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あなたもわたしも老害化することを自覚するべきだ

ようこそ、お越しくださいました。

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。 どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

このnoteでは、特に読む必要がないと感じられることかもしれないけれど、ぼくがだれかと対面して話したい”雑談”を文字化するものなので、そんな雑談にお付き合いくださる方は、ぜひ読み進めてください。

さて、今回の雑談は「老害化」について。

年令を重ねてくると経験が積み重なるからか、新しい価値や挑戦する心を持ち合わせている若者に向けて抵抗したがる人になってしまう、それが老害化ではないでしょうか。

ぼくも老害にはなりたくないと思っているものの、きっと若者たちからすると老害になってしまっているのだろうと思うばかりなのですが、それを自覚することと対策について話ができたらうれしいです。

どんな若者もいつか老害化する

いま、10代や20代の若者カテゴリーに入っている人もいつしか老害化します。

それはオジさんとオバさんになるってことではなく、若い人たちのやること成すことにケチをつけては失敗を許容せずに否定ばかりするような器の小さい人物になってしまうってことです。

老害に関する記述が研究分野でも多くはないため、明確な定義を見つけることはできていないのですが、どうやら経験に裏付けられた狭い価値観の中で培われるものであるといえそうです。

つまり、自分の成功体験を他人に強要しようとするだけでなく、自己と他者の境界線が極めて曖昧な状態で生きつづけてしまっている人のことを「老害」と呼称するのかもしれません。

どんなに若い人でもいつしか自らの体験会得した成功事例を基にした判断を繰り返した結果、他人に秘訣や判断の素地を知識や体験談として提供しようとすることを想定すると、誰しもが老害化してしまうことは否定できないようにも思えてきます。

個別の事例ならまだしも、年齢や世代によって「わける」ことを若者に向けて語りだすような瞬間から老害化がはじまっているといえるのではないでしょうか。

まだ自虐的に「老害」と自称する人は自覚している人だと捉えることができますが、そうではない人も一定数は存在することで老害が話題になるのだろうと思わざるを得ません。

老害化した人の特徴

老害化した人の特徴はいくつかあるでしょう。

  • 見た目からして謙虚さがない

  • 謙虚なフリは得意

  • 年齢マウント、社歴マウントが得意

  • いやに自信たっぷりな態度と発言

  • 経験したことを強要する

  • 他人の判断を信用しない

  • 硬直化した思考

  • 頑なな意思と意見

他にも挙がってきそうな…というか、いくらでも挙げられそうなため、このへんで切り上げておきますが、それとなく人物像が浮かんできます。

冒頭でも記載しましたが、自己と他者の境界線が曖昧な人に限って口うるさく指示や叱咤を繰り返してきますし、口から飛び出すのはツバだけでなく攻撃的なことばの数々も投げかけられてしまうため、直接対面した人たちは顔を拭くだけでなく心まで洗浄することが必要となります。

多く老害化した人たちが勘違いしていることは、自分が老害だとは露も思っていない点と自らの意見は目下の者から尊重されるべきものであるという誤解。

目下の者って誰だよって話ですが、そうやって人をラベリングして上下関係を構築しないと気がすまない人って捉えると、明らかに傲慢で頑なな人物が浮かんできませんか。おそらく、その人は老害化しているのではないかと思いますが、どうでしょう。

老害化に立ち向かう若者

日夜、老害化した人に立ち向かっている若者たちがいます。

ただ、若者だからといって老害をバカにしていいのかといったらそういうわけでもないでしょう。若者だっていつしか老害化してしまう可能性は存分にあるわけです。

若い人たちと老害化した人たちの間にあるのは「経験」と「知識」の差を筆頭にした「蓄積」をひけらかす態度だといえます。

それは年齢による生活ステータスもそうだし、社歴や実務歴といった業務や作業内容に関わってくることまで含まれてしまうため、それを経験していない若者たちが不利な状況にあることは間違いないでしょう。

ところが、若者たちもそれらを経験会得してしまった瞬間から未経験の人たちに向けたマウントを取れるような状態・状況になってしまうことから、いつでも老害化する準備が整ってしまう点には注意しなければなりません。

古い風習の体育会系よろしく、上意下達のYes-man醸成組織においては、下となりがちな年齢が下な人たちに対する失敗を許容しない態度も含め、少しでも年齢が上の立場でそれを傘にきた態度を取ろうものならいつだって老害化してしまいます。

何も実年齢がオジさんとオバさんになってきたからなるものではなく、何かしらの経験や知識といった未知や無知をバカにする態度をとった瞬間から誰でも老害と呼称されても仕方がないのです。

老害化を自覚と自重

では、老害化を自覚するために、もしくは自らの老害化を自覚したうえで何をどうしたらいいのでしょうか。

唯一無二の答えがあるとは思えないのですが、いま時点でぼくが考える解の一つが「謙虚」であることです。

これまでに年齢を重ね、明らかに経験値がすばらしいものであると思える人であったとしても、それを大きく見せていいときとそうではないときの棲み分けをきちんとできている人はとても魅力を感じる。

なんというか、スマートでもあるし清潔でもあると表現するのが適切か、何よりも「清廉なのである」と評するにふさわしい姿勢や態度をとってくれます。

年上は敬うべきだというけれど、敬うべき人とそうではない人はいるはずです。

上記しているようなスマートで清潔な人は敬われるべきでしょうが、傲慢で口蓋にヨダレをつけてはツバを飛ばしてくるような話し方しかできない人は表面的には(面倒だから)敬われるでしょうが、根本的には尊重も尊敬もされない人になってしまうでしょう。

その二例の違いは何かといえば、当人が謙虚であるかどうかの違いしかありません。逆をいえば、それしかないように思えます。

いくら経験することが増えたところでノーベル賞を受賞できるような偉人になれるわけではありません。ノーベル賞を受賞できるような人たちは自らが研究した分野については知っているものの、他の分野に関しては無知であることを実感する日々なのではないでしょうか。

これは完全に憶測でしかありませんが、無知の知ってやつです。

ひとまず、老害化を避けることや仮に老害化を自覚したのなら、謙虚であることを自覚することから始めるべきでしょうね。

ぼくが人よりもできないことがたくさんあるからかもしれませんが、自信を持つことで自らを大きく見せるよりもいかに小さく見せるかを考えてばかりいます。

これが謙虚さかどうかは知りませんが、仮にぼくが傲慢な態度を取ろうものなら叱ってあげてください。お願いします。

ではでは。

えんどう

おまけ

紹介したいnote

老害とは“「若い人に失敗する権利を許さない」”という意見。たしかに老害は自分の意見こそが尊く正義の主張であるとし、他人が判断し起こした失敗をひどく避難しますからね。自分だって失敗するんだから、他人の失敗にも寛容になれよって話です。

老害は自信がない人だと。たしかに自信がないからこそ、自分を大きく見せようとするのかもしれませんね。もしくは常に危機感を持つような心理的安全性を感じられないからなのかもしれません。だからといって他人に強固な態度を振りまいていいことにはなりませんが。

老害にならないための三カ条が記載してある。非常に大切な三カ条だと思えた次第です。これを守ろうとするかどうかによって大きく人生が変わってくるようにも思えます。みなさん、老害化することをどうにか避けていきましょう。

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