していて、今まで彼らの話を聞きながら病気のことや術式のことなど理解していたつもりになっていたけど、自分が体感してみて初めて彼らの大変さを感じた。後輩の顔が何人も浮かんできて思わず涙が出た。


手術が終わった後のこと

手術室から更衣室まで、ちょっとふらついた。
そして意外な難関が着替えることだった!

手術着を脱いで、キャミソールとセーターを来て、楽なパンツを履くだけなのだが、驚いたのが麻酔が効いている左手が自分の意思で動かないこと。
麻酔って痛みを感じさせないためのものだと思っていたけど、実際は腕の筋肉も動かせなくなることにこの瞬間まで気づかなかった。

左袖を脱ぐにもまず左腕を右腕や足で支える必要があり、なんとか脱ぐことができた。キャミソールもセーターも、まずは着やすいように形を整え、そして左腕を入れるのに右腕で左腕を支えアームホール目指して入れ込む。微妙に外れてもう一度服の形を整えるところから再トライ。この繰り返し。
君たちは随意筋ではなかったか?と疑問に思いながら、麻酔というのは痛みの神経だけじゃなく運動神経も麻痺してしまうことに驚愕。
しかもこの腕は突然に思ってもいない動きをして、下げていたのが急に私の胸元まで上がってくるということがあり、本当に驚いた。
左手の指を右手で触るとビニールの手のような感じで、自分の手を触っていうという感覚が全くない。理科室にあった人体像の左手を触っているような感覚だった。指先に触れてもそこから脳につながる神経が麻痺しているからかな。。

次にパンツを履く。前側に紐があるもので「紐がある方が前」と手触りで前後を理解する。コンタクトレンズは外したままだからよく見えない。
既にスニーカーを履いており、スニーカーを脱いだらまた履くのに大変だからとそのまま右足を突っ込むも膝下から足首あたりで詰まってしまい足が通らず。このパンツは池田エライザちゃんモデルなので特に膝下が細身になっているのが災いした。結局スニーカーを脱ぎ、パンツの形を整え前後を紐の位置で確認し足を突っ込む。そして左足も同様になんとか履くことができた。パンツを上げるのも難しく、親指の関節がパンツのウエストを引っ掛ける役目をしていたことに気づいた。。
ここまで多分20分くらい。
ようやく立ち上がったらどこかにあったマスクが床に落ちた。手術着を所定の入れ物に入れる際、手術着と一緒にマスクも入れてしまった。このまま洗濯されると困るだろうとは思ったが、もうそこからマスクを取り出す力は残っていなかった。病院の皆様、すみません。。

なんとか着替え終わり、看護師さんが三角布で腕を吊るして固定してくれた。コンタクトレンズを付けたいと思ったが、もう手は動かないので無理。。逆に今つけられたとしても夜に取ることはできなさそうなので手術前に外しておいて良かった。。
看護師さんからは早めに痛み止めを飲んだ方が良いと言われ、手術前に買ったお水で薬を飲む。ああ、あの時買っておいて本当に良かったと思った。

その後 猛烈に気持ちが悪くなり動けず、待合室のソファーに座って落ち着くのをまった。吐き気もする。。結局1時間半ほどソファーで休んだ。
全身麻酔だったら日帰りはできなかっただろうし、もっと気分が悪くなっていただろう。局所麻酔で良かった〜。
今日はお会計はしなくていいと言われお財布を出したり小銭を出したりは難しそうだったから助かった。
看護師さんに帰る旨を伝え廊下の方に向かったが、別なドアに向かってしまったらしく(なにぶん案内が見えないから)、看護師さんがまたエレベーターホールまで送ってくれた。


帰り道

まっすぐ歩きたいのになぜだか右側に寄っていってしまう。。歩道ではちょっとした勾配につまずき、どのくらいの勾配だったのか戻って確認しながら歩いた。
駅に着き地下鉄の階段を下る際 左側歩行で手すりが使えず、掟破りで右側を下った。
途中、ドトールでテイクアウトした時、店員さんが無料で紙袋をつけてくれてありがたかった。
ドトールも地下鉄もPASMOを使えて楽だったし、梅雨の晴れ間の日だったので傘もさすことなく帰宅できてラッキーだった!

その日は一日痛みがあり、なかなか大変な日だったなあ。



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