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#えんどうnote 自分が何者でない事を自覚すると楽になる

どうも、えんどうです。

ソーシャルメディアの登場以来、自分がどのぐらいのアカウントにフォローされているのかを喧伝するユーザーが増えた印象です。

さも、自分が何者かである事を自慢するかのような美辞麗句にもならない文句「○ヶ月でフォロワー○名達成!」とプロフィール欄に書かれていたりします。

そこまで自分を大きく見せたい気持ちはわからないでもありませんが、それをいつまで続けるのかな、とボクみたいなおじさんは思ってしまいます。

別の角度で「SNSの総フォロワー数〇〇!!」みたいな出し方をしてるユーザーまでいたりして。「これはなかなかだな...」なんて思っていたりするボクです。

その足し算になんの意味があるのかはわかりません。

ユーザーが被ってるものだってあるでしょうから、決して総数が多いからと言って誇れるものなのかどうかの判断に難しいのです。

しかし、経験をしないことには意義があるのかどうかを判断すべきではありません。「ためしに...」と試算してみることにしました。

ボクの総フォロワー数は6107でした!
(内訳)
Twitter:2336
note:1780
Facebook:1196
LinkedIn:795
(2021.07.16時点)

...困りました。なんの感情も湧きません。

今回は、そんなふうに大きく見せようとすればするほどに苦しくなったりするし、自分が何者でもない事を自覚すると楽になるよね、なんて雑談です。

知人や友人に自分が何してるか聞いてみる

いま、自分がどんな仕事をしていて、それがどんな業界で、その事業は社会でどれだけの人から求められてるのか、なんてことを知ってる人、どのぐらいいそうですかね。

先日、友人や知人にたまたま連絡を取る機会に恵まれました。その際ぼくが何をしてるのかをイチイチ説明しなければならなかったのですが、それが気持ちいいのなんのって。

もちろん、面倒な部分はあります。ところが、その面倒さも含めて「あ、自分ってやっぱり何者でもないんだな」って再確認できたことに喜びを感じた次第です。

中には「あ、見てるよー」とか「#えんどうnote、たまに読んでるよー」みたいにうれしいことを述べてくれる人もいます。たとえ、それが社交辞令だったとしても気にかけてもらえること自体はうれしかったりするのです。

何がいいたいのかというと、自分とこれまでに何かしらの関係を持っている人だったとしても自分のこと以外なにをしているのか逐一把握することなんてできませんし、そもそも把握しません。

じゃ、その友人や知人に「俺(私)さ、SNSのフォロワーの総数が〇〇なんだよねー」とか「○ヶ月で〇〇フォロワーまでいったんだよねー」なんて話したとしても「うん、、で?」です。

よくて「えー、すごーい(感情の起伏なし)」です。

友人や知人でそうなんだから赤の他人にそれを誇張している人がいたとして、どう反応するのかといったら「お、おう...」しかありません。

だって知らないし興味ないもん、自分(あなた)のことなんて。

自分(あなた)が今何してるのかを説明できる人

じゃ、自分(あなた)が、いま何をしているのかを事細かく説明できる人なんているのかっていえば、繰り返しになりますが自分以外にはいません。

我が家の妻さんなんて、ぼくに指を刺しながら「何様だ、貴様は。勘違いするなよ。」といってくれます。

たとえば、Twitterでつながった著名人とイベントやるとか、その資金調達のためにクラウドファンディングやるとか、宣伝告知のためにラジオに出るとか、取材されて新聞載ったとかってなっても、「で?」なわけです。

その度に、ぼくは大したことをしているわけではなく、自分がやりたい事をやっている、あくまでもそれは趣味の範囲でやっているだけなんだと自覚することができますから、それはそれでありがたい限り。

彼女がそうやって指摘してくれるからこそ、勘違いしないでやってこれているのだろうことを認識できます。

彼女は「ぼくがSNSのフォロワー数が多いから結婚したのか」といえば違うでしょう。上の発言からもハッキリと自覚することができます。

あくまでも彼女にとって大事なのは綺麗事しか並び立てられないSNS上での発信なんかじゃなく、いかに家族に貢献するのか、外貨を稼いでくるのか、といった現実的な視点での行動だけが評価対象

ぼくが「SNSの総フォロワー数、〇〇になったよ!」とか言い出そうものなら、そもそも話を聞かないでしょう。

むしろ「そんなことよりご飯つくって。いや、早く帰ってこい。いいか、残業なんてできると思うなよ。」と、生活における現実的な貢献を具体的に求められます。

そう、ぼくは何者でもないのです。

まずは身の丈を把握し自覚しよう

我が家の場合は妻さんが現実的な視点でボクをみてくれているから家族の中で勘違いを起こすことはありません。そして、ぼくは自分が大した人間でもないことを自覚しています。

自覚するに至ったのは、ある環境であまりにも仕事ができない自分を目の当たりにしたことから。

理想の自分とやらを求めて高い階段(目標)を設定していたことけれど、蓋を開けてみたら何もできない自分を露呈させたことがきっかけでした。

自分にできなそうなことを自分自身に求めてしまう、つまりは背伸びをし過ぎてしまうことは、ただただ虚勢を張っているだけで何もできないことを自覚するには十分でした。

それ以来、目標設定は可能な限り低く、確実にできることの繰り返しで取り組むようにしてます。

結果論として、会社やコミュニティの中で貢献できるように考えていますし、目標設定を低くすることで自分の責任も自覚しするように意識しているつもりです。

いくらSNSでフォロワーが多いからといっても、それを知らない人なんて沢山います。それより、あなたを知ってる人たちからみて「あなたがどれだけ現実的な貢献をしてくれるかどうか」の方がよっぽど重要なのです。

どんなことが理想なのかはわかりませんが、少なくとも「現実的な貢献」と「SNSでの活動や発信」がきちんとリンクしてるといいですよね。

それを確認してみるだけでも意義がありそうだな、なんて思っているのでした。

ではでは。

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書いた人のなまえ:えんどう

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人事/広報(PR)ディレクター/ 株式会社アシスト(新潟エナジー) http://niigatadenki.com (新電力)【これまで】PR/ Maketing / SNS /オフィスえんどう(個人屋号) 【ほか】 #えんどうnote

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