マガジンのカバー画像

お金

7
お金のことで悩んでいる方、安心してください。歴史を俯瞰すれば、人類の闘争の種が常にお金だったことがわかります。お金の不安から解放される生き方を考えてみませんか?
運営しているクリエイター

記事一覧

労働と遊びのあいだ。お金は必要か?

情報商材などの有料記事を売ることについて書かれた、困難スライドリボルビング精神さん(以下、困難さん)の記事(☟)を読みました。 一部、抜粋します。 明快。そして痛快ですね。 困難さんは、自分の記事を売ることはないですが、投げ銭スタイルの記事を投稿されています。 「結果としてお金を払う行為であることは同じですが、その対象がコンテンツなのか?作者への労いや応援の気持ちなのか?では全然違う」ともおっしゃっていて、私もそのとおりだと思います。 このスタンスにも賛同します。 本

たまにはお金の話を

おすそわけや友人間の物の貸し借りといった、お金を使わない取引が減り、家事代行や有料コミュニティといった、お金を使う取引が増えたこと。 これを「市場経済化」といいます。 それによってお金の重要性が増すのは当然の帰結ですね。 もちろんお金は万能ではないけれど、お金を出せばなんとかなることが増えたわけです。 お金がないと何もできない世の中になったとも言えます。 では、私たちはますますお金を欲しがるようになったのでしょうか? お金の重要性が増したのだから、そうなるのが必然でしょう

「昔より貧しくなった」の正体

「日本は貧しくなった」 と言われて久しいですが、これ本当でしょうか? メディアの洗脳もあると思いますが、体感としてもそうらしいので、調べてみたくなりました。(はい、ヒマなんですワタクシ) まず、1990年代の 20代と最近の 20代を比較するため、大卒初任給の統計データを見てみましょう。 青の折れ線が名目ベース、赤の折れ線が実質ベースです。 名目、つまり金額ベースでは、1990年代から 20年間ほぼ横ばいですね。 しかし、実質ベースではわずかに増えています。(年率 1~2

あなたは「割り勘」が好きですか?

Go Dutch(割り勘にしよう)という言い方があります。 日本で「割り勘」と言うと総額を人数で均等に割るイメージがありますが、私が UK やドイツで経験した “Go Dutch” は、各々が自分の飲み食いした分をぴったり払うというものです。 よって、「割り勘負け」のような現象が発生しません。 とくにヨーロッパでは、料理をシェアするというカルチャーが希薄です。 大皿料理ではなく、各自が小皿(個皿)をオーダーするので、この「自分が食べた料理を自分で支払う」方式の Go Dut

そろそろ、お金の不安から自由になりませんか?

私自身、お金との適度な付き合い方を模索中です。 お金は欲しい。でも、たかがお金に生き方を縛られたくない。 拝金ではなく、清貧でもない。働きすぎず、怠け者でもない生き方。 より豊かで意味のある人生のため、お金のことを一緒に考えてみませんか? なぜ、お金が欲しいのですか?まずはそこからでしょう。 この問いへの答えは、大きく2つに分かれます。 1) お金が好きだから 2) 生活、仕事、娯楽などのために必要だから 1) は、お金を増やすことが目的化している人です。理解できない人

お金、下から見るか? 横から見るか? 上から見るか?

お金の話は、以前の記事で語り尽くした気がしていました。 私がどういう経緯でお金の不安から自由になったのか、整理してみます。 お金を増やす話ではないですよ。 お金との付き合い方が年齢とともに変遷していった話です。 お金を増やすことよりも、マインドを変えるほうが幸せになれると考える人間ですからね。 下から見ていた 20代20代のときはやっぱり普通に、お金が欲しかったよね。 安月給だったし、貯金もあんまりなかった。 でも、お金がなくて困るほどではありませんでした。 決して吝嗇で

マネタイズの本質は排除である

ビジネス一辺倒の風潮にホトホト嫌気が差しています。 まあ、言わせときゃいい話なんですが、モヤモヤしている方も多いんじゃないでしょうか。 フリーランスで情報発信する人が増えてきた今がどういう状況にあるのか、これからどこに向かっていくのかの考察です。 希少性と占有経済学をかじった人は、『水とダイヤモンドの逆説』を聞いたことがあるでしょう。 人間にとって死活的に重要な水。 まったく必要ないダイヤモンド。 しかし経済的価値は、ダイヤモンド >>>水。 経済的価値は、「使用価値」で