アンノウン・マザーグース
こんばんは、私です。おはようございますで見てくれている人もいるのかな、書き始めたのが日を跨ぐ頃でございますから
ですので、こんにちは、ねこぢるうどんと申す者です。
なるべく早く寝れるように、ちゃちゃっと本題に行きましょかいね。
いきさつ
ボカコレ2023春の最中にて、椎乃味醂さんとヒトリエのシノダさんとの対談記事がアップロードされました。椎乃味醂さんにとっては 憧れ シノダさんにとっては バンド仲間 であり、間柄は違えど両名のwowakaさんに対する敬意が溢れている、そんな素晴らしい記事でした。皆さんも読んでみてはいかがかしら~
私はその記事を読んで、また、椎乃味醂さんの「あなたにはなれない」という曲を聴いて、改めて自分でもこのアンノウン・マザーグースという曲についての理解を深めていきたいと考えたので、そこで噛み砕いた自分なりの解釈をつらつらと共有させてもらいたいと思います。れつごー
マザーグースとは
私は数年前まで、マザーグースのことを直訳して母親のガチョウか何かだと考えていました。解釈は自由と言えども、この曲の意味では多分違います。恐らくこの曲で示されるマザーグースというのは "広く親しまれる音楽"という意味合いで使われるものでしょう。語源からしばし 童謡 と訳されることもありますが、曲の内容からしで、童謡というより 広く親しまれている音楽 といった解釈が無難だと思われます。
この曲で醒ましてくれ
初音ミク10周年を記念して公開されたこの曲、説明が難しいので結論から言いますと、この曲は当時に溢れていたwowakaさんの曲調を真似した音楽を叱責するという曲と解釈しました。Aメロから確認していきますが、あたし、あなた、彼、僕、と主語が交錯しており、非常に難解な構成になっています。自分でも上手く説明できる気がしないので、各々の判断に委ねるところが多くあると思います。ご了承くださいな。
【あたしが愛を語るのなら その眼にはどう映像る?】
ここでの あたし は wowakaさんのことでしょう。あなたは私の音楽をどのように受け取りますか という問いかけから始まります。
また、"あたし"を初音ミクと解釈する方法もありまして、それは後半の方で少し触れます。
【ひとりぼっち 音に呑まれれば 全世界共通の快楽さ】
実はこの曲の中で大事な部分、全世界共通というところから マザーグース という言葉にもつながります。ひとりぼっちで音に呑まれる この経験って自分はとても共感できるんですけども。
自分の中で音楽を自分の大切なものとして仕舞っておく過程にこれは必ずある。
【誰もが彼をなぞる】
ここでの 彼 もまたwowakaさんのことでしょう。しかし、これはwowakaさんに限らず、ハチなど他の最大手を模倣した音楽がたくさんありました。そのこともあり、自分単体を指すことはしなかったのでしょう。
あと、恥ずかしかったのかもしれません。
【あなたが愛を語るのなら それを答とするの】
ここが難解なポイント。ここで指す あなた って誰のことなんだい? それ ってなんのことなんだい?
私の解釈ですが、あなた=wowakaを模倣した曲を作っている人、それ=wowakaを模倣した人が作る模造品 だと考えます。
あなたが愛を語るのなら あなたが伝えたい愛があるはずで、それは私(wowakaさん)が書き出したものをなぞって生み出されるようなものではない。模造品のようなもので伝えるものは、あなたの本当の気持ちとはまた違うのではないのか
そんなメッセージかと
張り裂けてしまいそうな心がある
Aメロとは一転、Bメロではwowakaさんの考える音楽を作ることへの意義、価値について書かれていると推測します。
Bメロ全体的に一貫して直接的に書かれているので細かい説明は省きますが、ドラムから訴えられる焦燥感も相まって非常に力強い進行に感じます。吐き出せなかった感情を昇華することの出来る音楽って素晴らしいね
あなたには僕が見えるか?
サビ前の部分、直接的な歌詞表現に見えて解釈の別れそうな部分
【世界が私を拒んでも】
この私とは誰のことなのでしょうか?
【誰も知らないその思い この声に預けてみてもいいかな】
に繋げて考えればwowakaさんが自分のことを私と呼んでいると考えるのが妥当でしょう。
【ガラクタばかり投げつけられてきた その背中】
ガラクタとは何か?誰の背中なのか?
直前の【あなたには僕が見えるか】と繋げると
この背中はwowakaさんのことでしょう。だとすれば、ガラクタとは何なのか?
1つはwowakaさんを模倣した曲のこととする説。Aメロの話を汲み取ればこれが自然でしょうが、少しwowakaさんの曲にしてはトゲが強い気もします。もうひとつ考えたのが、wowakaさんに寄せられた評価やコメントなどのこととする説です。この場合後続する
【それでも好きと言えたなら】
という言葉が、世間の評価に流されずに自分の感性で心から好きでいてくれていること といった意味合いを持ってくるので素敵だなと思いました。
【あたしの全部にその意味があると】
【それでも好きを願えたら】
両方ともキラーフレーズですよね。
この曲は他のwowakaさんの曲と比べても、語気が強い印象を持ちます。訴えかける曲として曲調だけじゃなく、言葉の強さも使い分けているのが流石だと思います。無意識でしょうかね。
孤独なんて記号では収まらない
ボカロ界に残る印象的なサビを終え、2番に入ります。基本的には1番のAメロと解釈の着地点の同じ内容が続きます。自分の感性を大事にしてくださいという投げかけを
愛を語る時には 愛を語る対象が居て、それは人それぞれ。
【孤独なんて記号では収まらない】
ここが難しくて、分かりません。孤独を表す記号やスラングを調べたりしましたがピンとくるものがありませんでした。空集合∅ とかですかね?
わかる人がいたら教えてください。それか、
孤独なんて記号では・収まらない ではなく
孤独なんて・記号では収まらない で分けていると考えるべきなのでしょうか。それなら話が通ると思うので何か思い浮かばないうちはこっちで考えようと思います。
この場所はあなたに守られてきた
早口パート。この曲の大事なところが凝縮されている大事な部分です。冒頭でも話した通り、この曲は初音ミク10周年を記念して書かれた曲で、愛に溢れたメッセージが詰まっています。
【ドッペルもどきが其処いらに溢れた】
wowakaさんの曲に限らず、有名なボカロPを模倣する人達のことをドッペルもどき と指していると考えます。挙句の果ての今日。
【見切りをつけてもう バイ ババイバイ】
模倣した曲を作っていた人はいつの間にかボーカロイドに見切りをつけて去っていったと解釈。wowakaさんが模倣する人に見切りをつけた という解釈も出来ますが、後ろの歌詞に続けたいので、前者の解釈をしようと思います。
【残されたあなたが この場所で今でも 涙を堪えてるの】
この部分の解釈は難しいですが、当時にもボカロやインターネットの流れを見ていた私から時代背景を語らせてもらえば、この曲が投稿されたのは2017年8/22(私の誕生日❤)なのですが、この時期はじんやkemuが一台ムーブメントを起こしてから少し落ち着いてきた時期でもあり、俗に言うボカロ氷河期と呼ばれる時代の最中でした。世間に晒されたことも相まって、この時期はボカロに対して風当たりの強い時期だったなと私も感じています。
そこからまた興隆して、たくさんの老若男女が活動をして、一大ジャンルとして再び確立されている今を、私は感慨深く思いますね。
そこに至るまで、この曲や砂の惑星の影響も大きかったと思います。ありがとう。
脱線しましたが、私は
風当たりの強い時期にも自分の好きな曲を作り続けていて、なかなか評価されずに悩んでいる人へのエールだと思います。
【この場所はいつでもあなたに守られてきたってこと】
wowakaさんにこんなことを言われるとね、泣いちゃうね。この人の曲だからこそ誰よりも強い意味を持つ言葉になっている。私もこの "あなた"になり続けるように頑張るよ
"この場所"とは別の人が砂の惑星と呼んでいた場所のことです。
度々、砂の惑星を比較に出していることに気がついたでしょうか?
はい、そうです。実は両曲ともに同じ内容について語っている曲なのです。
しかし、語りかけてくる印象は全く違います。ここに2人の天才の双極性が見えてワクワクします。
何千回と繰り返した喜怒と哀楽
Bメロ、ここでは制作してきて抱えてきた評価などに対するwowakaさんが抱えてきたもの、そしてその抱えてきたものに対する考えが書かれています。
ここでwowakaさんの創作についての価値観は
感情をぶつけるものだといったニュアンスのものだと受け取りました。
言ってしまえば、これは少し意外でしたね。無機質な感じの曲や難解な曲が多い印象でアンノウン・マザーグースのような率直な訴えかけの曲を当時の自分では、他にローリンガールくらいでしか感じなかったので。これを機に他の曲の歌詞も分析をして受け取ってみる試みを行おうと思いました。
【それは、やだ】 こんなにもストレートな訴えかけを持ってくるのね
語彙力溢れる人間からしても、心の本音を叩きつけるのはこのような言葉なのでしょう。
どうやってこの世界を愛せるかな
サビ前。この世界とは?
1つは現世のこと、生きている現実のこと、もう1つはボカロ界、インターネットのこと。
どちらで解釈しましょうかね。
【この唄で明かしてみようと思うんだよ】
ここの歌詞に着地するなら、後者で受け取ることが妥当でしょうか。この曲全体がボカロ界、作曲する人に対しての訴えかけなので、そう考えます。生きている現実を好きになるために、創作をして心の内を晴らしている、という考えも無理では無いので、毎度の事ながら解釈は各々ご自由に。
【軋んだ心が 誰より今を生きているの】
この歌詞、良すぎませんかね…
悩みを抱えていることに対して それが生きている証拠だと、誰よりも それは悩んでいる自分自身が自分を生きているんだと 。
そんな言語化の難しいことを簡潔に、力強く背中を押す言葉を表すセンスがこの人がレジェンドたる所以ですね。
【それ、あたしの行く末を照らす 灯なんだろう】
それ=灯 だとして、それとは何なのか?
それ として考えたのは、大事に抱えて音楽として吐き出す感情、軋んだ心のことが1つと、もう1つが、ボカロ界を守り続けた人が作ってきた曲のこと。
この私が続けてきたあたし=wowakaさんとする解釈の中では前者で考えるのが妥当ではありますが、後者のことも否定できません。
この曲は全体を通して あたし=初音ミク と解釈して、初音ミクとwowakaと製作者、リスナーとの関係を示す曲として考えることも出来ます。
この解釈の仕方については
東京大学「ボーカロイド音楽論」講義
という本に、より学術的な内容を含めて説明がしてありますので、気になった人は是非。
またもや、脱線しましたが、自分の中でまとまった解釈を今更引き返せないので、私は 前者のように それ を軋んだ心 だと考えて、感情こそが製作の糧であるという メッセージだと受け取ります。
このゆめはつづいてく
ラストのパート。ここもあたしをwowakaさんとするのか初音ミクとするのかで解釈が分かれます。両方で考えてみてください。
否定で始まり、最後にはボカロを愛する人、残ってくれた人への優しい言葉でおわるこの曲、あまりにも完成されすぎている…
アンノウン・マザーグース
ここからさらにスゴイのがwowakaという人物、全体を通してからもう一度
【アンノウン・マザーグース】というタイトルについて考えてみます。
冒頭にも言った通り、この曲のタイトルは訳すれば "誰も知らない みんなが知っている音楽"という矛盾した言葉になります。しかし、全体を見れば、この曲の意味が通ることになるのです。
アンノウンは最後の方に出てくる歌詞【誰も知らないこの物語】のことと繋げることが出来ます。
それは 製作者が心の内に秘めている 軋んだ心、ボーカロイドを通して伝えたいメッセージ等々のことです。
あなたの抱えたそれが、誰も知らないのだけれど、いつか音楽として昇華され ボーカロイドを存続させることになることを願って みんなが広く親しむ音楽 マザーグースとなることを願って
そんなことを思って作られたのがこの曲だと考えました。
更に凄いのがこの曲の最後
【誰も知らない物語 また口ずさんでしまったみたいだ】の部分は
wowakaさんと製作者が重なる部分です。wowakaさんもこの曲が世に出る前、まだ誰にも知られる前に製作する時には口ずさみ、それを作品に昇華する過程を踏んでいて、それはプロアマ問わず、音楽を制作する人はみんな同じです。
最後のフレーズでこれを持ってきてるのが 製作している人間として、wowakaさんを尊敬する人間として、本当に嬉しい限りです。
結論として
あなたの心の中の自分だけの、誰も知らない張り裂けてしまいそうな感情が、いつか広く親しまれる音楽 マザーグースとして、ボーカロイドの存続を支えてくれることを願って、この曲を作ってくれたのかなと私は考えました。
製作者に対するこれ以上ないエールです。
ありがとうございます。
そして、1番凄いところが
この曲こそが今や ボーカロイドという世界で
みんなに親しまれる音楽 マザーグース として定着していることです。
ちゃんとこの世界は続いていますよ。