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松本人志の件で、笑いについて考えた

ゆうです。
以前、ジャニーズ問題について社会学的な視点で書いたので、松本人志問題というか吉本興業問題について、私見を述べたいと思いました。

まず、あたしはダウンタウン世代じゃないのね。
あたしにとってダウンタウンの 2人は、お笑い芸人というより、テレビ番組の司会者のような立ち位置。
デビュー当時のダウンタウンが関西ですごい人気だったことや、お笑い界に革命を起こしたらしいことは、知識としては知っているけど、実感はない。
ダウンタウンの最盛期って 30年くらい前だそうなので、あたしが生まれた頃なのよね。

で、そんな世代から言わせてもらうと、松本人志という人のすごさとか才能とかカリスマ性とか言われても、いまいちピンとこないんですよ。

そもそもあたしは、お笑い芸人らが集まって雑談してるだけのテレビ番組をまったくおもしろいと感じない。
誰が観るの?って思う。

そこで、お笑いの現代史について書かれた解説を漁ってみた。

「漫才ブーム」ってのがあったらしい。
横山やすし・西川きよし、ツービート、B&B、ザ・ぼんち、とかとか。
当時の漫才は「芸」と呼べるものだった。
ある種の「型」というのがあって、作り込まれた脚本(=ネタ)があって、それをおもしろおかしく披露するものだったんだって。落語に近いのかな。

そんな「型」を壊したのがダウンタウン。
大阪には普通におもしろい一般人が巷にたくさんいて、そんな普通人の日常会話を再現するだけで「漫才」になる、という発想が新しかった。

たしかに革命的かもしれないね。
でも、それって伝統芸能としての漫才に対するアンチテーゼでしかなくて、それがメインストリームになるのはおかしいと思う。

つまり、当時のダウンタウンのスタイルが一過性の流行りとしてウケたのはまあ理解できるけれど、それが数十年にもわたって主流であり続けたことに寒さを感じるんです。
それに、あれから 30年たった今でも松本人志を信奉する人たちって、どこか気味悪いのよ。偶像崇拝なんじゃないかって。

あたしは、女性問題で松本人志を批判するつもりはないの。
ただ、この問題で著名人たちがポジショントークを繰り広げている現状にはウンザリ。
松本人志を擁護するような発言も、苦言を呈する発言も、どっちもダサい。
どういう層に向けて発信しているのかが見え見えで。軽蔑しかないです。
人気商売の宿命なのでしょうけど。

「遊び方がセコい」とか「プロと遊べばいいのに」みたいなことを言ってる人は、まったく本質を外していると思う。
あれは松本人志の性癖なんでしょ。
“そういうアプローチ” でないと興奮しない、みたいな。
そういった性癖は、誰だって多かれ少なかれもっているもので、それ自体は悪いことでも恥ずかしいことでもない。
個人のプライバシーに関わることを白日のもとに晒して平気でいる世の中に恐ろしいものを感じます。

犯罪性の有無とか、裁判で白黒つけるべきなんて言ってる人も、まったく的外れ。
このテの問題に白も黒もないのよ。一つの真実なんてのもない。
松本人志側がどう認識しているかと、女性側がどう認識しているかがすべてであって、両者は平行線だろうし、法廷にジャッジさせる類いのものではないでしょうに。

もうひとつ、一部の人たちの愚鈍さを指摘しておきます。
なぜ世論が松本人志叩きに大きく傾いているのか、理解できていない人たちのことです。

あたしは、個人のプライバシーを暴露する週刊文春のやってることは下衆の極みだと思ってるので、文春サイドを応援する気なんて 1ミリもない。
でも、ここは敢えて「週刊文春 vs 松本人志」というゲームとしてとらえてみましょう。

文春側には、確実に勝てるという「読み」があった、とあたしは考えます。
それは、十分な証拠を揃えていたということではなく、世論が味方につくだろう、という確信に近い読みです。
その根拠は 2つ。
ひとつは、ジャニー喜多川問題で高まった性加害に対する一般人の嫌悪感。
もうひとつは、潜在的なアンチ松本人志が意外に多いという分析です。

文春は、松本人志を追い込むのに多くの証拠を揃える必要なんかなかった。火種さえ与えれば、あとは松本人志を嫌う(意外に多数の)やじ馬が勝手に大火事にしてくれる、と読んだ。
文春の洞察力の勝利。その勝利は戦う前から決まっていた。
そりゃ大衆の心理を読む力にかけては週刊誌に一日の長があるよね。

あたしの関心は、お笑い芸人と言われる人たちがワラワラ出てくるコンテンツが今後どう変わるかってことです。
超個人的な意見を言わせてもらうと、全部なくなってほしいくらいに思っています。一つもおもしろくないからです。

観なきゃいいって?
でもね。
一定の視聴者層がいるかぎり、社会の質は確実に蝕まれていると思うんですよ。

吉本興業に代表されるお笑い界というのは、日本の社会の縮図です。
醜悪な先輩後輩関係。
何かとエラそうに振る舞う先輩。
空気を読んで発言する後輩たち。
内輪だけで盛り上がるホモソーシャル体質。

「芸」という本分を忘れて、ゴマすりや仲良しごっこを演じることで、芸人の共同体を維持しつつ自分自身の座席を確保している。
やってることがサラリーマンそのものじゃん。(ごめんサラリーマン諸兄!言葉のアヤです)
そんなもの見せられてチャンネル替えない人もヤバいと思う。

大人はまだいいですよ。
社会の縮図構造を見抜いて「アホくさー」って思えるから。
だけど、笑いのセンスが未熟なオコチャマは、「こういうノリがおもしろいのかー」って刷り込まれてしまう。

あたしが同年代の男子に感じる気持ち悪さってこれなんだな、って思った。
芸人のしゃべりをマネしてるっぽいんだよね。本人はおもしろいつもりなのか知らないけど、聞かされてるこっちはちっともおもしろくない。
つまり、お笑い番組は、全っ然おもしろくない芸人きどりのバカを大量生産してるんじゃないかって。

今回の松本人志スキャンダル (?) をひとつの奇貨として、吉本興業ひいてはお笑い界全体の馴れ合い体質が変わっていくことを期待します。
松本人志ひとりを悪者扱いして済ますのはやめてほしい。
作る側も、視聴する側も、今こそ「笑い」について真剣に向き合ってほしいんです。世間がおもしろいと言っているからおもしろい、ではなく。

「笑い」には、古今東西変わらない普遍的なものと、時流にマッチしたものがあると思います。
後者のタイプは時代が変われば廃れます。
YouTube で昔のやすきよ、紳助竜介、ダウンタウンの漫才を観てみました。
ほとんど笑えませんでした。
当時は笑えたんでしょうね。

ただ、やすきよ ⇒ 紳助竜介 ⇒ ダウンタウンと移り変わるなかで、笑いのセンスがアップデイトされているのは感じました。
もしかして、ダウンタウン後のアップデイトはなかった?
ダウンタウンが従来の漫才を壊した革命児だったのなら、そのダウンタウンの笑いを壊す次世代による革命はあったのでしょうか?
次の革命を許さないほどに、松本人志が築いた帝国は強固だったのか、それとも観衆がスポイルされたの?

お笑いに詳しい方の見解を聞いてみたいですね。

「笑い」は人が生きるうえで最も重要なスパイスである、とあたしは考えています。
そんな大切なものを他人まかせにしちゃいけないよ。
自分がおもしろいと感じるものにあたしは笑いたい。