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トロフィーやボードをいただいた記事

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トロフィーやボードをいただいたときに、スクリーンショットを撮ってためていましたが、こちらのほうへ載せていこうと思います。 「スキ」をくださり、ありがとうございます。
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記事一覧

「五十にして天命を知る」

私は、昨日まで、どうしても不思議な感じに囚われていた。 今やっている作業は、柿の蕾落とし。摘蕾(てきらい)という作業。 1つの枝にできた4つか5つの蕾を、2つの枝にひとつだけ厳選して残す作業である。 プチプチプチと、人差し指と親指をつかって、ただひたすらに落としていく単調作業である。 同時に、枝に生えている余計な枝も落としてね。と、アルバイトさんに伝えている。 にもかかわらず、どうしても手が回らない不器用なグループもあるわけで・・・。 毎年だと私が二度手間だけど、

断捨離で捨てることができるもの、できないもの

相互フォローさせて頂いている、ららみぃたんさんの「だんだん断捨離」も、「第二十八弾」をむかえた。 と思ったら、昨日「第二十九弾」の記事をあげていらっしゃった。 (私が、もたもたと、この記事を書きあげている間に・・・) 昨年11月ごろから暇を見つけては、断捨離を少しずつ進めていらっしゃる。 時を同じくして、私も少なからず影響を受けて、断捨離を本格的に始めることにした。 何気なく時間に暇ができて、空いた時間を何に充てようかと考えている最中に、飛び込んできたららみぃたんさんの記

義母さん、長生きしてたらいいこともあるね。

義父が亡くなって、1カ月がたとうとしているが、義父が亡くなってからというもの、義姉や義兄が顔をみせることが多くなった。 義母がデイサービスが休みの日曜にあわせ、今のところ、義姉と義兄が代わるがわる来てくれている。 年に数回程度しか、実家に顔をみせていなかった義姉は、義父の状態が悪くなってからというもの、月に数回顔をみせるようになった。 7,8年実家に顔をみせなかった義兄は、義父の状態が悪くなったことを受けて、義父が亡くなる1カ月ほど前に、久々に顔を出した。 ふたりとも

だんだんと家族に、夫婦になれたらそれでいい。

人間だもの 感情的にもなるし、腹も立つ。 だけども、負の感情は引っ張らずに切り替えて、また普通に会話ができればヨシとしよう。 これが結構難しかった。 若い頃は・・・。 認知症の義母と生活をしていると、感情的にもなるし、腹も立つ。 いや、認知症が発症する前から、それはあったけど、家の中でも距離を置くことができたから、少なかった。 (おもいっきり距離置いてたし。) 義母の付いて出る言葉や態度に揺さぶられ、つい感情的になる。 そんな自分が嫌になり、自己嫌悪に陥る。

そして我が家から軽トラ6台分の荷物がなくなった

はじまりは、義父が亡くなったこと。 その前から、折を見て、時々自分のモノを断捨離していたが、義父が亡くなったことをきっかけに、家のモノの断捨離が随分とすすんだ。 義父が亡くなり、一週間しないうちに義姉がやってきて、「さぁ!断捨離やっていくよ!」とばかりに、義母に「いる・いらない」を聞きながら、義父のもののみならず、義母のものも断捨離がすすんだ。 時々「いらん。いらん。もう着いひん(着ない)やろ?」と容赦なく横やりを入れていく。 私はそばで、あっけにとられながらも断捨離

極楽の幸せにつつまれて

その瞬間、わたしは極楽の幸せにつつまれた。 その夜、安心して枕に身をゆだねるようにして、眠りに着いた。 まるで、私を包み込んでくれるような安定感は初めてだった。 その日は、予定急変で、夫が入院先の義父より「『救心』と着替えを持ってきてほしい」と声にならない声で電話があったから、息子と一緒にしている、消毒の仕事を変わってほしいと申し出があった。 私は、1年の農作業の中でも、最もゆっくりと自然を感じながらできる「柿の剪定」が続く日々。 夫と息子は、「山椒の剪定」をいった

毎週投稿、ここで途切れるか・・・。

「今週投稿すれば157週連続!すてきです!」 なんてメッセージがあれば、投稿せざるを得ないですね。 ここ最近、てんやわんやの数日間で、記事を書いている暇がなかったのですが、記事を書けなかったと、投稿すればいいんだ!と思い立ったこと、「投稿」をクリックすると、愛あるメッセージを下さるので、投稿せざるを得ないですね(笑) つい先日、三周年のバッヂを頂きました。 初投稿からしばらく書いたものは、妙なテンションで書いたもので、いま、読み返してもおかしく恥ずかしいので、削除した

迫りくる高齢両親の老化。夫が下した判断は。

同居している、今年92歳になる義父が、急に体調を崩したのは昨年の春のこと。 がんの延命治療の身で、ついに治療の手立てがなくなって、行きつけの診療所で頂く薬だけで生き延びている義父は、その頃を境に日に日に弱っていったが、身の回りのことは自分でこなせた。 自動車の運転は取りやめになったが、タクシーを使って行きたいところへ行くし、カップラーメンだって食べるし、まだまだ普通に会話もできた。 ただ、足腰が弱っていくさまは感じられ、家の中でも手押し車を押すようになった。 一方で、そ

天使な嫁じゃいられない

年を開けてから、義父の状態は悪くなり、義母の認知症が大きく進行して、数か月。 何かと、日常生活で、サポートが必要になったことを、つらつらと書いてきたが、湧き出る思いは、意外とライトなもので、状態も介護とはかけ離れているせいか、一歩間違えると、私って、『天使かも!🥰』と思わせる内容ばかりだった。 今現在も、「note」で介護のことについて書かれている方に比べれば、負担も軽いし、愚痴をさらけ出すには、恥ずかしい。 だけども、天使な嫁じゃいられない。 ここで、一度、どす黒い

親の老化との向き合い方。息子の立場と、嫁の立場と、孫の立場と。

先週のこと、夫は何かしらイライラしていた。 考えてみると、義両親の体調によるのかもしれない。 義父は、もういつどうにかこうにか、なってもおかしくない状態らしい。 タクシーで出歩くことが少なくなり、部屋から丸一日でてこないこともある。 だけど、その日によって、きちんと部屋からでてきて、テーブルでご飯を食べている。食欲も、その日によって違うみたいだ。 体調がよいと、以前のように夫と台所で会話が弾むこともあるようで、昨日もストーブを囲んで長居していた。 だけど、先日の、

強くなった嫁と、認知症になった義母と。

ついこの間、今年88歳になる義母がとうとう料理をしなくなったと、記事に書いた。 とはいえ、年末までは、洗濯をすること以外の、唯一ルーティーンとして行われていた家事である、料理をしなくなるのは、これから生活をしていくうえで、壊滅的な状態を進行させる気がして、しばらくしていなかった買い出しへ連れ出した。 義母は、久しぶりに料理をしようという意欲が掻き立てられたようで、実に二十日ぶり位に料理をした。 ところが、一回料理をすると満足したのか、待てど暮らせど料理を再開する気が見ら

「お金の価値感」が似ていることは、夫婦円満の秘訣?

前回は、「お金は天下の回りもの」ということで、私が夫に差し出した(あげた)独身時代に貯めたお金を元手に、その後、それ以上の価値のものを手に入れたという記事を書いたが、実は、その話には続きがある。 あのとき、私が行動に移したあと、義母がおずおずと、自分の持ち金をもってきた。「これも、使って」と。 いつの日だったか、夫があの時の話しを義父にしたとき「義母は、若い頃、そのような状況の時、助けてくれなかった」と、義父がこぼしたという。(だから、義母が隠していたお金を使ったというの

「お金は天下の周りもの」なのかもしれない。

実母も、同居している義母も、どちらかというと倹約家というところでは、共通している。 幼い頃から、贅沢はさせてもらえなかった代わりに、実両親も実に倹約家だった。 実母は専業主婦で、サラリーマンとして働く父の一馬力では、家計は厳しかったかもしれない。 お小遣いもなかったし、家族旅行は一度も行ったことがない。 おもちゃも買い与えてもらえなかったし、漫画の本なんて問題外だった。 だけど、両親も、生活の必要最低限のものを買うだけだった。 だから、何を買ってももったいないとい

義母を助けてあげたいけど、揺れるヨメの心の内

今年88歳を迎える、義母がとうとう正月を皮切りに料理をしなくなった。 もともとは、料理をしない人だった。 私が嫁いで来るまでのあいだも、冷蔵庫の有り合わせのもので、簡単な料理で済ませていたようだが、作ったり作らなかったりで、あてにならずレトルトのもので済ませることも多かったようだ。 スーパーへの買い出しは、専ら義父がしていたよう。 私が嫁いできたとき、遠慮もあって、よそから嫁いできた傍観者として眺めていたが、ご飯が炊けていたり炊けていなかったり。 おかずを作るのも、