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とりあえずやってみることで、新たな気付きに出会えることがある。

私の行動範囲は狭い。

畑か、行きつけのスーパーか、家の三択だと言ってよい位だ。

一生、畑と家往復、そして時々近くのスーパーへ行くくらいの人生で終えるのかもしれない。


だけど、特別どこに行かなくとも、経験値を自分なりに上げてきた。

いまある限られた生活の中で、いろんなことに取り組み、できることを増やしてきた。


もし、本来の面倒くさがり屋100%のわたしのままでは、経験値もあがらなかったし、視野も広がらなかっただろう。

また、いろんなことに取り組むことによって、一生通してやっていけることが増えるのかもしれない。
年をとっても手持ち無沙汰にならずに済むのかなと考えるようになったのは、やはり認知症の義母を見ているからだろうか。

たとえば、義母は絶対に手に付けようとしなかった、「柿の箱折り」や、「山椒を詰める麻の袋にビニール袋を中にセットすること」。
地道で目立たない細かな作業だが、「これは年寄りの人がしてくれるとゼッタイ助かる作業だな」と気付くことができたのは、忙しい時期に隙間時間に大変な思いをしながら作業したから。

また、様々な大きさの焚きつけ用の木の「こま」を焚きつけしやすいように切って揃えておいてくれると助かることは、毎日の風呂焚きを担っている私だからこそ分かる。


半年ほど前に、自宅用の米の精米機を買った。

米はマメに精米して食べるのが一番美味しいと、米を購入している夫の友人に聞いたそうだ。

「名もなき家事」が増えた私は、面白くなかった。

「ぬか」は、畑に仕掛けている猪用の「わな」にばら撒くそうで、容器がいっぱいになると、時々夫が持ちだす。

剪定も終わり、薪づくりも終わって、少し精神的に余裕ができたからだろうか。

「米ぬか」があるということは、ぬか漬けができるということだよな・・・。

前々から気にはなっていたけど、私はそんなことをする諸根(しょね)はない。

面倒くさがり屋だし、過去に「なすびのぬか漬け」が好きな夫のために、常連アルバイトさんが、ぬか床を分けて下さったことがあり、「ヨッシャ!」とぬか漬け作りに挑んだが、いつの間にか飽きて止めた経緯がある。


決してマメ子さんではないので、やるだけ無駄!と高を括っていたが、どういう風の吹き回しか分からないが、「チャレンジの神様」が舞い降りた。


とりあえずぬか床を作り、「何年もの?」と聞きたくなる、夫が数年前に茹でて塩漬けした山椒の実や昆布などを足して、捨て野菜を漬けたころ。

生まれて初めて「ぬか床だけ」を、味見してみた。


「・・・・・・?!」😍

熟成された山椒の実のおかげ?
(いつまでも放りっぱなしの塩漬けされた大きな山椒のビンを、「早く処分すればいいのに。場所、どれだけとると思ってるん?(怒!💢)」と内心ぼやいていたけど、ここで役にたつとは!)

「ぬか」に加算された風味をかんじることができた!


それから、お野菜を少しずつぬか漬けにしているが、器用でもない私が、まさかこれほどの、「ぬか漬け」を作ることができるなんて思いもしなかった。

有難いことに、これからうちでは、ぬか床に風味を足すことの出来る「山椒」や「柿の皮」が手に入るから楽しみだ。

いま、ぬか床の中には、ぬか漬けにすると美味しいという「たけのこ」が入っている。


私はどうやら、仕事を通して「作物を育てる楽しさ」に気付いてから、「育てる」ことに、面倒くささより、興味や楽しさを感じることができるようになったのかもしれない。

ぬかを混ぜているあいだ、「乳酸菌」を育ててる気がして、ワクワクしながら「ぬか床」に愛着を感じる自分に気付く。


いま始まったばかりの「ぬか漬け」生活を、長く楽しめたらいいな。


これでまた私の経験値があがった。

そう考えると、限られた生活の中で、目の前のことにどれだけチャレンジできるか、楽しめるか、それが人生なのかもしれない。


大まかにいうと、仕事や家事、育児。

「ゴミ捨て」や「ポットの湯の補充」、「トイレットペーパーの補充」、「不燃物の仕分けや放り出し」といった細かなことまで、やることによって得られた気付きもある。


だから、とりあえず目の前のことを「やらない」という選択はしない。

やるからには主体性をもってやらないと、「気付き」も得ることができないことも忘れてはならない。


「ぬか漬け」に取り組んだおかげで、限られた生活の中でも、まだまだ楽しめることがあるのかもしれないという「気付き」を得た。


不平不満ばかりを垂れ流すくらいなら、楽しめることは何かないか、目の前のことをどう楽しむかを考える方が、よっぽど人生を充実したものへと導いてくれる気がする。

そう考えられるのは、若い頃にも「どう仕事を楽しむか」と考えたところから、視野が広がった経緯があってのことかもしれない。


その道しるべから、今考えていることは、年を取って、体力がなくなり、畑仕事を今くらいに出来なくなった時のこと。


時間に余裕ができたとして、他に何が出来るか、何をしたいか考えてみた。


いつか、ゆったりとした気持ちで「絵」を描きたい。

美術は得意ではなかったし、興味もなく、描きたいという思いにも駆り立てられたこともなかったが、完全に「note」で絵を描いていらっしゃる方の影響。
皆、楽しそう。

わたしもいつか人生を振り替えながら、絵を描きたい。

何なら「人生」を「絵」で表現できたら楽しそう。


あと、野菜畑を義母から引き継ぐこと。

もとはといえば、夫の曾祖母が野菜を作っていたという野菜畑を、義母が引き継いだそうだ。

義母は、私が嫁いできてからも、きゅうりやナス、大根や白菜、様々な野菜を作ってくれた。

なかでも忘れられないのは、「すいか」。

わたしが一番だいすきな果物で、お腹いっぱいに食べられるのは贅沢以外の何ものでもないので、有難かった。

柿や山椒を育てるのが楽しくなって、ぬか漬けを作るのが楽しみな今、食卓に自分が作った野菜が並ぶとなると、どんな感激が待っているのだろうと、ふと想像する。


いろんな経験を踏みながら、目の前のことと向き合い、幅ができたお陰でゆとりができたから、若い頃には思いつかなかった発想が思いつく。

若い頃は、窮屈で狭く感じられた空間は、年を重ねるにつれ広がりをみせる。


「note」に取り掛かり、いろんな方との出会いがあったり、いろんな記事に巡り合い視野が広くなったのもそうだし、いま隙間時間に取り組んでいる「断捨離」も面白くなってきた。


「年寄り仕事」はいくらでも転がっているから、「畑仕事が暇になったら」「畑仕事ができなくなったら」という心配は案外いらないのかもしれない。


とりあえずは、毎日の「筋トレ」はずっとだな。
生涯現役で仕事をするために。

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