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原点から考える〜旅の語源とTravelの語源〜

先日、ある人I氏とお話をしている時に、面白い話を聞いたので、自分なりの解釈を踏まえつつ、記録することにしました。

語源からその意味の本質を知ることも大切であると気付かされました。

まず、Travelという言葉の語源に関してみなさんはご存知でしょうか。
私は全く知りませんでした。Travelの語源はなんと、Troubleから来るものだそうです。後ほど色々調べてみると、諸説ありますが、Troubleというものに由来しているようです。どうやら共通して苦難、努力、困難という意味が多く含まれているようです。


「旅」という意味を表す「トラベル(Travel)」の言葉の語源は、ラテン語で「労苦を伴う努め」という意味を表す「トラベイル(travail)」という言葉に求められます(諸説あり)。 現在のような優れた交通網が発達しておらず、主たる移動手段が「徒歩」であった時代感を考えれば、それも当然に思えます。

トラベルの語源は「トラブル?」。「子連れ家族」の旅先での苦労とは”より引用

英語で旅行を意味する「トラベル(TRAVEL)」の語源はどうもフランス語の「トラバーユ(TRAVAIL)」と関係があるらしい。その意味は苦労、困難、努力である▼現在の「トラベル」とは異なり、明るく楽しいイメージはない。かつての旅行が危険や困難を伴うものだった名残だろう▼旅行の重苦しい語源を思い出させる

東京新聞Webコラム社説より引用

昔々のある国ではTravelというのは、進軍であったり、徒歩での巡礼(宗教的意味合い)であったり、今に比べて大変困難なことであったことからきているのでしょうか。

そう考えると、現代のTravelという言葉は全く違う何かであるため、新たな言葉も必要になってくるのではないでしょうか。面白そうなので考えてみます。

Travelの目的とははなんでしょうか。
余暇・自由時間(レジャー)、学び(レッスン)、仕事(ビジネス)、癒し(リラックス)、その他もろもろ多いですが、要はどこかに行って何かをするということです。
Travelの手段はなんでしょうか。
飛行機、電車、車、自転車、徒歩などです。そのうちロケットやどこでもドアやテレポート装置なんて出てくるかもしれませんね。

現代のTravelw表現する形容詞は快適な、楽しい、有意義な、と言ったところでしょうか。広義的に形容すると、”有意義な”が色々当てはまる気がしてます。
これを各国の言葉で表現すると以下のようになります。
ラテン語:significativa
フランス語:significatif
英語:meaningful
スペイン語:significativo

英語で”Significant”という似たような言葉がありますが、これは日本語訳をすると”重要な”という意味がメインにあります。しかしケンブリッジ辞書を読んでいるとニュアンス的に”有意義な”という意味も含んでいると思いますがみなさんはどうお考えでしょうか。

そうすると次世代のTravelの語源である、苦難や困難などの代わりに有意義という意味に偏らせて言葉を作るとなんだか新しい言葉ができそうですね。

話が逸れてしまいました。Travelの以外な意味が新たな考えを呼び起こします。

次は日本語でTravelを表現するときは”たび”(旅)と言います。旅行は中国読みです。日本の場合、英語よりも先に中華圏文化が入ってきたため、”旅行”から旅の文字を取ったのでしょう。そこで、次は”たび”の語源について調べてみました。

下記は神奈川大学国際日本学部のサイトから引用したものです。

民俗学者の柳田國男は、「旅」の語源は、古い言葉で「たまえ(賜る)」という言葉が変化したものであると読み解きました。 つまり、「ください、ください」と物を乞い、いろいろな食べ物などをもらいながら移動していくのが、旅の原点だとされます。そしてその旅人は、神様が姿を変えてやってくるものだと考えられていました。旅人を迎える側は、その旅人に何かを与えることで、神様のご利益を得るといった考え方が根付き、旅人をもてなしてお礼をするという習慣が古くからありました。

「旅」を通して見える人の歴史をたどり、未来へつなぐ力に

実は「旅」という言葉自体は、万葉集にも出てくるような非常に古い言葉です。その当時の歌には、旅は決して楽しいものとして描かれていませんでした。なぜなら、昔の日本では現代のように交通の便も整ってはおらず、一度旅に出れば、食べるものも手に入るかどうかもわからない、常に危険や死と隣り合わせの厳しいものだったからです。

「旅」を通して見える人の歴史をたどり、未来へつなぐ力に

このように日本においても、”旅”というものは楽しいものではなかったことが歴史的背景にあります。そもそも日本ではお参り以外は自由な移動は認められていなかったとのことです。

ある人I氏から聞いた話では、旅をする人は一日中目的地に向かい歩き、日が暮れて宿もなかったとき、ポツンと一軒家ではないですが、民家の火の光を見つけ、訪ねて伺い、お世話になっていたと聞きました。人ので温まったりおもてなしをされる=他火=たびと呼んでいてこれが旅の語源であると考えられます。

いきなりきた客をおもてなしするというのは今考えるとあまりピンとこないのですが、上記引用内にあるように、旅をしてきた人は”神様が姿を変えてやってきた”と考えられていたため、おもてなしするのは当たり前だったのでしょう。

しかも当時はそれほど旅人はいないですし過酷な旅であっため、より旅人が珍しく、神様(もしくは偉い人)が姿を変えてやってきたと思うのも理解ができます。

日本のおもてなしというものはこちらに起因しているのでしょう。
旅をする人=珍しく、神様、もしくは偉い人という風潮があり、
お客様は神様のように接しなさいというのは、ここからきているかもしれませんね。

ただし、勘違いしないでください。
この言葉は、演歌歌手の三波春夫さんが歌う時に”神前で祈るときのように、雑念を払い、真っ新な心にならなければ完璧な藝を披露することはできない”とする心構えを語ったことが元とされています。お客様は神様ではございません!お客様に対する気持ちを言っているだけなので勘違いは絶対にしないでください。俺は神様だ!なんて態度で横柄なことを言う人はカスタマーハラスメントに抵触しますのでお気をつけてください。時代遅れです。

まとめますと、旅、Travelというものは本来苦しい、大変なものという意味でした。
旅に関しては、他人の火(日)でもてなされることを意味し、もてなす側も当時はそれが信仰や生活の一部であったようです。
日本のおもてなしはそこに始まり、”与える”ことを起源にしております。
与えることで結果的に戻ってくる、という考えのもと、おもてなしが生まれたのでしょう。
つまり、与えずに奪う(搾取する)ような資本主義的考えでは、観光のみならず、社会や人間関係はうまくいかないことでしょう。奪う(稼ぐ)ことと”与える”ことのバランスが大切です。

みなさんは”与えて”ますか?

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