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戦跡巡礼 連合赤軍・あさま山荘への道を辿る 3

福ちゃん荘で一晩を過ごし、翌朝。

シャーベット状の雪に覆われた山中の景色に一同は感嘆。
今日は山を下り、西沢渓谷の革命左派ベース跡を目指す。

昨夜と同じように、凍結した山道をソロソロと車間をとりながら下る。
明るい日の下で見る山の斜面に生える木々は低い。
「まだ若い木みたいですね」
「手入れされている山なんだろうね」
連合赤軍の兵士、総括によって死に追いやられた12人が埋葬された山の斜面も、しっかりと手入れのされた山だったと思い出した。
木々の幹には、何かワイヤーのようなものが巻かれている。
「食害防止だろう」
「ハンターが減って、鹿が激増してるらしいですね」
そういえば、昨夜も鹿の群れに遭遇した。
鹿だけでなく、イノシシ、猿、アナグマ、たぬき、さらに外来のアライグマやキョン、ヌートリアと、あらゆる生き物が日本各地で増えていると聞いた。

西沢渓谷は山梨県北部、埼玉県と長野県に接した甲武信ヶ岳の中腹にある。
この渓谷付近に、革命左派のアジトが置かれていて、「塩山ベース」と呼ばれていた。
笛吹市から国道140号線(雁坂みち)を北上。この道は山梨と埼玉の県境にある雁坂トンネルを経て、秩父へと続いている。以前、秩父の三峰神社を参拝した後、埼玉県側からこの道路を南下したことがあった。

ダム湖近くの駐車場に車を停める。そこが西沢渓谷へのハイキングコース入口だ。

ハイキングコースから見える鶏冠山。

本当はもっと先に塩山ベースがあったのだが、時間の関係でここで引き返すことにする。
「この辺は川床が滑らかでしょう。ナメって呼ばれていてね。とにかくきれいだったなあ。あの頃とそんなに変わってない」
たしかに、ウォータースライダーのように滑らかに岩が削られ、水が流れている。

この後は、もう東京へ戻る行程。その途中、小平市某所に立ち寄る。
そこは革命左派が同志であった向山茂徳さんを殺害したアパートの跡地だ。
向山さんは革命左派のメンバーとして、武装闘争へとオルグされて入軍入山(革命左派で、軍の一員として非合法非公然の部隊に入ることをこのように呼んでいた)したが、元々文学青年で自立した活動を志向していたらしい向山さんは、集団主義的な山の生活が肌に合わなかったのだろう、小袖ベースから脱走。当初は連れ戻して「再教育」する方針だった革命左派指導部だが、向山さんが公安警察と接触していることが判明し、さらに山での生活を小説にしていることを問題視して「粛清」を決意する。こうして、革命左派は同志殺しという一線を越えることになる。

実は、この日同行した一人に、少年時代に小平の事件現場近くに住んでいた人がいる。この方が事件当時の様子を交えながら案内してくれた。
「当時は、このアパートがあった場所より南は一面が畑でした」
事件から50年が経過した今、当時のアパートはもう無い。その場所は民家が新しく建てられていた。
「でも、このブロック塀は当時から変わっていません」
周囲は宅地化が進み、公園やスーパー、ドラッグストアが建ち並ぶ。
ちなみに、この事件現場は「大島てる」にも載っていない。もう現場のアパートは建て替えられているのだから、事故物件ではないことになる。

すっかり夕闇に沈んだ青梅街道は渋滞していた。
2日間の「慰霊の旅」は無事に終わった。
翌年、コロナパンデミックが始まり、こうして一堂に会しての旅行は未だに出来ていない。

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