断捨離で捨てることができるもの、できないもの
相互フォローさせて頂いている、ららみぃたんさんの「だんだん断捨離」も、「第二十八弾」をむかえた。
と思ったら、昨日「第二十九弾」の記事をあげていらっしゃった。
(私が、もたもたと、この記事を書きあげている間に・・・)
昨年11月ごろから暇を見つけては、断捨離を少しずつ進めていらっしゃる。
時を同じくして、私も少なからず影響を受けて、断捨離を本格的に始めることにした。
何気なく時間に暇ができて、空いた時間を何に充てようかと考えている最中に、飛び込んできたららみぃたんさんの記事。
少しずつ物を断捨離しはじめていたころで、ららみぃたんさんの記事に更に背中を押された。
物が多い我が家。
物を捨てることが出来ない義母が、随分とため込んだものが多い。
いつの日か、溜め込んだ数百枚の紙袋を捨てたことがある。
「うちわ」も十枚は捨てたっけ。
それでも、台所だけはわたしが遠慮があって触ってこなかった場所で、やたらに無駄なものが目立つ。
昔お中元などで頂いたような、「のり」が入っていたような大きな空瓶がいくつもあったり、刃が劣化して使えないピーラーだったり、必要以上にたまったプラスチックの保存容器のみならず、梅干しや佃煮が入っていた容器までもが所狭しと収納されている。
おおかた、私が嫁いできた当時からあるもので、ずいぶん昔から気にはなっていたものの、同居の義母の存在が気になって、さすがに捨てることができなかった。
義母が昨年からデイサービスに通うようになったので、都合がよくなったこともあって思い切って、家の焼却場でずいぶんな量を処分してみた。
「なんだ大丈夫じゃん」
義母の様子を見ていて、安堵して少しずつ進めて行くことにした。
1カ月前に義父が亡くなったときには、家から軽トラ数台分のモノが一気に家から消えたが、それでも、家の中にはまだまだ物が溢れていることに気付く。
思い切って、母屋の洗面所やリビングのタンスなどにも手を掛け、少しずつ断捨離は進んでいる。
「kakiemonさん、ずいぶんスッキリしたものね」と義母が声をかけてきたときには、「ギョッ💦」としたが、「アレくらいに、片付けようと思えば、ずいぶんキケタ(疲れた)やろ?」と気遣いの言葉が続いたので、ホッとした。
「仕事が休みの時に、少しずつ少しずつ進めていったから、そうでもなかったよ」と返した。
ある日の仕事が、雨でお休みの日のこと。
その日は、断捨離の続きをしようにも、義母がデイサービスがお休みの日で、手持ち無沙汰になった。
仕方なくパソコンでネットサーフィンをして時間を潰していると、ウシロの物置き化している本棚にある、私の「中学の卒業アルバム」に気付いた。
ずいぶん前に、私が何かの拍子に見たくなって、実家から持ち寄ったプラスチックの「思い出ケース」から出したものだ。
見たはいいけど、部屋を出て、私たちがいるハナレの建物のかなり古い階段を上って、電球ひとつない真っ暗闇の、物置化している二階へ又戻るのは面倒で、ずっと置きっぱなしにしていた「卒業アルバム」。
アルバムからは、重い空気が漂っている。
なんど見てもときめかない。
「処分してもいいかな」と思ってはいたが、「アルバム」は処分してはいけない気がして、放りっぱなしだった。
だけど、どういう風の吹き回しか、踏ん切りがついて、庭の焼却場で処分することにした。
「そうだ!」とばかりに、高校のアルバムを探しに行ったが、「思い出ケース」に見当たらなかったが、他に同じく処分の決意ができたものも出てきた。
だけども、置いていても仕方がないのに、捨てることができないものもある。
私が唯一人生で頂いた「金メダル」。
小学6年生のときに、市民短縮マラソンで優勝した時のメダルだ。
当たり前のはなし、メダルは純金なわけがないし、たかだが小学生の時のもの。
「だけど、あの時、わたし、頑張ったんだよな・・・」と思うと捨てることができない。
小学6年生の担任の先生は、さいごに「苦しい時はあのときの『優勝』を思い出して」と、サイン帳に残して下さった。
ま・・・いいか。
今回は処分を見送ることにした。
私が独身時代にいちばん長く過ごした大阪の実家を、家族が引きはらう時に、母は段ボール数箱分の私の荷物を送ってくれた。
私は「プラスチックケースひとつ分」と決めて、残すものを厳選した。
その中に納まるのならいいよね。
いつの日か処分するにも、そんなに時間はかからないだろう。
年を重ねると、若い頃には処分するのに躊躇したものが、処分の対象に入るものがある。
一緒に処分するはずだった高校時代のアルバムを探しに、部屋の押し入れをあけると、まずミシンが目に入る。
子供たちが保育園や小学校入学当時に、手作りのかばんを用意しようと購入したものだが、使ったのはそれっきりだ。
もともと、裁縫は苦手な分野だ。ミシン・・・。
ミシンの傍には、当時の「はぎれ」ののこりが残されている。
息子用の「かいけつゾロリ」や、娘用の「うさぎちゃん」の柄のはぎれが・・・。
それもかなりの量で、なんだか捨てるのがもったいなかったけど、今回は処分決定。
100均の年賀状保存ケースには、ずいぶん長い年月分の年賀状がたまっていた。
そんなに場所をとるものではないが、今年頂いた年賀状のみを残して全部処分すると、スッキリした。
あと、過去に使っていた数々のかばん。
いつか、畑に仕事へ行く用につかえるかもしれないと、ずいぶんな数になった。
「いつか」は来ないな・・・とばかりに、全部処分した。
断捨離を続けていると、不思議と次の目標ができる。
「次は、数が多すぎる水筒を処分しよう」だとか、「次は、上がり小口のテーブルの引き出しを整理しよう」だとか、「次は、雑然とした洗面台の小物を整理しよう」だとか。
それを、ひとつひとつ片付けて行くと、間違いなく家自体が軽くなって風通しがよくなる気がする。
心なしか脳みそまでスッキリ。
だけど、片付けても片付けても、まだまだ片付けるものはあるし、片付ける場所も存在することに、愕然とする。
義兄や義姉のもの、義父のものも残っているし、へたするとそれ以前のものも残っているし。
だけど、暇を見つけては続けてると、もしかして今50過ぎのわたしが、還暦を迎えるときには、随分と家じゅうのモノはなくなっているかも!
そう感じたので、ららみぃたんさんの記事へ、「わたしもららみぃたんさんの記事に感化されてがんばっています!還暦を迎える頃には(私の断捨離は終わるでしょう)!」とコメントを残した。
(同世代の)ららみぃたんさんからも「還暦を迎える頃には(私も)!」と返ってきた(笑)
いやいやいや。
ららみぃたんさんの断捨離シリーズは順調よく回を重ねているし、還暦なんぞを迎えなくとも、もっと早く終わっていると思うよ。
これからは、忙しくなる。
今もアルバイトさんに来てもらって、柿の蕾を採ってもらっているが、夏の山椒採りの時期もあっという間。
しばらくは、断捨離はのんびりペースかな。
だけども、やっぱし捨てることができないものがある。
押し入れで見つけた「手紙」。
独身時代、お付き合いした短い期間での中距離恋愛で交わした手紙だ。
ほんの少し読んでみたが、初心に戻ることができる。
嫌いで結婚したわけではないんだな・・・。
えっ!ちょっと待って!
これって、私が書いた手紙だということは、これは、「私のもの」ではなく、紛れもなく「夫のもの」。
夫が無造作にお菓子の缶に入れたままで、押し入れに放置している、およそ30年前に私が書いた「手紙」。
息子たちに読まれると困るから、死ぬまでにもう一回読んでから捨てるかな。
今は、読む気がしない。
今、読んでしまうと、全身の力が抜けて農作業どころではなくなる気がするから読まないけど、捨てることはできないな。
なんなら、夫が亡くなったときに読んでみようかな。
夫から届いた手紙も、たぶん友人からの手紙に紛れて、あの中に・・・。
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