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323 アオサのみそ汁


はじめに

この時期になると多くのみなさんが卒業をむかえます。卒業は、次のステージへのスタートでもあります。そんな皆さんに今日は、一冊の白い文庫本タイプのノートを紹介したいと思います。
私は、どんな時にこの真っ白な単行本を開いてほしいと考えているかというと、自分の心が浮ついている時や何か見失って目標が見えない時などです。そんな時に、文字がたくさん書いてあるものを読むのはなかなかつらいですが、この真っ白な文庫本であったら、もしかするとあなたの心に何かを語り掛けてくれるかもしれません。

観阿弥と世阿弥

みなさんご存じのように「初心忘るべからず」という言葉は、一般的に「物事に慣れてくると、慢心してしまいがちであるが、はじめたときの新鮮で謙虚な気もちや志を忘れてはいけない」という意味で用いられます。
この言葉の語源を調べてみると、室町時代に能を大成させた世阿弥の書「花鏡」に出てくる言葉だということが分かります。小中学校で教わる日本史においても世阿弥の名前は登場しますが、観阿弥と世阿弥は親子です。
観阿弥は滑稽劇である、猿楽に風流・歌舞の要素を取り入れることで、新しいジャンルを創出した大変有名な能の大家です。 世阿弥は、その子として後を引き継いだわけですから、大変なプレッシャーだったはずです。
しかし、世阿弥は、さらに優雅な美しさを付け加えることで、能の芸術性を高めることに成功しました。この親子が生み出した流派は「観世流」と呼ばれ、現代まで受け継がれています。そんな新しい芸術をつくりだした世阿弥が心がけていたのが「初心忘るべからず」なわけです。

初心とは

私自身の体験を一つだけお話してみたいと思います。それは、ある一杯のみそ汁を頂いた時の話です。時は、東日本大震災が発生した年です。他の地域からもたくさんのボランティアが入り始めた頃のことでした。発災間もない頃は現地に行くことは難しかったのですが、しばらくすると多くの方がボランティアに入り始めました。
私は、教育的な技術をもっていたのでその能力を活かして活動をさせていただきました。ボランティアの人にもいろいろな人がいて「やってあげている」といった態度で復興支援をしている人もいました。耳にしたくはありませんでしたが、何のために被災地に来ているのかを考えてほしいと感じる内容も中にはありました。
そんなことを感じていた時でした。たまたま、あるボランティアの団体の方にお誘い頂いて昼食を一緒にした時のことでした。もちろんみんな自炊などをして自分たちで食事を用意していましたので、互いに持ち合わせたものをシェアして食事をしました。
その食事の際に年配の男性リーダーの方がカツオのだしの素と味噌を溶き合わせた熱々の汁をお盆にのせてもってきて、みんなに「まずは汁だけ飲んでみてください。その後に横のアオサを入れて飲んでみてください。」と声を掛けました。言われたように飲んでみると、寒いテントで熱々の汁を飲んだだけでもほっとしました。アオサを入れると磯の香りがして風味が変わりアオサのうまみが加わり、みそ汁だけよりも贅沢さを感じました。
その方は「ボランティアに来てくれた皆さんに対してお願いしたいのは、初心忘るべからずという気もちです。」と述べられ「寒いときには温かいものを、さみしい時にはうれしいことを、ほんの少しの心遣いで被災者の皆さんは救われます。」と話を続けられました。
私は、まだ熱々のアオサのみそ汁を頂きながら、その言葉を聞いて心が温か晴れやかになったことをよく覚えています。

きっと新生活では、大きな壁にぶつかることもあるでしょうし、生活に慣れていけば自分を律することができない時も出てくるでしょう。初心とは、「志」と考えてもいいでしょう。自分の目指すものが何かをいつも意識するのは難しいですが、節目節目で自分がやりたいことや自分が目指すものをこの白い文庫本を開きながら思い出してみてくれたらと思います。


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