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城崎にて / 三木屋旅館

三木屋:1580年(天正8年)に羽柴秀吉が播磨三木城(現在の兵庫県三木市)を落とした際(三木合戦)、但馬城崎まで落ち延びた城兵の子孫が、江戸時代の元禄年間に旅館を始めたのが三木屋の起源と伝えられる。宿の名は、三木の地とかつての主君に由来している。1927年(昭和2年)に竣工した東館(木造3階建)と西館(木造2階建)は、2013年(平成25年)に大幅リニューアルされ、古い部分と新しい部分が混在しているものの、1925年(大正14年)の北但馬地震後における城崎温泉復興期の姿をよく留めるものと評価され、2014年(平成26年)10月7日に国の登録有形文化財に登録されている。1913年(大正2年)10月、同年8月15日夜に山手線の電車にはねられて重傷を負った志賀直哉が、療養のため三木屋に約3週間投宿した。志賀はその間に蜂・鼠・いもりという3つの小動物の死を目撃し、この体験をもとに短編「城の崎にて」を執筆した(1917年(大正6年)5月『白樺』に発表)。志賀は以後、小説の執筆や家族ないし白樺派の友人との旅行などで、昭和30年代までしばしば三木屋を利用した。「城の崎にて」当時に彼が泊まった部屋は北但馬地震で失われたが、1927年の再建以後に気に入って宿泊した26号室は、現在もそのままに残されており、縁側からは『暗夜行路』に登場する庭園を眺められる。/(Wikipedia)​

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三木屋を訪れた理由

25年前(遠い目、、)奥さんと初めて一緒に行った旅行先が城崎温泉だったこと、その時は別の旅館さんに宿泊したのですが、街並みの美しさや今で言うキラーコンテンツの外湯巡りを核に、こちらも今でこそ当たり前に語られ各地で散見されるエリアホテル、街ごとホテルが疾うに実装、起動していた街だったのだなと思い返しております。その後2010年代〜ブックディレクターの幅允孝らを中心に本、アートを軸として所謂エリアブランディングの取り組みが重層的に継続されている様相を各方面で見聞きし、とても気になっていました。

そしてこれが最も大きいのですが、お気に入りのホテルで東京滞在の際の定宿の一つでもあるDDDホテルを手掛けたCASEREALがこの三木屋でもこれまで三期に渡って改修のデザイン、監修を進められていて、一度その空間に身を置いてみたいと常々思っていたことからでした。

加えて主客一体、融解であったり旅館2.0もとい3.0のようなあり様こそがこれからの宿泊業、装置産業の標になるのでは?といった想いを予てより抱いていて、その問へのヒントがきっとあるのではとの想いもありました。

挙動が億劫になるほどは寒すぎず、と言って温泉地でこそ感じたい風情を失うほどに暖かくなりすぎることもなく、最も相応しい時期だったのでは?とも思われた3月の中旬、L&GグローバルビジネスのStay Street Travelという素敵な福利厚生制度を利用させて頂き宿泊した際の模様をリポートします。

アクセス〜はじめに

城崎へは大阪から車で3時間ちょっと。途中、出石に立ち寄って蕎麦を頂きました。

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城崎温泉の街並み。春休みに入ってすぐの頃ということもあってか大学生ぐらいの層の方で非常に賑わっていました。


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趣のある建物が立ち並ぶ街の中でも、際立つ存在感でした。時間の偉大さを思わされました。

チェックイン

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エントランス〜フロント周り FRONTフロントのフォントが堪りません。整然と揃えられたスリッパ、傘、下駄、長靴たちが滞在への安心感をより高めてくれました。

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C/Iは中庭へのビューが広がるラウンジのソファで。とても丁寧にご案内下さりました。

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ラウンジにはライブラリーが設けられていて、先述の幅允孝による選書。備え置かれた虫眼鏡で見る手塚治虫の漫画のミニチュアver.があったりと、遊び心のあるディレクションで、ややもすると少し畏まってしまう時間、空間もここではとても軽やかな気持ちで過ごせました。

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C/I後は滞在中に着る浴衣を選びます。城崎温泉では「浴衣に下駄履きが正装」とも言われ多くの旅館で、寝間着としても用いる旅館内用の浴衣とは別に、温泉街を出歩くための浴衣も用意されています。

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滞在している間、幾度となく息をのむことになったのが、宿泊客の導線の重なりに慮ってであろう多層に張り巡らされた、何周でも回遊出来ると思える豊饒な廊下群の空間。

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中でも個人的に垂涎だったのがこちらの廊下の床面の処理。いつか何処かのPJTでオマージュの如くな設えが出来ればなと思った程でした。

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各所で目にするサイン、タイポグラフィーが、時間という触媒なくしては醸成されないであろう空気感をより味わい深いものにしている様に感じました。

いざ客室

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今回の宿泊は五十一号室。もちろん、CASEREALによるリノベーションが施されたお部屋です。事前に電話で改修されたお部屋へのアサインを希望していたのでした。

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客室引き戸入ってすぐの洗面と連なる前室部分の見返し。奥の開き戸はWCでその右手前、袖壁の奥に洗面台が配されています。

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インテリアとしての姿も申し分ないPS暖房。心地良い暖かさはもちろんのこと、お風呂から戻って掛けておけばタオルもすぐ乾いていしまい、内湯外湯とタオルの使用頻度が高いであろうことから、運営目線にも非常に合理的な優れたデザインだなと感じました。

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奥さんを虜にしていたのがこの洗面台の設え。素材感、色合いとデザインは当然の様に素晴らしいのですが、日日のお手入れに対する配慮、フラットな設えに、うちもこうしようよ〜を連発しておりました。

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セミプライベートな中庭を臨む広縁。広縁マニアにはこみ上げるものがありました。

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城崎の名物、キラーコンテンツの外湯めぐりのパス。

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広縁の脇に設けられたデスク。少しだけお仕事もしましたが快適でした。

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ARNE JACOBSENのクロック、JACOB JENSENの電話機、SANTA & COLEのデスクランプ、可動式照明などOSE、アイテムのキュレーションも流石すぎました。JIMBOのスクエア型で統一されたコンセント、スイッチ関係もやはりそうだよなと。

お風呂たち

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大きめの2個所のお風呂は時間ごとの男女入れ替え制。このお風呂が今回の楽しみの一つでもありました。サウナをインストールするなら何処にどの様にだろう?ということを夢想したのは言うまでもありません。

もう一つの大浴場も素晴らしかったです。

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こちらよく見ると分かる通り、欄間が残っています。そう、もともとお部屋だったところをお風呂にリノベーションしてあるのです。中でも外でもない、半露天の様な空間で、こちらもいつか引用したいなと思ったのでした。

貸し切りのお風呂もありました。予約制という訳ではなく宿泊者の方は空いていれば入浴できるというスキームで運用されていました。

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うっかり戻しそびれて、空いているのに入浴中になってしまっているであろうケースをリアルに想像せずにはいられませんでした。。

最高の晩餐

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以下割愛。

最適な朝餉

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先の贅の限りを尽くすとはこのことぞな写真から僅か8〜9時間後の出来事。取り繕った散歩ごときでは空腹は訪れ様もない筈なのですが、皆様もきっとそうであるように旅先での食欲というのは、以下割愛。まさにちょうど良いの極地の様な朝餉でした。

チェックアウト〜エピローグ

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愉しい時間というのはあっという間に過ぎてしまいます。名残惜しくもフロントに向かいチェックアウトを済ませ、一緒に来ていたもう一組の同僚夫婦が来るのを待っている間、コーヒーを頂戴しライブラリーをなんとなく眺めていると、柔和な雰囲気がとても素敵な同年代くらいの男性に声をかけられました。三木屋の10代目の方でした。先述の通り予約時に、CASEREALによる改修のお部屋へのアサインをお電話でお願いしていた経緯からわざわざお声がけ頂いたとのことでした。小躍りしたのは言うまでもありません。有り難いことに、改装の入った他のお部屋もご案内頂きながら、幅さんやCASEREALを主宰される二俣さんとの関わりにおけるこれまでやこれから、ご自宅のこと、そしてサウナインストールのこと、様々なお話をさせて頂きました。特に印象深かったのが観光街として、また一つの街、コミュニティとしてのあり方、共生やサスティナブルな志向について考えるにおいて、大変示唆に富む城崎温泉の来歴のお話でした。このあたりについてはまだ読了できていないのですがお勧め頂いた「城崎物語」をしっかり読んでまた考えてみたいなと思っています。


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館内の客室として最も広い50号特別室の広縁
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同室、床の間から広縁、中庭へ
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同室、簡素で空間に溶け込んだシンク
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同室、ミストサウナ設置を夢想せざるを得なかった洗面〜シャワーブース
使用されなくなった宴会場から三期改修で食堂に

短い時間ではありましたが10代目との邂逅によって齎された夢の様な語らいの時間がより主客一体についての思考を強めていくことになるであろう旅ともなったのでした。必ずまた訪れます。その時にサウナをご一緒できることを祈りながら筆を置きたいと思います。ありがとうございました。

追伸

弊方の拙い文章、写真ではディスブランディングも否めず、ぜひ下記を刮目くだされよ。寧ろこちらだけ読まれよ。。


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