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ロシアによるウクライナ侵攻後の『マリウポリの20日間』

第96回アカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を獲得した『マリウポリの20日間』が公開された。この映画はウクライナ史上初めてオスカーを獲得した作品となったにもかかわらず、監督のミスティスラフ・チェルノフはアカデミー賞受賞式の壇上で「この映画が作られなければよかった」と語っている。

この監督はAP通信の記者であり、自身の祖国であるウクライナへ取材チームと共に入った1時間後に戦争が開始、そこから20日間に渡って現地の様子を記録したドキュメンタリーが『マリウポリの20日間』である。

(C)2023 The Associated Press and WGBH Educational Foundation

映画冒頭において非常に印象的で耳に残るのが「戦争は爆発ではなく静寂から始まる」というナレーション。その言葉の意味する通り、映画には静かなシーンも少なくないが、街の上空を通る戦闘機の轟音とのギャップが恐怖心を煽り、また戦闘機の姿がなかなか見えずに音だけがするというリアルな映像となっている。

加えて興味深いのは、この実録モノの映画が基本的に監督の一人称で捉えられているという点だ。ドキュメンタリーは様々な人や機関への取材を通して多角的な視点で語られることが多いが、『マリウポリの20日間』は監督が被害を受けている国の側の人間ということもあり、主に監督の主観で語られる。

だからこそ、カメラを向けられた人々の悲痛な声がダイレクトに伝わってくるのである。

(C)2023 The Associated Press and WGBH Educational Foundation

理解をより深めるにあたり、映画の前後関係を簡単にまとめておきたい。

そもそも侵攻に踏み切ったロシア側の主張は、NATOのこれ以上の軍拡を防ぐための自衛措置(つまり正当防衛)、そしてウクライナ国内にいるロシア系の住民を守るためという言い分であった。

ロシア国境に近いウクライナ東部には親ロシア派の住民も多く、2014年に首都キーウで起こった大規模なデモによって親ロシア派である当時のヴィクトル・ヤヌコヴィッチ大統領が失脚・亡命した「尊厳の革命」の後も、マリウポリでは新政府に対するデモや同市を巡る武力衝突が勃発。緊張状態が続いていた。

日本経済新聞「ロシア、南東部マリウポリで降伏要求 ウクライナは拒否 」より

アメリカ・ヨーロッパ諸国の大使館職員が首都キーウ(上の地図表記ではキエフ)から撤退し、そしてロシア軍が国境付近でその体制を増強しているという報道を受け、監督のミスティスラフ・チェルノフは「ロシア軍がウクライナ東部の港湾都市マリウポリを戦略上重要な目標と見做すはずだ」と確信し、2月23日の夜に現地へと移動。

そして撮影チームが現地入りした2月24日に、ロシア軍による攻撃も始まった。本作は、タイトル通りそれから20日間に及ぶ記録映像で構成される。

現地の実際の様子については、ここに書くより実際の映画を観ていただく方がよっぽど良いだろう。医療現場や現地の警察、行き場のない遺体を埋葬する市の職員など、現地でしか分かり得ない人々の姿が収められた映像は全編に渡って衝撃的だ。

(C)2023 The Associated Press and WGBH Educational Foundation

ただ一つ触れておきたいのは、映画の中で明かされる、現地の映像をどのようにして外部へと共有していたかというその方法である。

ロシア軍の攻撃によって街のインフラも破壊され、撮影チームが現地入りした数日後には電話やWi-Fiが通じない状況となっていた。何とかして映像データを報道機関に送信するために、撮影した動画を10秒の細切れにしておき、街で唯一回線が繋がる(それでも通信は弱めの)エリアへ現地警察の協力を仰ぎながら移動。近くに爆弾が落ちてくる可能性もあるという、たくさんのリスクと障壁を超えての送信を行っていたのだ。

(C)2023 The Associated Press and WGBH Educational Foundation

監督は「NHK みんなでプラス」のインタビューの中で「マリウポリにいた20日間で送ることができた映像は40分程度だったと思います。マリウポリから脱出したときには約30時間の映像がありました。」と語っており、如何に現地からのデータ共有が危険を伴い、困難だったのかがよく分かる。

事実、『マリウポリ 7日間の記録』という別のドキュメンタリー映画では、ロシア侵攻直後の3月に現地入りしたクベダラビチウス監督が、現地の親ロシア分離派に拘束、その後殺害されている。

こちらの作品は監督の婚約者だった助監督が残された映像を確保し、監督の遺志を継ぐ製作メンバーにより作品は完成され、特別上映された第75回カンヌ国際映画祭においてドキュメンタリー審査員特別賞を受賞した。

『マリウポリ 7日間の記録』
(C)2022 EXTIMACY FILMS, STUDIO ULJANA KIM, EASY RIDERS FILMS, TWENTY TWENTY VISION

冒頭述べた通り、『マリウポリの20日間』はアカデミー賞で長編ドキュメンタリー賞を受賞しているが、思い返せば同賞の去年の受賞作は、ロシア反体制派のカリスマであるアレクセイ・ナワリヌイに迫った『ナワリヌイ』だった。

アメリカで最も大きい映画祭の一つであるアカデミー賞において、2年連続ロシアに関連した作品が選ばれているのだ。

(C)2022 Cable News Network, Inc. A WarnerMedia Company All Rights Reserved. Country of first publication United States of America.

もちろん両作とも素晴らしいドキュメンタリー映画だからこそ受賞したことには間違いないが、この連続受賞から、アメリカのロシアに対する警戒心が見えるようで非常に興味深い傾向となっている。

地続きでないため普段はあまり意識しないものの、日本は日本海を挟んだロシアのすぐ隣の国である。日本の最北端、北海道の宗谷岬からは、天気の良い日には約40kmほどしか離れていない樺太がよく見える。そんな日本に住む我々にとっても「マリウポリ」は決して他人事ではなく、今後も動向に注視していく必要があるだろう。

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