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目には映らないきみが、泣いた気がする

もう居ない弟の話です。
弟は被害者という立場で亡くなりました。加害者にあたる方は、人を死なせるべくして死なせたようなばかものでした。
加害者は死人に口なしとでも言うかのような発言で、もう過ぎたことですからとでも言うかのような態度で私の弟を侮辱しました。
弟を無くしてから、それはそれは酷い日が続きました。
色々なことがありましたがそのひとつひとつの出来事の中でちょっとずつ弟の名誉を傷つけられているように感じました。

私にとって、太陽のような弟でした。
弟の顔を思い出す時はいつも笑わせようとしてくるときのおどけている顔やふざけている顔ですが、この時期の私は、弟が泣いてる気がしてならなくて、面影を探しては声を聞こうと必死でした。



弟が死んでから、弟の姿を見たり声を聞くほど私は狂えませんでした。夢に出てきてくれても、起きた瞬間からは、私の目に弟が映ることはありませんでした。もう居ないので当たり前です。
心の中で生きてるとか、天国で笑ってるとか思えませんでした。弟に起きた出来事は、ゲーム中にコンセントをいきなり抜かれることと同じだと姉がいいました。本当にそうだと思います。
もう何もありません。こんな言葉は私たちが前向きに生きていくための気休めでしかなく、弟はもう泣くことも笑うこともできません。
だからきっと、これは思い込みでもあり、弟の意識が続いていてほしいっていうだけのあれです。

主に私と母親のせいですが、高校くらいまで家庭内ギッスギスで家族の機能は弟と父、姉と母みたいに、細い部分でしか機能していませんでした。高校の終わりごろ私の大暴れの末に少しずつ家庭っぽさを取り戻していきました。私もやっと弟や姉、父と仲良くなり初めて、そんな時だったんですけどね。
本当に限界すぎた時に、ちゃんと死ねていれば、また別の形にそれぞれの人生が動いて、弟は生きていたんでしょうか。
考えたところで意味がありませんね。
喪失の痛みがずっと消えません。

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