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強くなった嫁と、認知症になった義母と。

ついこの間、今年88歳になる義母がとうとう料理をしなくなったと、記事に書いた。


とはいえ、年末までは、洗濯をすること以外の、唯一ルーティーンとして行われていた家事である、料理をしなくなるのは、これから生活をしていくうえで、壊滅的な状態を進行させる気がして、しばらくしていなかった買い出しへ連れ出した。

義母は、久しぶりに料理をしようという意欲が掻き立てられたようで、実に二十日ぶり位に料理をした。


ところが、一回料理をすると満足したのか、待てど暮らせど料理を再開する気が見られない。


冷蔵庫の中には、(驚くほど)賞味期限の切れた魚やその他の食材で溢れている。

「いっそのこと、捨てようか?」と夫に相談するも、返事は返ってこない。
むしろ、「置いとけ」派だ。


しびれを切らせた私は、「義母さん、魚、焼くなり焚くなりして食べた方がいいよ」と。


これでも、言葉を選んだつもりだ。

「調理から逃げるな!はよ、食べるんやたら食べるで、片付けてしまえ!」が、私の本音で、一歩間違えると、そのまま言ってしまいそうなくらいイライラしていた。


だけども、どう伝えようか、一息ついて考えた末での言葉だった。

その言葉で、まさか素直に動き出るとは思いもしなかった。

人がどう伝えようと、頑なに動かないのが義母だった。

人に言われることは、まず否定から入るのも義母だ。

これも、認知症を発症したが故の行動なのか分からない。

だけども困ったのは、使い慣れたオーブントースターの使い方が、すっかり分からなくなっていたこと。

義母はめったに魚を買うことはなかったが、いつの日からか、魚をオーブントースターで焼くようになった。
オーブントースターの電気線は、みるみるうちに油まみれになって、ショートするようになり、壊れた。


「コンロで魚を焼いてね」と言っても聞かずに、新品のオーブントースターを愛用。
「魚焼き機」を購入し、大きな字で書いた使用方法を貼り付けたりしたけど、使用できそうもなかったので、更に「食パン専用」のオーブントースターを買い足したくらいだ。

何度かは、そう難しくない「魚焼き機」を、私たちに使用方法を聞きながら使っていたが断念したのか、再びオーブントースターで焼き始めた位、愛用していたのに。

「わしは、昔ながらの電化製品でないと使えやんのや。こんな最近のものは・・・」と言うものの、幾度となしに使ってきたし、ダイヤル回すだけの最低機能のものである。


私がダイヤルを回すことを伝えて、事なきを得たが、いつまでできるか分からないけど、とりあえず、魚ヒトツ焼くだけでも、頭を使うのは確かだということは、義母の様子から見て取れた。


冷蔵庫覗いてさぁ、「さぁ、何食べよ」言うて考えやなアカンし、段取り考えながら料理しやなアカンし、なるべく長く料理してもらった方がいいんとちがう?
魚ひとつ焼くにしても、頭使ってたみたいよ。


夫に一応、報告だけはしておいた。

それかして、今日も料理してたわ。
kakiemonさんに、叱られたら、ワシ怖い!怖い!言うて、料理してるんちゃうか?!キッツいヨメや!いうて。


夫がゲラゲラ笑うのにつられて、私も笑ったが、言い返した。


何言うてるの。キッツいんちゃうで。強なったんやで。
自分(夫)がなーんにも言ってくれやんから、言えるようになっただけのことや。
強ならな、しゃあなかったんや。


だいたいさぁ、自分(夫)の親なんやで。よーく考えてみぃ!
自分が親に言わなアカンねんで。


今までだって、義母さんになーんも言わんとさぁ。

おばちゃんだって、自分のおばあちゃんの介護してるときに、何かにつけ電話してきはって、義母さんに介護の内容について確認してたけど、多分、おっちゃん、自分の親になーんも言わんと、任せっきりやったんちがうの?

「ほうっ!ほぅっ!」て返事するだけで。

男の人って、みんなそんな感じちゃうの。もしかして。

おばちゃん、「もうっ!アンタが、何も言わんから、ぜんぶ私せなアカンやん!」言うて、電話してはったんちゃうか。

と、夫の母方の祖母の介護を持ち出しがてら、おじさんのマネをすると、夫は、少しばつが悪そうに、それでもケタケタと笑った。


私が嫁いできた当時、夫の母(義母)方の実家では、夫の母方の祖母が、長男(義母の兄)夫婦と同居されていた。

夫の母方の祖母とお会いしたのは、結婚してすぐの一度だけだったが、その後しばらくして認知症が入って、自宅での介護を余儀なくされた。

おばさんが、幾度か義母に相談しながら、介護を進めていたようだが、他の小姑である、義母の姉妹である人にもきちんと何かと連絡をしていたという。

おばさんからすると、小姑は、義母を合わせて4人。
義母は6人兄弟の、3番目である。

それから数年後、夫の祖母は90代半ばで亡くなったが、おばさんは、小姑にも気を遣いながらの介護は大変だったろう事が伺えた。


夫のおじさんもおばさんも、長いこと、うちに柿の農作業を手伝いに来てくださったので、私も存じ上げているが、おばさんは、隣り町の少し都会の方から山のなかへ嫁いでこられたと聞いている。

私とおなじで、嫁いでこられた当時は、筋力がなくて、斜面畑を歩くのに尻で歩いたときいた。

私が、斜面畑を歩くのに、悪戦苦闘していたのを見て、「ギャハッハッハッ!若いころの私と同じや」と、大きな声で笑った気風の良いおばさんだ。

よくしゃべる方で、口と同じくらいに身体を動かし、ごうせいに仕事をされる方だ。
時として、言葉尻が強く、はっきり物言いをされる方で、キツク感じることもあったが、小姑4人が常々実家へ集まるところへ、嫁いでこられたが故、そうならざるを得なかったのではないかと言うのが、私の見解だ。

おじさんは、寡黙で無口と言う感じの方だが、息子や娘がまだ幼い頃、あやして一緒に遊んでくれるような意外なところがある、義母の兄弟の中の長男に当たる人である。


ちなみに、つい数年前から、おばさんも高齢になられたこともあって、義母の実家での集まりは、ほぼなくなったようだ。

それに対して、義母をはじめ、不服を抱える人もいたというが、随分と最近まで、両親(義両親)のいない実家で、小姑を迎える嫁の立場は、さぞかし大変だったろうと思う。


そう、義両親と完全同居となると、ヨメは強くならざるを得ない。

嫁いできた当時は、姑と嫁とのあいだに立って、中立の立場で上手に架け橋になってくれるのが夫。

と思っていて、うちの夫は世間で言うと普通ではないと思っていたが、実は、そんな夫は存在しないのではないかと考えが変わった。
それは、幻だと。

両親と同居を望む男の人に限って、特にそんなタイプの人は少ないのではないかと。


男の人は、そんなもの。


そう思ってやっていける人は離婚しないし、思えない人は愛想つかして出て行くんだろなと。

実際は分からないけど、そんな夫とやってきたので、ええ。お陰で強くなりました。

キツイのではありません。


だけども、娘、嫁の立場でいらっしゃる方が、義母と同世代の方のことを、「note」の記事に挙げられているのを読ませて頂くと、介護施設に入所されている方もかなりの割合でいらっしゃるのが分かって、義母に無理難題を押し付けているのではないかと、時々罪悪感に苛まされる。


義母はじつに私の30年以上長く生きていることになるが、私の30年後なんて予想もできないし、私は高齢者とそう生活を共にしたことがないので、未知な世界であるということは確かだ。

およそ言えることは、義両親は、同世代の方たちよりは、はるかに元気だが、できなくなることがあって当たり前なのだろう。

だけども、自分で出来ることは、できるだけ長くやってもらいたいというのが、嫁の本音だ。


自分も、そういう老後を送らねばと思っている。


「義母さん、野菜室のほうれん草、おひたしか、炒めて食べたらどう?」と、とりあえず昨日は「ほうれん草」を救済した。

だけども、義父も義母も、もういっぱいいっぱいのような感じだ。
義父の具合が悪くなり、義母の認知症がすすんだ気がする。


義母がデイサービスへ行き始めのころ、「kakiemonさんは、ワシに叱るようなことはせんので、ホンマにありがたい」と、何度か私に言ってきたことがあった。

他の利用者さんと、何かお話しをしてきたのか、もしや、叱られないように、先手を打ってきたのか、本当のことは分からない。


とりあえず、「不機嫌」で人を動かすことだけは、避けたい。
それで、「キツイ嫁」からは、少しでも遠ざかるといいけど、何せ強くならなければならない。

他人の親に物を言うのは、必要以上に気を遣う。
何年一緒に住んでいても。

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