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ここまでわかった犬たちの内なる世界  S2#10〜嫉妬   


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先日Twitterでこんな問いかけをしました。


すると、有難いことに皆様から様々なレスポンスがありました。

コメントを読んでみると、ある共通性に気づかされました。
飼い主さんが感じた「イヌの嫉妬」は、常に"社会的トライアングル"(三角関係)の中で起きているのです。

飼い主が他の人や他のイヌに関心や親しみを示すと、イヌは ねたみを示すような行動をとるというわけです。攻撃性を示したイヌもいました。

具体的なコメント、詳細については、後ほど紹介させていただきます。



嫉みは、犬の生活である

まずは、筆者が体験した群れ生活を覗いてみましょう。

牧草地でのルーティーンのひとつが、朝食のパンを焼くことでした。
トーストのにおいを合図に、レストハウスの前にわわさわさとイヌたちがやって来ます。味もさることながら、イヌ自身のにおいに似ているトーストの香りは、イヌたちにとって「気になって仕方がない」ということなのでしょうか。

ふだんは滅多にキューを出さない筆者ですが(最近では「コマンド」は古いという指摘があるので、ここは「キュー」で)、このときばかりは「オスワリ」を要求します。でないと、奪い合いになって収拾がつかなくなるリスクがあるからです。

筆者のキューに応えると、ごほうびとして(焼いていない)生地のパンを差し出します。この際、筆者が最細の注意を払ったのが、 全員に行き渡らせることです。もれなくみんなにパンが分配されると、安堵の表情が浮かびます。

もしも、みんなに行きわたらなければ、どうなるでしょう? 
食いっぱぐれたイヌは、不満をあらわにするのです。
もっと言ってしまえば、 羨望の眼差しと、嫉みの空気が、あたり一面に充満してしまうのです。極論すれば、嫉みは犬の生活なのです。

『そうだったんだ!イヌの心理学』使用のイラストをもとに作成 。新たに着色し構図を変えた。


筆者は、こうしたイヌたちとのやりとりの中で、イヌには一定の公平感がある。
少なくとも不公平を嫌う傾向があるということを実感しました。

パンという食料資源をめぐるイヌたちとのやりとりの中には、ひとつの特徴的な傾向があります。

その傾向とは、イヌたちは確かに不公平を嫌うものの、量的な不平等はそれほど気にしないということです。

隣のイヌのパンの一切れが自分のより多少大きかったとしても、まるで気付いていないかのように、平然とふるまうのです。イヌたちにとっては「ボクにもパンがまわってきたぞ。仲間はずれにされてないんだ」と実感できることが、大切なのかもしれません。

「公平感」については前回の#09で、 さらりと触れましたが、あえて深追いはしませんでした。

嫉妬とは、実はこの公平感の裏返しです。 この点については後ほど詳しく説明します。まずは、「公平感」 について話を展開していきますね。

犬は不公平を嫌う〜科学的検証でわかったこと


その後、 科学論文が発表されることで、”イヌの公平感”についても科学的検証が行なわれたことを、 筆者は知ることになります。

実験にあたりウィーン獣医科大学の研究チームは、あえて意地悪な空間をつくり出しました。前もって 「お手」を教えられていた43頭のイヌが対象です。

最初に、あるイヌに「お手」をさせ、報酬のトリーツを受け取るところを別のイヌに見せました。その後、見学していたイヌに同じように「お手」をさせながら報酬なしの状態を15〜20回続けると、そのイヌは「お手」を拒否するようになりました。

次は、2頭1組にし、並んで座らせました。「お手」をするように、交互に合図を出し、片方のイヌだけに 報酬のトリーツを差し出します。すると、報酬をもらえなかったイヌは、すぐに「お手」をやめました。

実験には別バージョンもあります。
今度はどちらのイヌにも「お手」をするとトリーツを差し出しましたが、質的な差をつけました。片方のイヌがもらったのはソーセージで、もう片方がもらったのは黒パンでした。結果は、2頭とも「お手」をし続け、満足げなようすを見せたということです。

この実験結果は、筆者の観察例と矛盾しておらず、基本的には符合しています。
つまり、 報酬の中味について平等に扱われるかどうかより、差別されることなく自分の努力が報酬に結びつくかどうかを気にしているということです。

この結果をもって、イヌは「公正さ」を 求めているとまでは言えないとしても、不公平を嫌うということは明らかです。

イヌは「公平感」を 人間ほど厳密ではないかもしれませんが、きちんと持っているのです。

報酬をもらえないとすぐに「お手」をやめる犬、 もらえなくても「お手」を続ける犬

直近の2020年の研究では、不公平な扱いに対して不満を持つことに変わりはありませんが、犬種グループによって反応に違いが出たと報告されています。
ざっくり言うと以下のような塩梅あんばいです。

独立作業犬種(秋田犬、柴犬、バセンジー、シベリアンハスキー)は、報酬がもらえないとわかるとすぐに「お手」の回数が減少した。

共同作業犬種(オーストラリアンシェパード、ボーダーコリー、ラブラドールレトリーバー、ラフコリー)は、報酬をもらえなかった後でも、独立作業犬種に比べて長時間「お手」を続けた。

参考画像1   バセンジー

DNA検査から最も古いタイプの犬の1つだと判明している、 中央アフリカ(現在のコンゴにあたる地域)
原産の古代犬種である。 バセンジーの名前は、「やぶに棲む野生犬」という意味のスワヒリ語が由来だ。
犬の発情期は年2回が一般的だが、この犬種は野生の犬族と同様で1回だといわれている。めったに吠えない犬として有名だ。実際、猟犬として働くバセンジーは声を出さずに静かに獲物に近づくことができる。
遠吠えには、特徴がある。この犬は、アルプスのヨーデルのようなエキセントリックな声を上げるのだ

参考画像2 オーストラリアンシェパード

先祖はオーストラリアの牧羊犬だが(1800年代にバスク地方からオーストラリアへ移住した羊飼いが牧羊犬として持ち込んだ犬が先祖だとする説が有力だという)、米国カリフォルニアでグレート・ピレニーズや複数のコリー種などが交雑して犬種として定着した。かつてはアメリカ以外ではほとんど見かけることのない犬種だったが、現在は世界中に生活の場がある。探索や救助等で素晴らしい適応性を示すといわれている。忠実さと意志の強さには定評があり、家庭犬としてもポピュラーな犬種になりつつある。写真の犬は、運動能力とパフォーマンスの高さ、身体的な美しさ、表情を含め被写体として申し分のない犬だった


✔️2つのグループの反応の違いからは、研究者が論文の中で述べているように、犬種グループによって人間と一緒に働く意欲や動機が異なる可能性を読み取れます。

たとえば、共同作業犬種のイヌは、人間の指示に従わなければならないという脅迫観念のようなものが強まったのかもしれません。 これは少し言い過ぎでしょうか。あるいはそうではなくて、人間との相互作用にやりがいを感じる度合いを高めたという見方もできます。

この後、ちょっと寄り道をしますね。
”犬まっしぐら”の方は、次の項は飛ばして読んでいただいても構いません。


恐るべき嫉みのポジ要素


嫉みは人間自然の情である。とはいえ嫉みは罪悪であり、かつ同時に不幸である。だから嫉みはわれわれの幸福の敵として、悪魔として、これを一生懸命に退治するがよい。

ショーペンハウアー『幸福について―人生論』(橋本文夫訳、新潮文庫)

19世紀のドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアーが残した言葉です。 ”格言”としてネット上にもあげられています。

現代においても、嫉みという言葉には、 極めてネガティブな印象を持つのが一般的です。嫉みとはコンプレックスや敵対心を伴う心の痛みだととらえれば、 確かにマイナス感情と言えるでしょう。

しかし、 嫉みという感情にはポジティブな側面もあるのです。

アフリカのタンザニアにニャキュウサ族という部族がいます。
この部族の男たちは、ミルクや肉のような食物を摂る際には、必ず複数の友人を自宅へ招き、分け合いながら食べるそうです。
なぜなら、ミルクや肉は食欲をそそるので、そうしないと妖術師に嫉まれる恐れがあるからです。
この社会では妖術の被害を受けやすい人は、ケチで不親切な人間だと信じられています。

また、 パラグアイの先住民アチェ族の場合は、日頃から分配指向性が低いと思われている人(要するにケチな人)には、一時的に動けずに困っていたとしても援助しないそうです。

文化人類学的な視点に立って、こうした部族社会の慣習を踏まえると、次のことが 言えます。

☑️嫉みには、平等に分配する必要性を思い起こさせ、フェアにみんなに分けるように促す役割がある

イメージとしては、次のような流れです。

 嫉妬をアピールする
    ↓
みんなにちゃんと分けようね」という圧力がかかる
    ↓
公平な社会になる(可能性を高める)

ホモサピエンス(ヒト)の遠い先祖の狩猟採集時代も、先に例として挙げた2つの部族とそれほど大きな違いのない共同体だったとすれば、この公平性と嫉みの力学のようなものは、進化の過程でヒトが遺伝的に獲得したものだと推断できます。
このあたりのことは、AERAの「子どもの素朴な疑問に学者が本気で答えます」が参考になります。

上記の2つの部族の例示だけではぴんとこないかもしれませんが、実際、上の☑️で示した見解を学説として唱えている科学者もいます。
そのうちの1人である進化社会心理学者のサラ・ヒルSarah E. Hillによれば、進化の過程で、他者の優位性に対して嫉妬を経験した者は、嫉妬を経験していない者よりも、自分がメリットを得るために努力する可能性が高く、資源 リソース獲得の成功率も高まったということです。

こうなると「嫉妬」は、 個人がレベルアップするための社会的スキルのようなものにも思えてきます(笑)

真面目な話、この項でわざわざ寄り道をしたのは、嫉み(英:envy)が、どういう性格を内包しているものなのか、この機会に見つめ直しておきたかったのです。
(人類の進化の過程で、 嫉妬が果たした役割 については、考古学や脳科学、心理学の知見を踏まえた研究がされています。 筆者は専門外なので、これ以上立ち入るのは控えます)

あ、誤解しないでいただきたいんですが、イヌの公平感の動機がヒトと同じだと言う気はありませんよ。 イヌの嫉みが、公正な群れ社会をつくるための圧力になっているとまでは、この2本足の犬もさすがに考えていません。

もちろんイヌたちにも、公平感を身に付ける動機があったはずです。
イヌの先祖は野生時代に群れをつくって狩りをしていました。「不公平はいやだ!」という感受性が身についていなければ、獲物の分け前を得ることができず、食いっぱくれることになりかねません。そればかりか、周りからいいように使われてしまうことだってあったでしょう。
公平性に対する感受性は、 協力して狩りをする際に、自分にも所属する群れにも、有利さをもたらしたことでしょう。


犬とオオカミは、フェアプレーの感覚を共有しているか?


犬に一定の公平感があることは疑いようのないことですが、できることなら知りたいのが、下記のどちらが真実かという点です。

🅰️イヌは生得的(生まれつき)、 遺伝的に公平感を持っている

🅱️イヌは人間に家畜化されたことで人間の影響受けて、公平感を身に付けた

この問題を考える上で、手がかりになるのはオオカミの感受性です。もしも、オオカミが
「不公平に対する嫌悪感」を持っているなら、 答えは🅱️ではなく🅰️になると考えられ ます


オオカミに実験を行なったら、イヌと同じ傾向になるのでしょうか?
この謎解きを試みたのが、ウィーンの獣医大学の科学者たちです。

研究グループは、イヌと同じように育てられた群れで暮らす2頭のオオカミをブザーを備えた隣接するケージに入れ、オオカミが前足でブザーを押すと、両方のオオカミが報酬を得たり、 片方が何も得られ なかったりという シチュエーションをつくりました。

不公平がマックスになると、オオカミは 作業を止めたといいます。

研究に当たったジェニファー・エスラーJennifer Esslerが BBCの記者に語ったところによると、あるオオカミは、パートナーが 報酬を得たのに自分は何も得られない状況が3回続くと、作業を放棄しました。 そのオオカミは とてもイライラし、装置を壊しにかかりました。

この実験の結果から、1つの仮説が成り立ちます。

✅公平性の感覚は「家畜化」 によって生まれた わけではなく、 イヌとオオカミの共通の祖先が既に持っていて、それが子孫に共有された。

オオカミで1度、イヌでもう1度、合計2回の進化が起こったとは考えづらいので、 理にかなった仮説と言えるのではないでしょうか。


わたしが犬の嫉妬を感じた瞬間


冒頭で前フリしておいた「あなたが犬の嫉妬を感じた瞬間」の話題に移ります。

Twitterでの皆さんからのリプの一部を紹介させていただきますね。
(スペースの関係もあり、全てを紹介できずに申し訳ありません)

皆さんコメントありがとうございます!

プロレスという”遊び”を通して注意を喚起するわけですね。
病院に行くと分かっていて拗ねているとしたら、 なかなかますますツワモノ感
が漂ってきますね。

割り込んで、押しのける。典型的な嫉妬のしぐさのように思えますね。

飼い主さんは、嫉妬の嵐の中を楽しんでおられるとのこと。 こうしたユーモア
を解する 心のゆとりのようなものが、イヌたちにも伝染して好影響をもたらす
といいですね(もうそうなってます?)

散歩中に、それぞれのイヌがかなり本気で襲ってきたとのことでしたが、 
災難でしたね。 全員同性の雌だそうです。 以前、雄イヌの騎士道精神について
お話ししましたが、 このシチュエーションにもそうした気風は健在だということ
かもしれませんね。

グイグイですか? これもやはり典型的な嫉妬行動の1つと見なせそうですね。
いちど動画を見てみたいです(密かにリクエスト)。 でも第三者の協力が…
もちろん、もしチャンスがあればということで。

老婆心ながら、散歩には一緒にお連れするのがbetter な気がします。
と一般論を言っても、 現実問題として、おひとりで3頭は厳しいですよね。 
外野は勝手なことを言うものです。

イヌの気持ちを察すると、あり得ますね我慢の限界。 お孫さんを抱く前に、
ハリ坊さんを撫で回しておくという、ひと手間かけるのも一考ですね。

                 ✳︎

飼い主さんが、「これって嫉妬だな」と思い描くような行動に出るときのイヌの気持ちを察すると、 こんな心理が働いているかもしれません。

✔️「愛情や注目が奪われる」と感じ、自分が「孤独になる」のを恐れている

もちろん、これもひとつの仮説にすぎません。イヌの心情を、ラベルを貼るように単純化すべきでもありません。そこには微妙な気持ちの揺れもあることでしょう。

紹介させていただいたコメントからも察しがつくように、飼い主サイドからは、
イヌの嫉妬は、不安や怒りなどと同じくらいイヌの一般的な感情としてとらえられてきました


しかし、イヌが嫉妬するという報告が、数多あまた 上っているにもかかわらず、イヌの嫉妬を示す実験的証拠はなかなか上がってきませんでした。 やや乱暴な言い方が許されるなら、飼い主の実感に科学が追いついていなかった、 その典型とも言えるのが「嫉妬」だったのです。

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