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『アインシュタインと原爆』(BBC Studios for Netflix)オッペンハイマーとは異なり、大統領宛の手紙に署名しただけですが...

E=mc² は少量の物質が大量のエネルギーに
変換されることを示している

使用されれば大量破壊兵器・大量殺戮兵器と化す原爆や水爆が開発された経緯を遡ると、アルバート・アインシュタインが1905年に発表した論文「物体の慣性はそのエネルギー含有量に依存するか」に辿り着きます。

If a body gives off the energy E in the form of radiation, 
its mass diminishes by E / c².

原典
ではラグランジュ力学で用いられる表記で
If a body gives off the energy L in the form of radiation, its mass diminishes by L / c².

DOES THE INERTIA OF A BODY DEPEND UPON ITS ENERGY-CONTENT?
by A. Einstein, September 27, 1905

また、1951年にアメリカで実現された原子力発電(核分裂発電)も、世界中で研究・開発が続けられている核融合発電も、質量とエネルギーの等価性を利用するものです。

さて、一つ前の記事『科学者や公職者が自ら演じた(オッペンハイマーも出演した)再現映像『原子の力!』(1946年)』で紹介したニュース映画の中でアインシュタインが自ら演じた再現映像にも描かれているように、第二次世界大戦が始まる直前に、アインシュタインはフランクリン・ルーズベルト大統領宛に原子爆弾の開発を請願する手紙を認め(てしまい)ました。

この手紙が一つのきっかけとなって、マンハッタン計画が始動し、終戦直前の広島と長崎への原子爆弾投下に繋がりますが、この手紙は元来平和主義者であるアインシュタインにとって生涯唯一の汚点となりました。

(前略)

三人(レオ・ジラード、エドワード・テラー、ユージン・ウイグナー)は、アメリカの原爆開発がドイツの原爆使用を回避するだけでなく、原爆を使った戦争をすれば、戦争の勝者も敗者もなくなり、戦争そのものができなくなるだろうと考えました。そうなれば、通常兵器を使ったあらゆる戦争も廃止できるだろう。彼らはアメリカの原爆開発にきわめて楽観的な、夢のような期待を抱いていたのです。彼らは、アメリカ政府を動かすには、同じ亡命科学者としてナチスのユダヤ人弾圧に心を痛めているアインシュタインの知名度を利用して、ルーズベルト大統領に手紙を書いてもらうことを考えつきました。一九三九年の七月一六日、ジラードとウイグナーはロングアイランドの避暑地にアインシュタインを訪ねました。アインシュタインはこのとき初めて、連鎖反応と原爆製造の可能性を知って驚きました。同時に、ジラードらのアメリカ政府を動かそうとする意図も理解しました。この時は、アインシュタインが手紙の内容をドイツ語で口述し、それをウイグナーが書き取って持ち帰り英訳しました。この手紙は、後に何度も書き変えられ、大統領宛の手紙の草案になりました。

ジラードは、ルーズベルト大統領とつながりの深いアレキサンダー・ザクスを通してアインシュタインの手紙を大統領に届ける道をつけました。そこで、七月三十日、今度はジラードとテラーがロングアイランドにアインシュタインを訪ね、大統領宛の手紙を再検討しました。この時の手紙の草案をザクスとジラードが検討して手紙を作成し、アインシュタインが署名しました。これが有名な「アインシュタインの大統領宛の手紙」となったのです。

ザクスがこの手紙を大統領に届けたのは二ヶ月以上を経た十月十一日でした。その時すでに、ドイツはポーランド侵攻を開始し、第二次世界大戦が始まっていました。ルーズベルト大統領は、さきの手紙を受け取ると直ちに「ウラン諮問委員会」を発足させました。「ウラン諮問委員会」は十一月一日付けで大統領宛の報告書を作成しましたが、この報告書は一九四一年秋、英国から原爆製造の可能性を具体的に示す報告書が届くまで大統領のファイルに収められ、眠ったままになっていました。

(後略)

「原水協通信」2002年8月号(第702号)

『オッペンハイマー』をご覧になって核兵器(および核の平和利用)全般への興味を新たにされた皆さんに、先々月から Netflix で公開されている『アインシュタインと爆弾』をお薦めします。

当時の写真や映像が多用され、長編ドキュメンタリーのような趣がありますが、脚本と演出の都合上、日時が進んだり戻ったりするので、ストーリーの展開に多少違和感があるかもしれません。

尚、お時間があれば、昨年放送された映像の世紀・バタフライエフェクトも(番組終盤の金融市場に関する叙述は端折って)ご参照ください。


(前略)

映画は3時間の大作だ。第2次世界大戦中、米国が原爆開発を進めた「マンハッタン計画」の進行や戦後の波紋を、主に計画を率いたロバート・オッペンハイマーの視点から描く。ただ、時間軸は一定でなく、戦中や戦後を何度も行き来する。一見、関係がない場面が次第に結びつきながら、物語をつむぐ。

 複雑な構成は、意図的だ。

(後略)






On February 2, 1931, film star Charlie Chaplin (center-right) attends the premiere of his newest film City Lights in Los Angeles, accompanied by his guests of honor: physicist Albert Einstein, and his wife, Elsa Einstein.

名称    広島市立高等女学校原爆慰霊碑
建立年月日 1948年8月6日
所在地   広島市中区中島町1番(元安川河岸、平和大橋西詰)
建立者   広島市女原爆遺族会
建立経緯・来歴等
この地付近で建物疎開作業中被爆し、全滅した広島市立第一高等女学校(現在の舟入高等学校)職員生徒の霊を弔うため、遺族会が1948年、母校校庭に建立し、1957年、現在地に移設した。E=mc²は原子力を意味する。尚、この碑と同様に広島市立第一高等女学校職員生徒の犠牲者を慰霊する碑として、「広島市立高等女学校職員生徒原爆追悼碑」(東区)がある。

(正面)

E = mc²
(背面)

友垣にまもられながらやすらかに
ねむれみたまよこのくさ山に
昭和23年8月6日 宮川雅臣
(横の石碑の正面)

広島市立高女 原爆慰霊碑
(横の石碑の背面)

この碑は昭和20年8月6日8時15分この地附近で家屋疎開作業中原爆に遭って全員殉職した広島市立第一高等女学校報国隊職員生徒679柱の霊を弔うため遺族会が昭和23年忌日母校校庭に建立同32年13回忌に現地に移したものである
碑面の浮彫は河内山賢祐氏の作で国家の難に挺身した可憐な生徒たちを「あなたは原子力(E=mc²)の世界最初の犠牲として人類文化発展の尊い人柱となったのです」と慰めている姿をあらわしている


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