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ジョン・レノンが大好きだった高校時代の友人A君の話 ~黄昏のレンガ路~

 これは僕が高校1年生だった時の話だ。

 高校受験を経て、なんとか入学した高校。そこには中学校の友達はおらず、僕はその高校で新しい友達を作らなければならなかった。

 春。入学式の会場である体育館。パイプ椅子の一つに腰かけながら、僕は友達作りについて思案していた。すると、隣に座っていた男が突然僕の肩を叩き、こう言った。

「なあ、ジョン・レノン好きか?」

 僕は突然話しかけられた驚きと同時に、何と答えればよいかをコンマ数秒の間で思案した。

 ジョン・レノンという人の存在は知っていた。かの有名なビートルズの元メンバーで、とにかく世界的に有名な「あの」ジョン・レノンのことだろう。そういえば、ラジオで「Imagine」を聴いたことがあった。

 しかし、ジョン・レノンのことを好きかどうかを考えたことはなかった。ただの有名人くらいにしか思っていなかったし、平和活動家や音楽家といったイメージを何となく持っているだけで、彼のことを詳しくは知らない。

 そんなことを考えながら、僕は頷いてこう言った。

「うん、好き、だね」と。これは彼についた最初で最後の嘘である。
 
 彼をA君と呼ぶことにする。

 A君はジョン・レノンだけでなく、洋楽全般に精通していた。ビートルズはもちろん、ジミ・ヘンドリックスやザ・ローリングストーンズ、レッド・ツェッペリンといったロックも聴く。カーペンターズやビリー・ジョエルといったポップスも聴く。さらにはスティービー・ワンダーやマーヴィン・ゲイなどのR&Bも聴くと言う。なんでも、A君の父親が洋楽好きで多くのアルバムを所有しており、A君は父親の所有するアルバムを借りてよく聴いているのだそうだ。

 ちなみに、僕が持っているアルバムはたった一つ。それはエルトン・ジョンの『Goodbye Yellow Brick Road』である。邦題は『黄昏のレンガ路』。小学生の頃に父が買ってきたものを貰っただけで、数回しか聴いていない。父は他に幾つかアルバムを持っているが、僕も父もあまり音楽は聴かない。

「ジョン・レノンは良いよな。最近さ…」

 そう言って、A君は興奮気味に話し始めた。その間、僕は彼の話すことが全く理解できなかったが、「ジョンの魂」だの何だの、夢中で話すこの男に少し興味が出てきたのは事実であった。僕はA君が話し終わったタイミングで、勇気を出してこう切り出した。

「今日一緒に帰らない?」

 その日以降、僕とA君は友達になった。

 彼は、ジョン・レノンについて色々聞かせてくれた。ビートルズ時代のこと、ビートルズ解散後のこと、好きな曲のこと、…。僕には興味もない話だったが、少なくとも彼が本当にジョンのことが好きなのだということは伝わった。

 僕はジョン・レノンについてほとんど知らなかったが、そんなことはお構いなしでA君は話し続けるため、彼は僕の嘘には気づいていないようだった。彼にとっては、僕がジョンのことを知っていようがいまいが、もはやどうでもいいのかも知れない。ただ彼は、自分の好きなジョン・レノンという存在を誰かに教えたい、伝えたいというだけなのだと思う。
 
 季節は流れ、冬が近づいてきた。

 ある日の放課後、僕とA君は並んで帰り道を歩く。
 下を見ながら歩く僕。いつもは彼からジョン・レノンなどの洋楽の話を聞くが、今日は自分から話を切り出すことにした。口から白い息が漏れる。

「最近、エルトン・ジョンにハマってるんだよね」

 ちなみに、これは嘘ではない。彼と出会ってからというもの、僕が持っている唯一のアルバム『黄昏のレンガ路』を何度か聴くようになったからだ。全曲のタイトルも、それぞれがどういった曲なのかも記憶しているから、話をするのには困らない。だから話を振ってみたのだ。

「エルトンか。なかなか良いアルバムが多いよな」

 隣で歩くA君は、少し笑いながら僕の方を見た。彼の口からも白い息が漂っていた。

「エルトン・ジョンのアルバムと言ったら、俺はやっぱり『黄昏のレンガ路』が最高傑作だと思うね。他のアルバムと比べても完成度が桁違いだし、圧倒的に良い曲が多い」

「そうだね」と僕は首を縦に振る。

 変な話だが、その瞬間、僕は彼と出会ってから初めて心の底から彼と繋がれたような気がした。今までは、僕がジョン・レノン好きだという嘘をつき続けていたが、『黄昏のレンガ路』ではその必要はない。本当の自分を出せばよいのだという安心感を得られたのだ。その勢いに乗って、

「どの曲が好きなの?」

と聞いてみた。すると彼は「うーん」と悩む素振りを見せた後、白い息を吐き出しながら話し始めた。

「たくさん良い曲があるから、一つに絞るのは難しいね。
1曲目の「Funeral For A Friend/Love Lies Bleeding」はプログレッシブ・ロックぽさがあって長いけれど、全然長く感じさせない構成が素晴らしいし、ラストの「Harmony」は地味な曲だけど、個人的には「Your Song」に並ぶ名曲だと思う。他にも「Sweet Painted Lady」とか「All the Girls Love Alice」も好きだな」

 夕焼けは午後の街並みを茜色に照らし、並んで歩く二人の横顔も明るく染める。頬に夕日の温かみを感じながら、僕は彼に分からないようにため息をついた。それは安堵のため息だった。
 
 目を細めながら夕日の方を見やる。その日の夕焼けは、どこかで見た覚えがあるような気がした。デジャヴュだろうか。しかし、僕はそれをどこで見たのか思い出せないでいた。

 彼は話を続ける。

「エルトン・ジョンは好きだけど、『ジョン』は『ジョン』でも、俺はジョン・レノンの方が好きだね」

 またジョン・レノンか。僕は心の中でツッコミを入れる。
 
 『黄昏のレンガ路』のことや、今月の期末試験のことを話しているうちに最寄り駅に着いた。A君は上り方面、僕は下り方面だから、いつもこの駅でお別れだ。改札を通り、A君は左の階段へ、僕は右の階段へ歩く。

「またな」
「じゃあ」 

 電車とバスに乗り、家に帰る。家に着くと夕焼けはすでに姿を消し、窓の外は暗闇が支配していた。そして憂鬱な試験勉強が僕を待ち受けている。僕は仕方なく勉強机に座り、数学の勉強を始めた。正弦定理、余弦定理。どうも勉強が苦手な僕は、ラジオを聴きながら勉強をしてしまうという悪い癖がある。
 
 今日もいつものようにラジオの電源を付ける。しかし、今日のラジオはいつもとは違う雰囲気を醸し出し、あまりにも衝撃的なニュースを告げた。

「ジョン・レノン、凶弾に倒れ死亡」

 自分の耳を疑うとはこのことだ。あまりの衝撃とともに、シャープペンシルを持つ手は止まり、思わずラジオの方を見る。そして考えたのは、先ほど別れたA君のことである。

 ジョン・レノンが大好きな彼のことだ、このニュースを聞けばさぞやショックを受けることだろう。明日学校で会った時は何と言えばよいのだろうか。彼が落ち込んだ様子だったら、上手く慰めることができるだろうか。

 そんなことを考えながら、今さら勉強する気分にもなれず、ペンを置きベッドに身を投げ出した。彼はこのニュースをもう知っているのだろうか。それともまだ知らないのだろうか。そんなことを考えながら、僕はうとうとして、気付けば寝てしまっていた――。

「――おい、起きろ、おい」

 父の声にハッとし、目を覚ます。暗い部屋の中、父がベッドの傍に立って、僕の顔を覗き込んでいる。時計を見ると夜中の1時である。こんな時間になぜ父が僕を揺り起こすのか。その答えは父の話を聞いてすぐに分かった。

 A君は夜中0時頃、彼の家の近くにある踏切内に侵入し、やってきた電車に轢かれたという。彼はすぐに病院に搬送されたが、死亡が確認された。踏切付近には遺書らしきものが落ちており、そこにはこう書いてあった。「ジョンの居ない世界では生きられない」と。

 ――あれから、しばらく時が経ち、僕はあの頃を振り返る。

 A君と最後に並んで歩いた道、そしてそれを照らす夕焼け。あの夕焼けに見覚えがあったのは、『黄昏のレンガ路』のジャケットで見た夕焼けと重ねていたからだ。彼と歩いた道は、まるで「黄昏のレンガ路」のように夕焼けで照らされていたのだった。
 
 いつも君は言っていたね。ジョン・レノンが好きだと。
 
 そんな君に僕は嘘をつき続けてしまった。そして、その嘘は嘘のまま消え去ってしまった。永遠に。
 
 そんな僕に出来ることは、君と初めて心から繋がれたあの『黄昏のレンガ路』を聴くことだけだ。

 だから今日もあのレコードをかける。高校時代に唯一持っていた『黄昏のレンガ路』のレコードを。
 そして、そのジャケットは今日も変わらずに夕焼けを映し出している。あの日彼と見た夕焼けと同じくらいきれいな夕焼けを。(終)

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