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(介護)デイサービスを利用することが、当たり前の世の中はくるのだろうか。

義母が、週に一回利用していた介護のデイサービスを、週5回利用するようになってしばらくたつ。

義父が入院したタイミングと時期をほぼ同じくして、3月から月曜から土曜の間、デイサービスに通うようになった。

安心して仕事ができることが理由で夫が決断したが、義母がデイサービスに慣れるにはそれがいちばんだと思った。

基本、何も言わずに行ってくれるようになったが、その日の調子によってまちまちだ。


そんな中、義母が私に何気なく聞いてきた。


「kakiemonさん、ワシが行ってる習い事いうんかな。あそこは何?」


初めは何を言っているのか分からなかったが、義母が聞いてくるとなるとデイサービスのこと一択だ。


あぁ!デイサービスのこと?

あれは、ある程度年を重ねて、家で何もできなくなると介護施設に入らなあかんやん。
そうならないように、施設に入る一歩手前のところで、どうにか踏みとどまれるよう、老化を遅らせるために通うところなんやで。

だから、脳トレとか軽い運動とかするやろ?


皆がみな、施設に入りたいと言ったところで、施設がパンクするやん。
私らの親の世代も、私らの年代も、めちゃくちゃ多いから、国が、今からそういうシステム作って、備えているんやで。

義母さんも、もし入りたいいうたところで、すぐには入れやんのとちがうか。

ある程度の年齢になって、介護が必要になったら利用するシステムで、この町だけではなくて、日本全国でそうなってるんやで。

義母さんも、年金から介護保険料が自動的に差し引かれてたし、私らも40歳から介護保険料支払っているから、利用せな損やで。

私も、義母さん位の年齢になったら、利用するかも。



そうかい。
そうやって、詳しく教えてくれたら、安心できるわ。



解釈の仕方が多少間違えている可能性もあるが、およそ、私が知っていることだけのことを言うと、義母は納得したようだった。

いや、前にもそうやって説明したことあるで。


案外、デイサービスなり、介護制度を利用されているご高齢者当人の中には、知らない人もいらっしゃるのかもしれない。

だから、余計に「同居家族に行かされている」という、被害者意識に苛まれる可能性もあるのではないだろうか。


私も、義父母が介護制度を利用するまで、何も知らなかった。

確定申告で見かけた、「介護保険料」の文字は目にしたけど、気にも留めなかった。


調べていくうちに、年をとって介護制度を利用するのは、ごく自然な事なんだと、少し利用するハードルが下がった気がした。


だけど、介護制度が始まって、まだ20年ほどで、さほど浸透していないのではなかろうか。

いま、親の介護をしていらっしゃる方が、親の介護に携わりながら、介護制度を利用して浸透していくのではないかというのが、私の思うところだ。


たとえば、介護制度が開始された20年前、介護の対象となったであろう、義父よりずいぶん前に生まれた方が、介護制度を利用することを簡単に承諾することは考えにくい。

義父は、昭和一桁生まれだが、介護制度を利用することを、簡単には承諾してくれなかった。

長く通う行きつけの診療所の先生が、地域包括センターへ手配して下さったが、なかなか職員の方を迎え入れることはできなかった。


かくいう私たち夫婦も、介護制度を利用することは、ハードルが高い気がしたし、義両親も全力で抵抗した。


先生からは「手続きしておいたから」と何気に言われたらしいが、当の本人は良い顔をしなかった。

「介護なんてとんでもない」位の言葉を、私たちにも投げかけていた。

デイサービスも、義両親ともに嫌がり、もともと規律に従って行動することが苦手なだけに、突然キャンセルをしたりとてんやわんやした。

義父が入院した後も、義母は「あんなところ・・・」と、デイサービスのことを揶揄し、他の利用者と、自分は違うことを強調したりした。


無理もない。
昭和の初期の生まれといっては、語彙力に問題があるのかもしれないが、新しいものを取り入れるのに抵抗があるうえに、本人自身が親を看取るのに、介護制度を利用することを経験はしていないし、寿命が短かっただけに看取り方も又違っただろう。


実際、義両親は親を看取るのに、介護を経験していないし、義母が嫁いできた当時にいらっしゃった、義父の祖母(夫の曾祖母)は、90代まで生きたというが、とても元気な方でいらして、認知症を発症することなく、杖をついていたとはいうが、さいごまで自分の足で歩き、最後の2,3日寝付いただけで、最後は肺炎で亡くなられたという。


夫も、そういう曾祖母を見てきただけに、自分の両親が、認知症を発症したり、筋力が衰えていくさまを想像できなかったという。


いろんな経緯があって、義両親が介護制度を利用するハードルは高かった。
私自身も、どこか自分には縁遠いところにある感覚でいたし、介護サービスを受けることは、たいそうな事のように思えて、できれば利用しない方がいいのではと思っていたくらいだ。


心境的にいえば、私たちだけでは、いよいよ介護をできないのではないかと匂いを嗅ぎつけたその時に、夫が一大決心をするくらいの意気込みで、介護制度を考え始めたくらいだ。


だけど、いざ義両親が介護制度を利用するようになると、いろいろ分かってきたことがあって、自分たちも年をとって介護が必要になると、エレベーター式に介護制度を利用するのが当たり前なのかもしれないと思った。


そういえば、義母にこんな話しもした。


あのね、義母さん。
介護が必要な人が、介護制度を利用することによって、同居家族が仕事を辞めなくて済むんやで。
介護するのに、仕事を辞めるとなると、収入も入ってこおへんし大変なんよ。

その点、義母さんは、嫌がらんとデイサービス行ってくれるから、私たちも助かるねって、私たちもいつも言いながら仕事へ行かせてもらってるんよ。


同居家族が居ると、特に介護制度を利用することが多いん違うかなぁ。
かと言って、高齢者夫婦だけの世帯で、自分たちだけで介護しあうにしても大変で、よく、夫が妻を、妻が夫を、介護疲れで殺してしまったとかニュースで流れてるやろ。


うちの親(実母)なんて、ヨソの人の手を借りるのはイヤや言うて、妹が付きっ切りで居てるから、妹は一回も社会に出てないし、収入も入ってこおへんのよ。


ここまで言うと、義母からひと言返ってきた。


そおぉぉぉう?!
お母さん、そんなしょね(根性)あるのぉぉぉぉっ!


いかにも、驚いたふうに反応をくれたけど、義母さんも、負けやん位のしょねあるよ。


次の日の朝には、デイサービスに行かないと駄々をこね、挙句の果てに「kakiemonさんが、代わりに行ってきてくれるんちがうんかい?」なんて言ってきたときには驚いたよ。


えーーーーーーーーーーっ?!わたしぃっ?!💦


いや別にいいねんけど。
たまには、駄々をこねたいだろうし、次の日からは、普通に行き始めてくれたんだし。

それも又、詳しく説明をして納得してもらったけど。


いかにも分かったようなことを書きながら、明日は我が身だと思うといろいろ考える。(義母の年齢になるまでに、あと数十年あるけれど)


そういう私も、いろいろ努力はしているものの、認知機能は衰え、身体は老いていくだろう。

自分の想像をはるかに超えて、老化は迫ってくるのかもしれない。
ずっと健康でいられるとも限らない。 


そういったときに、何が一番大切か。

いちばんは、身近な家族に迷惑をかけないこと。

迷惑をかけないためにも、上手に介護制度を利用すること。


「国が作ったシステムなのよ」の言葉に義母が安堵したように、私も知識を得て、介護制度を利用することはハードルが低くはなったけれど、いざその時になったら頑固になって言っているのかもしれない。


「あんなところへ行きたくない」と。


その前に、第二次ベビーブームの私たちが老後を迎える頃には、人数が多すぎて、ちょっとやひょっとのレベルでは利用できないかもしれない。

もし介護制度がないとなると、「介護施設に入りたいです」と一斉に皆が手を挙げることになり、それはもっと大きな問題になることが予測される。

介護制度は、介護予防が練り込まれたシステムになっているので、介護施設がパンクしないためにも必要だと考えられるが、私たちの年代だと、お金を持っていても、介護施設に入れないのかもしれない。


まずは、なるべく利用しなくて良いように、自分でできる限りの努力は不可欠だ。


といったようなことを考えたり、危機感を若いうちから持てることは、義両親と同居することによって、活きた勉強をさせて頂いているからかもしれない。

のほほんとしている私のこと。
高齢者と共に生活していなければ、ここまでのことを、こんなに早くから考えもしなかっただろう。

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