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あの街は傷ついている

この街は悲しみに満ちてる
君の名前を呼ぶ 答えはない
積もる雪と 冷えるアスファルト
君のことを思う

この街にたどり着いたのは
君の面影を 探したくて
歩く僕と 過ぎるクラクション
君はここにいない

一人きりの夜をいくつ過ごしても
今も 君を抱きしめられるような気がする

僕の肩に積もる雪が 暖かさを奪っていく
この胸を貫いて 君に届けてよ
冷たい空の下

この街の明るさと笑顔は
痛みと涙を忘れるため
積もる雪は すべて隠してく
あの日のことさえも

君がいないこの世界の隙間を
小さな僕の歌声で せめて埋められたら

深く静かに積もる雪が 僕の心を殺してゆく
この胸を貫いて 君に届けてよ
暗い空の下

            ーCity of Pain (2018)
             Lyrics by はがね(Division15)

ーーーーー

2018年1月 僕はニューヨークにいた。

空港で会うはずだった大切な友人は
なぜか約束の時間に現れることはなく

僕は一人きりで
John F. Kennedy 空港から
タクシーを使ってマンハッタンへ向かった

タクシーのドライバーはインド人だった
BGMはなかなかパンチの効いたシタールの民族音楽
これもニューヨーク
人種のるつぼと言われる所以か

迫り来る摩天楼の夜景を見つめながら
ちょっとだけあの頃のことを思い出した

ーーーーー

18歳からの3年間と半年
僕はボストンに住んでいた

ニューヨークは目と鼻の先
そう思っていた

僕が中学校1年だか2年のときに
ジョン・レノンが撃たれた街

いつかきっと
セントラルパークと
ダコタハウス
そしてストロベリーフィールズを訪れ
ジョンの面影を偲ぼう

だけど

ボストン滞在中に
ニューヨークを訪れる機会はなく
そうこうしているうちに
僕は帰国し、そして医師になった

目まぐるしく日々を過ごし
気づいた時にはもう30年が過ぎて

僕は大人になっていた

ーーーーーー

2001年9月11日

あの悲しい事件

ウサマ・ビンラディンとアルカイダによる
同時多発テロ

あの日は父の手術の日で
父の手術が無事終わり ホッとしたところで

あの信じられない光景をテレビの画面越しに見た

まるで映画のワンシーンのような
だけど現実と認めざるを得ない
圧倒的で荒れ狂うような映像に
僕は言葉を失った

この街を覆い尽くしたものは
いったい何だったのだろう

今もなお
あの街に
その影を落とし続けているものは

ーーーーーー

窓から差し込む朝の光で
目が覚めた朝

少し頭痛がする
時差の影響かもしれない

今日は雪の予報
少し着込んで街を歩こう

ワールドトレーディングセンターへ行くことにした

「グラウンドゼロ」

この街の、この国の悲しみを集めた場所

ーーーーーー

平日の午前中だったので訪れる人が少なかったから
全く待たずに館内に入ることができた

セキュリティチェックを通り
歩みを進めていく

静かなその場所には
とても言葉では言い表せない感情が溢れていた

静けさの中に嘆きが聞こえた
暗闇の中に生命の脆弱さが見えた

破壊されたビルの破片
爆風で散らばった書類の山
溶けて曲がった鉄骨

悪意 善意 愛情 憎悪 

全ての感情が混沌の中に投げ込まれ
ぶつかり合い、そして平衡を保ちながら

静かに僕の心臓をぎゅっと握った

僕のこの目に見えたのは
果たして人類の希望なのか
それとも世界が進む絶望への道なのか

その答えはわからなかったし、今もわからない

その時は溢れる感情に対処するのにただ精一杯だった

自分の中にその悪意が内包されているかもしれない恐怖
自分の中にその善意が内包されているかもしれない希望

自分と向かい合うことに集中しないと
何か特定の感情に流されてしまいそうで

怒り 悲しみ 正義 邪悪

どこにも偏らないように
自分に問いかけ続けた

ーーーーー

外に出たら
雪が降っていた

メモリアルの建物のすぐ横には
大理石に犠牲者の名前が掘られたモニュメントがある。
その周りをゆっくりとゆっくりと
湧き上がる感情をかみしめるように歩いた

いよいよ雪が本格的に降ってきた
もう行こう

ーーーーー

運良く乗ることができたタクシーの運転手は
やっぱりインドからの移民らしく
僕が日本人だとわかるやいなや

「このタクシーは日本製だぜ、トヨタが一番だろ」

と、ひどく訛った英語で一生懸命話しかけてきた。

気のない返事をしながら
流れていく景色を見ながら
僕はこの街について考えていたんだ

この街の華やかさの裏側にある
悲しみや痛みについて

僕はいったいどうしたらいい
この残酷な世界の中で

ーーーーー

タクシーにしばらく乗ってると
セントラルパークが見えてきた

インド人の運転手に
ありがとう、頑張ってな、と言って

ジョンと
30年前の自分に挨拶するために
ダコタハウスの前でタクシーを降りた

ーーーーー

そして2年が過ぎて

あの街はまた不安にさらされている

COVID-19

僕は
大切な仲間たちを思いながら

今日も生きてる


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