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アルファベットとたこ焼きと

年に1度会社に提出する書類には、特技を書く欄がある。
その小さな枠を眺めながら、なんとなく昔のことを思い出した。

中学校に上がると、英語の授業が始まった。教育熱心な中学校だったから、多くの同級生が公文や塾に通っていて、ある程度単語も理解している中、わたしはアルファベットの書き順ひとつ、並び順ひとつ知らなかった。

だけど、英語の時間はいつも楽しみだった。気の優しい先生のことが好きだったし、月が変わると新しい英語の歌を覚えられるのも嬉しかった。授業中、立ち上がってフラッシュカードを順番に読む時に、「SUN」を「スン」と読み上げて、笑い声が起きても楽しかった。
週に一回くらい、隣の席の子とペアになって、教科書の会話を覚えて先生の前で発表しに行くという時間があった。
たまたま隣の席だった男の子と必然的に話さなければならなくなって、「どっちやる?」「じゃあこっち」と役割を決めて、としているうちに仲良くなり、気がつけばその子のことが大好きになっていて、そのこともますます英語の時間を楽しみにさせた。ちなみにその子とは1年間のほとんどを隣の席で過ごし、2、3年生でクラスが離れたことにより片想いを募らせたままひと言も話さずに卒業したのだけど、同窓会ですれ違った時に、「えっ」と振り返って、「いま何してるん」と声をかけてくれて、あの頃のわたし良かったねと、あたたかい気持ちになった。


英語の授業の最後には、いつも、例文を繰り返し書いたり、簡単な設問に答えるA3のプリントが3枚、宿題として配られた。
わたしはなぜかこのプリントがとても好きだった。面倒だ、したくない、やってない、という同級生がいれば、手伝うよ、と声をかけて何枚でも書いた。ありがと、なんでそんなにそれやってくれるの?めちゃくちゃ面倒くない?と言われても、手の平が真っ黒に汚れるまで書いた。書き順を確認しながら恐る恐るなぞったアルファベットが、何度も書くうちにだんだん手に馴染んでいくのが面白かった。
提出すると、先生がいつも可愛いスタンプを押して返してくれた。

そんなふうに、英語は少しずつ、するするとわたしの身体に染みていった。
3年生の定期テストの返却日、先生が、「このクラスにひとりだけ満点がいます」と言うので、みんながざわついた。
友達と、すごいね、誰だと思う?と囁きあいながら答案を取りに行くと、先生に、「本当にすごいね、よく頑張ったね」と声をかけられて、パッと点数を見ると、100、と書いてあって、驚いて数秒固まって、それからじわじわと嬉しさが滲んできた。
得意科目を書く時には、馴染みの「国語」の隣にいつしか「英語」を並べるようになった。


たこ焼き、まあるく作るの上手だね。淹れたお茶と炊いたお米が美味しいね。撮った写真が綺麗だね。
全然仕事に役立ちそうもない褒め言葉ばかりが細々と浮かんで、なによりこれです、とわたしが自信を持てるものが思い浮かばなくて、結局わたしはまだ「特技」になにも書けていない。褒められたことだけが特技なわけじゃない、きっと。好きだなぁ。たのしいなぁ。もっと知りたいなぁ。来年は、中学生の頃、英語に感じた、あのきらきらした気持ちで、「特技」の四角を埋められたらいいなぁと思う。

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