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親の老化との向き合い方。息子の立場と、嫁の立場と、孫の立場と。

先週のこと、夫は何かしらイライラしていた。

考えてみると、義両親の体調によるのかもしれない。

義父は、もういつどうにかこうにか、なってもおかしくない状態らしい。

タクシーで出歩くことが少なくなり、部屋から丸一日でてこないこともある。

だけど、その日によって、きちんと部屋からでてきて、テーブルでご飯を食べている。食欲も、その日によって違うみたいだ。

体調がよいと、以前のように夫と台所で会話が弾むこともあるようで、昨日もストーブを囲んで長居していた。


だけど、先日の、機嫌の悪さは最高潮だった。

怒りの矛先は、いつも義兄や義姉にいく。


「なんでやねん!自分の親やぞ!週に一回くらい、電話したったらええんちゃうんか?!」


怒鳴るようにつぶやく。


イライラが私へも向けられて、そのうち喧嘩になる。


私もイライラマックスのまま、部屋へ戻ってきた。


そんなに、他の兄弟へ、イライラをぶつけても仕方がないんちゃうんか。
みんな思うことは別々やのに。


実家との交流がほとんどなく、実父の死を見届けることができなかった私は、その思いでいっぱいで、夫のことを、「何てちっちぇ男!」なんて思う位に腹ただしかった。 


腹ただしい思いを抱えながら、気持ちを落ち着かせようと、部屋でパソコンを触っていると、まだ思いが冷めないうちに、夫がやってきた。


また、何言うにきたんやろ。


再度喧嘩が勃発するんかな。その可能性も覚悟していると、意外にも静かに喋り始めた。


もうイヤになってくる。
あんなお母さん、見るの辛いねん。


あ・・・・。


私は少し息を吞み込み、しきりに反省した。
普段は強情な私だが、さすがに悪いと思って返した。


そうやんなぁ。自分の親やもんな。
ごめん。私はやっぱし、他人やからかな。
なんか、映画のスクリーン通して見てるカンジやったわ。


あまりに短期間のうちに、状況が変わっていくさまを、他人事のように、スクリーンを通して見ているような、そんな感じに囚われたというのが、私の本音だった。

まだ、介護の実態が私に降りかかっていなかったり、義母の程度が軽いからかもしれない。


でも・・・。


夫にとっては、実の親であるということを忘れていた。

同居はしているものの、夫自身も両親のことに関してよく思っていなかったし、感情移入した様子を見せなかったから、もっと冷めた思いをもっていると思っていた。


だけど、辛いわな・・・。


今回だけは、反省した。

夫が農業を継いでからというもの、一部の農作業を除き、義父が居ない畑で、義母とふたり懸命に畑を守ってきたという思いがあるからこそ、辛いと同時に腹ただしいこともあるという。

腹ただしい思いは、どんどん悪くなっていく義母にも、親の状態に無関心な兄弟にも向けられる。

よくよく聞いていると、自分は長男でもないのに、家の状態を良くするために、義父の長きにわたる過ちを、尻拭いしてきた。
家のために一生懸命してきた。
兄弟のなかで、自分ひとりやってきた。

それやのに、両親のそんな状態を見るのも、オレがひとり全部せなアカンのかという思いでいっぱいのようだった。


加えて「何で自分の両親やのに・・・。」と言うから、私も静かに返した。


それは押し付けたらあかんで。

自分は家を継いで大変やったやろうけど、一緒に住むことによって、両親と心を通わせる時間があったと思うよ。
親に対して良い印象もっていなかったにしろ、ある意味、会話をする時間もあったし、気持ちに折り合いつける機会があったはずやで。

兄ちゃんは、ほとんどそんな機会もなかったやろ。


兄弟ひとりひとり、思いはちがう。
親に対する熱量もちがう。


だから、押し付けたらあかん。
兄ちゃんや姉ちゃんが、会いにこおへんでも怒ったらあかんで。


分かった。押し付けはせえへん。


少し落ち着いたように夫は返した。


夫自身も、私が嫁いできてからも、義父との関係が著しく悪い時期があったが、義兄はそれ以上に、義父との関係がよろしくない。


義兄は若い頃、義父に人生を振り回された挙句、「お前も早くこんな家を出た方がいいぞ」と言い残し、家を出た。

それっきり、義父に対して良い印象は持っていないようだ。


長男であるにもかかわらず、何て親不孝なという見方もあるかもしれないが、詳しい話しを聞いていると、義兄に同情の余地もある。


義兄と、義父、夫とのやり取りを聞いていると、義兄の心の内が何となく分かる。

義兄は、ある意味、義父のことを吹っ切れていないのではないかと。

私も昔、親のことが吹っ切れなかったから分かる。


そんな義兄は、夫とも関係はあまりよくなくて、今回も夫が電話をしてもでなかった。


だけど、夫からの電話を代わりにとった嫁さんから、今の義両親の様子を伝え聞き、週末やってきた。

七年ぶりくらいに正月にやってきて以来、1カ月ぶりのことだった。


正月にやってきたときには、私とも会話を交わしたが、一時期体調が思わしくなかったらしいが、今は自分なりの快適な過ごし方を見つけつつ暮らしていると言っていたし、今回は義父とも会話を交わしていた。

わりあい、穏やかな表情で。


義兄の過去の思いが、吹っ切れる日も近いのかなと思った。


次の日、同じく夫からの電話を受けた、義姉もやってきた。


やはり親のことが気になるのは、義兄も義姉も、夫とおなじなんだと思ったが、夫にぜんぶ任せるスタンスは変わらないようだ。


なかなか私の名前が出てこなかった義母の口から、先日、随分久しぶりに私の名前がでてきたときには、なぜか少し嬉しかった。

逆に、何度となしに「それ、誰?!」てな人に間違われてばかりいると、少し腹ただしく感じた。(アカン。アカン💦)


いまでも、色々だが、人間ってのは勝手なものだ。
あれだけ、苦手だった義母に名前を間違われるだけで、そんな気持ちになるなんて。


一方で、息子とも義父母のことについて話すことが多くなった。
昨日も、私の職場である柿畑へ送り届けてもらう軽トラの車中で話した。


kaki助(息子)は、じっちゃんばあちゃんと同居して、こうして人間の老化を見届けることは、すごく恵まれているとおもうよ。

いま、こうして祖父母と同居すること、少なくなってきたけどね。

いま、別に暮らしているkaki子(娘)より、学んでいること多いんとちがうか。母ちゃんも、年寄りと同居したことなかったから、いろんなこと学ばせてもらっていると思ってるよ。


よ~く、目に焼き付けておいてや。
母ちゃんも、あぁいうふうになるから。


そしたら、母ちゃんは、即施設行きや!
いま、山椒儲かってるから、そのお金で速攻や!


おい?!💢
まぁ、なるべく長く畑で仕事するかな。と言って、ふたり笑った。


でも、ま、子供に迷惑をかけるくらいなら、その選択も無きにしも非ずと、頭の片隅には、置いているけど、農作業の人手として、欠かせないと認められるあいだは、大丈夫かな。


うちには、歩いて行ける小さな畑もあるし、家のすぐ下にも横にも畑がある。

軽トラを運転できない私でも、何かしらお手伝いができることがあるということは、請け合い。


自分の健康のためにも、長く働けるといいな。



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