解放区について本気出して考えてみた
ポルノグラフィティ 19th LIVE CIRCUIT "PG wasn't built in a day"
当バンドにとって2019年に行った記念すべき20周年の東京ドーム公演以来の「声出しOK」のライブであり、活動25周年を華々しく彩る素晴らしいツアーであった。
この記事は当ライブにて披露された「解放区」について私が抱いたクソデカ感情を発散するためだけに綴られている。またネタバレを多大に含むため未参戦の方はブラウザバックを推奨する。有益な情報などは何も無いことをご承知のうえ先へお進みいただきたい。
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解放区
オレ、天使〜170828-29〜アビが鳴く と「平和」についてのメッセージを感じ得ないパートの後披露された本曲。今ツアー初日時点ではなんの情報もなく、新藤が「このツアーのために新曲を作ってきました」と発言した際にはどよめきが起こっていた。ツアーに新曲を引っ提げるパターンは最近多かったが、本編の途中、しかも誰もが何かを感じてしまうような意味のあるパートのすぐ後ろに新曲が当てられた事には私もとても驚いた。
ステージ上では中心で演説をするかのように朗々と歌う岡野と、灯されるいくつものランタン。
「今日じゃない明日」や「ここでは無いどこか」が本当に今より良いものとは限らない。安全な場所とは、夜の国とは。
ミュージック・アワーで踊り狂う観客と、俺たちのセレブレーションで打ち上がった花火。
「強制はしない、自由に楽しんで」と発した岡野の前に伸びる蛇行した花道。
此処こそが、ライブという空間が解放区であり、夜の国であり、安全な場所なのだろう。
様々な制約に縛られた期間を経て自由に楽しんで良くなったライブ、戻ることを覚めることなく祈り見続けた夢のようなライブ。
オープニングの華々しいファンファーレ、すぐさま続く観客のコールアンドレスポンス、煌びやかに彩る照明やテープなどの演出の数々。
心を解き放つかのように叫ぶ観客と、それを照らす客電。夜=ライブという場を支配するライオンこそは私たち。
覚めない夢を諦めない限り、ポルノグラフィティと私たちがここにいる限り。お互い様となじられはしたが、私たちがポルノグラフィティに「進め」と言い続ける限り。
「自信持っていけ、胸張っていけ」の言葉を勲章のようにいつも渡してくれ、愛してると言葉にしてくれる二人。古の掟は捨て去り、私たちが新しくライブという場を作り出していく。
このライブのために作ったという言葉から、歌詞について私はこのような解釈をした。もし他の視点があればぜひご教授頂きたい。
夜の国
特に私の胸に響いたのはCメロで、初日には歌詞がスクリーンに出てるとはいえ初めて聴いているはずなのに前が見れなくなるほど涙が溢れ出た。
理想は前を向けと、ここでは無いどこかに夢を持てと歌う。しかしポルノグラフィティは過去にこう謳っていたではないか。
今日の先にしか明日は来ない。今を見つめずして未来に光は無い。しかしそうは分かっていてもうずくまって立ち上がれない夜がある、枕を濡らし今を悲観するしかできない夜がある。自分の存在意義すら分からなくなることだってある。ポルノグラフィティはそれすら肯定し、その気持ちを抱えたまま「ここ」においでと歌う。
同じ思いを抱えた人がそこにはいるから。
長くなったが、私がこの言葉にとても救われたという話であった。
追記:恋人
配信開始からタイムラインで様々な考察が飛び交っており、最後の2文以外は演説と情景描写という説が私的にはしっくり来たが、では女王が言うところの恋人とは誰なのだろうか。
今ツアーで披露された曲の中にも複数恋人が登場する。
失われた数十年を共に生き、時に離れ離れにならざるを得ない状況を体験した恋人。明けない夜を望み、夜にこそ希望を見出す恋人。
私は恋人とは"ポルノグラフィティ"という人格のことなのではないかと考えた。
夜の国の住人、安全な場所を欲する私たちに寄り添う恋人であり、楽曲であり、誇れる存在。朝を迎えられないことすら肯定し、決して背中は押さずとも見守ってくれる。そんな存在に我々は力をもらい、反対に進めと声を投げ道を作る。そんなGive&Giveの関係が恋人という言葉に集約されているのでは無いだろうか。
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以上、考察というかこじつけというかでした。私の考察は「こうだったら良いな〜」でできてます。全部正しいとは思わないし絶対考えすぎだし、なので話半分に見てもらえたら幸いです。
芸術には肯定否定どっちもあって然るべきだと思います。ただ今作については私からはどう足掻いても肯定意見しか出せませんってだけな話で…。笑
25周年の今後どう盛り上がって行くんでしょうか、楽しみですね。
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