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疲れやすい私におきたトランジション


もうこれ以上進めないと思った時

私は会社員として幾つかの会社で30年以上働いているが、40代後半くらいから何をしても気持ちが晴れない、このままこの調子でこの仕事をしていていいのかな、という思いが湧いてきていた。
何か違う、おかしい、自分の気持ちを抑えながら生きている感じがしていた。
寝ていても仕事のことが頭を離れない、朝起きても疲れている、の繰り返し。
さらに昔からあって長年やり過ごしてきた「自分は他者に理解されない」というそこはかとない思いが、何だかもう今のままだとこの先を乗り切れない感じが積もり積もっていた。

『そういう個と。』というプログラムを受けてみた時のこと

世の中の人はどうして普通に生きているのか、私だけがおかしいのかと思っていた。
もしかしたら「私の受けとめ方(認知)がおかしいのかもしれない」と思っていた時に、たまたまSNSでフォローしていた人がHSPとして取材されている番組を見つけ、なんとなくピンとくるものがあってその番組運営者さんが主催する『そういう個と。』プログラムを受講してみた。

刺激の調整、長期性トラウマを見つめる

半年間のプログラムを受ける中で自分が刺激を受けやすい資質であり、それが疲れやすい一因であることを知る機会となった。どんな時に刺激過剰になり自分が動けなくなるのか、振り返って記録を取ることを半年続けた。
また、幼少期の長期性トラウマという事象も自分を発揮できない原因の一つのようで、これも深掘りしてみると思い当たる節があった。これには「小さな時の私は、本当はこうして欲しかったんだ」とあの時の自分を今の大人の私の眼差しで優しく見つめ、あの時得られなかった思いを今認めてあげるという作業をしていった。

通過儀礼

ちょうど父が亡くなり四十九日や一周忌の時期にこのワークをし、仏事という儀礼を通して父との愛着を少しずつ解消していくことができた。

一人の時間を持ち、自分を見つめてみる

会社では有休消化が促されるようになり、1週間特に目的のない小旅行をしたりして、信州の野山をトレッキングしたりその自然を見たり直接手に触れたりして自分だけのちょっとした非日常を味わったりと、社会人になってずっと走り続けてきた自分の体と心を休めることができた。

無為な時間を自分に許してみる

私はたまに「生き急ぐ」と言われるほど新しいことを始めたり、ダッシュでやり続けるところがあり、「常に何かに向かって行動していること」が大切だと思っていた。
小学校の卒業アルバムの先生の言葉「役にたつ善人たれ」を真に受け、社会に出る=誰かの役にたつことが大前提だと(今思うと)思っていた。
今はとにかく体も心も前に進まない時期だったので、休日の美術のライフワークを緩めて、自宅にこもって映画を見たり観葉植物を育てたり、食べるのを憚っていたスナック菓子(ポテトチップスのサワークリーム味!)をたべたり、そして睡眠も夜10時過ぎに寝て朝7時に起きるという、長く眠ることも自分に許して過ごしてみた。

自分の強みに気づく

『そういう個と。』プログラムではギャラップ社のクリフトン ストレングスという強みの資質を扱うセッションも入っていたので、強み資質について何度か会話を重ねた。
セッションを受けて改めて思ったのは、自分の強みでないことで頑張るのは苦しいことで、逆に自分の強みで生きていくと気持ちよく、穏やかに生きられるということ。
セッション後に現実の仕事でアウトプットしていったのだが、焦らず少しずつトライしていると結果も変わっていくことに驚いた。

その後、変わったこと

いつの間にか(本当にいつから変わったかはわからないくらい)、穏やかな気持ちで過ごせることが多くなった。
以前は24時間仕事のあれこれが頭を離れなかったし頭の中を駆け巡っていたのに、それもなくなっていた。

この間に仕事では部署異動があり、人間関係も業務内容もガラッと変化があったのだが、それも大きなダメージなく今に至っている。
もちろん刺激が多いと疲れやすいので、刺激の量を少なくするようなコントロールはした。何でも自分が率先してやらないといけないと思いがちだったが、何かに気づいても放っておくこともできるようになった。放っておいたことは放ったままで問題ないこともあったし、誰かがそれを掬い取って対応してくれることもあったりして、自分がいち早くやらなくてもなんとかなることも多いと気づいた。

ブリッジズのトランジション理論が素晴らしい♡

『そういう個と。』の主催者さんはキャリアコンサルタントでもあるので、トランジション理論についても教えていただく機会があった。

これはアメリカの心理学者のウリィアム・ブリッジズ氏の理論で、人生の転機というものは、なんと「終わり」から始めり、次に「ニュートラルゾーン」を経て「始まり」がくるというもの。
人間はこのトランジションを何度も繰り返し、自分の人生を磨いていくもので、トランジションの始まりというのは(ここでいう「終わり」のところ)自分の価値観が今にそぐわなくなったから違和感やモヤモヤが出てくるらしく、その後ニュートラルゾーンを抜け、今の自分に合った価値観に脱皮していく、というのが一連の流れになっている。
トランジションは必ずしも大きな変化の中で起きるわけではなく、何かふとしたことから始まることも多く、うまくトランジション期を扱えるとアンマッチになったものがリニューアルされ、より快適に生きられるようになる。

私の二つのトランジション

会社員としての仕事

先ほど、最近仕事で部署異動の際に問題なく仕事ができていると書いたが、まさにトランジションだった。
旧部署ではコロナ禍でリモートワークの中で人間関係も仕事も一から構築して疲弊、ずっとこんな気持ちを抱えて仕事を続けるのは苦しいと感じていた。
辛い仕事の気持ちを書き出したり、信州一人旅で自分を振り返る時間を持ったり、父の他界で通過儀礼を通して振り返ったり、自分が刺激を受けやすくて疲れやすいと気づいたり、、、と内省の時間と体を休める時間をとったことで、新しい部署に移った時にスタートダッシュしないことを決め、ゆっくりと人間関係を築いた。
仕事そのものの分からないことがあっても右往左往せず、「そのうちわかるだろう」と適当に流すことができ(そしてそれが大きな支障がないことに気づいた)、今に至っている。
”仕事はきちんとやらないといけない”、”気づいたら早めに手当をしないといけない”、”気づかない人に腹がたつ”という今までの価値観や思い込みが、今では”重要なものだけ、やれる時間でやる”、”心配の9割は実際には発生しない”と思えるようになったこと、また自分の強みを活かすことに取り組み始めたことは私にとって良いトランジションだったと思う。

『そういう個と。』プログラムをトランジション理論で考える

トランジション理論が好きになった私が、このプログラムを振り返ってみると、まさにこの理論を使った構成になっていることに気づいた。

・家にこもってのんびり過ごす(一人になる時間と場所を確保する)
・ログを取る(記録をつける、自叙伝を書いてみる)
・素の自分、ありのままの自分を分科会で話してみる(本当にやりたいことを考えてみる)
このように自分の苦しさを認めたり、自分を振り返ったり、内省の時間を確保するワークが散りばめられており、トランジション理論のニュートラルゾーンで
推奨される行動(上記のかっこの部分)がプログラミングされている。

これからの私

一旦このトランジション期が終わり、穏やかな中に喜びもある生活を送っているが、これから何か変化があった時にこの理論を思い出してうまく乗り越えて次のステージでまたぬくぬくと楽しく過ごしていきたい。




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