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『あかり。』第2部・#40 グリコポッキーの頃・相米慎二監督の思い出譚

あの頃。相米監督が、次の一手にチベットを舞台にした映画を考えていたのは間違いないだろうが、大掛かりな作品だけに、早々に実現するとも思えなかった。

それで暇つぶしにポッキーのCMを撮ることにしたのかもしれないし、それこそある程度は働かないといけないのだから、引き受けない選択肢もなかったのかもしれない。

旧知の大阪の広告代理店の仕事だしE社の仕事でもあった。

広告的には、いくつもの青春映画で名を馳せた監督に、旬のアイドルたちを撮らせるというのは企画書映えがする。

ただ、それだけでもなかったような気がする。

クライアントの看板商品を引き受けるのは、大変なことなのだ。
責任というか、結果が求められる。それはクライアントにとっても、それを任せるのは決断がいる。監督はCMの人ではない。
その決断の一役に、それまでのクルマのCMシリーズで、CM的に破綻のないものを撮ってきたことが、品質保証になっていたような気もしている。
特にグリコのCMは15秒がメインだ。監督にはとても短い時間である。

キャストは、吉川ひなの・鳥羽潤、安藤政信・奥菜恵、常盤貴子・椎名桔平の3カップルで計6名。
当時、どの人も売れっ子だった。

監督は興味がなさそうにしていたが、キャストを説明するとわかったというふうに頷いた。

「カメラはMさんにお願いしようと思います。照明はKさんです。美術はKさんです」と、僕が言うと
「おお、そうか。みんなやれんの?(スケジュール大丈夫なのか、の意味)」と、少し嬉しそうだった。
「みなさん、楽しみにしてるそうですよ」と言うと、
「あーそう」と、ビールを飲んだ。

実際、スタッフは早々に監督に再会できるのをすごく喜んでくれて張り切っていた。それは僕も同じだった。

このメンバーがいれば、百人力というか、安心できる。きっとみなさんが、アウエイの僕を助けてくれるだろう…と甘えた考えもあった。

監督はスタイルを変えるわけがないので、僕らスタッフでCMクオリティーになるべく、そこは品質保証しなくてはならないのだ。

尺(秒数)との闘いも、また始まる。

企画書の内容を見れば、函館の有名な坂を舞台にした三組の恋模様を描くシリーズで『グリコ・ポッキー坂恋物語』とある。

僕らは良くても、監督が今さらこの手のほんわかした内容のものと、どう向き合うのか…それが興味をそそられた。

ただ、それだけではない。僕はもう会社員ではないのだから、気を引き締めて仕事しないと、海で溺れてしまうのだ。


広告代理店の責任者(クリエイティブ・ディレクター)に、今まではどうしていたのか? 監督はコンテを描くのか? ワンシーン・ワンカット(長回し)なのか? 詳しく聞かれた。多分、心配だったのだろうと思う。       それで、なんとなくの今までのやり方を話したら、その線で今回も行こうと言われた。その人は穏やかな人で、あまり関西弁もきつくなく、関東人の僕は少し安心した。それまで大阪の仕事をしたことはあったが、たいていコテコテの関西人で、少々閉口していたのだ。当たり前だが、関西人にもいろんな人がいるのだ。


お互い時間が自由なので、監督とは映画や舞台を見たり、よく飯(酒)を食べた。たいてい、打ち合わせの後が多かったが、より気軽に誘えると思ったのか、監督はいろんな場所に連れて行ってくれた。

確か、その頃ではなかっただろうか。
成城にある大手映画会社のプロデューサーと監督が久しぶりに会うというので、ついていくことになった。その方は、映画『雪の断章』のプロデューサーであった。この映画は、なんていうか監督の映画の中でも評価の分かれる映画で、正直よくわからない仕上がりであるのだが、冒頭の十数分で主人公の生い立ち(数年分)をワンシーン・ワンカットで撮るというめちゃくちゃな導入部が話題となった。

薬師丸ひろ子に続いて、斉藤由貴もスターにしてほしい思惑が、映画会社にあることが透けて見えた作品だと、子供心に思った。そういう映画が、公開当時はたくさんあった。今はむしろないと思う。売れているアイドルを起用することは多いが、映画で新人を売り出すのは時代にそぐわないのだろうか。それともリスキーだからだろうか。たまにはあってもいいと思うのだけど・・・。

で、その『雪の断章』、セットも大きければ、カメラワークも大変なもので、これに関わったスタッフの方々の努力には頭が下がる。それに、それを許したプロデューサーもなんだかすごい。普通、絶対に反対するはずである。

最初の店は、祖師ヶ谷大蔵の有名なもつ焼き屋だった。なんだかテンションの高い人だったが、「今、オレについてくれてんの」と僕が紹介されると「それは、なんていうかもう」と深々と頭を下げるのであった。こちらは恐縮するばかりであった。僕が酒が弱いと説明されると「じゃあ、どんどん食べなさい。ここのもつ焼きは旨いんだ」とバンバン串焼きがさら卓上に並んだ。本当に美味しいので、僕もモリモリ食べた。
この世界、『食が細い奴は信用されない伝説』がある。         たくさん食って飲んで、ガンガン働く。まるで日雇い労働者的な話だが、実際そうだ。

当時の昔話(伝説)を懐かしそうに、その方は話していた。       僕は横で適当に相槌を入れながら、興味深く聞いた。
その方が、監督のことを深く敬愛しているのが伝わってきた。      きっと『雪の断章』が、生涯のフィルモグラフィーの大切な一本なのだ。
映画の素晴らしいところは、こういうところにもある。CMでは決してこうはならない。我々は、ワンクールで消えゆくものを量産しているだけだから。

その後、近所のその方の行きつけのスナックに流れたのだが、そこからが大変で、カラオケの合間に酔いが回ったのか・・・「もう一度、監督と映画を撮りたい」とか「私はもう一度あなたと仕事がしたい」とか、堂々巡りが始まった。

あんな無茶苦茶な映画を撮ったのに、そんなふうに言われて幸せなことだとは思うが、それはどこか酔った上での常套句でもあり、監督は「はいはい」とか「まあ、そうだよな」とか言うばかりで、本気にしてる様子もない。僕も客観的に見てそう思えた。

しかし、自分ならそういう場にあまり行かないだろうし、生産的でないと考えてしまうけど、監督の偉いところは、それに最後まで付き合うことである。それはいつも感心してしまう人付き合いだ。

結局最後は、ベロベロに酔ったその人を狭いスナックの階段から背負って降りた(当然、僕が)。
店の前に待機するタクシーに、なんとか乗せて、見送ると、       監督が「ご苦労さん」と言った。
「いえ」と僕は小さく言った。

そんなふうなことは、その方以外にも何度かあった。

監督は、ああいう昔話とか、飲み会に何を思っていたのだろう。ついぞ聞くことはなかったが、聞いたら「あれも映画のうちだ」と答えるのだろうか。それとも賭け事が好きだったから可能性がある限りはゼロじゃない、とでも考えていたのだろうか。

祖師ヶ谷大蔵の外れで、監督は煙草を吸い終わると「じゃあな、また」と言い残し、タクシーに乗って去って行った。

たまに、あの串焼きが食べたくなる時がある。
もうもうとモツが焼ける煙の奥に、あの人が語っていた『監督に撮らせたい映画』を思い出す時がある。

監督の周りには、そんな『撮られることのなかった映画』が溢れていた。




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