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ありがとうマッドハウス アニメ『葬送のフリーレン』 感想

「神は細部に宿る」という言葉がある。アニメ『葬送のフリーレン』を見たときに思い浮かんだのはこの言葉だった。

とことん、細部まで拘りぬいた高クオリティな作品。〇〇がよい、というよりもすべての諸要素のレベルが高く、アニメ作品として化け物じみたクオリティの作品だと思った。こんなアニメ作品を世に送り出してくれた、マッドハウスに感謝しかない。


正直に言ってしまうと、自分は原作であるマンガの『葬送のフリーレン』はそんなに好きではない。話題になり始めたころ、まだ2巻か3巻くらいしか出てないころに、単行本を1冊買った記憶がある。そして、それ以降続きを買うことはなかった。

「淡白なマンガだな」
その一言の印象で終わった。たしかに今までの少年漫画とは違う作風を感じたものの、青年誌も含めたマンガ全体で特出すべき存在とは思わなかった。

コンセプトはわかる。魔王を倒し、勇者が年老いて死んだあとの世界。そんな世界を旅するエルフの魔法使い。すごく惹かれる設定だとは思った。だが、キャラや展開に感情移入することができない。淡々と紡がれる物語に、「イイハナシダナー」と棒読みのように思うだけで、それ以上のものはなかった。


しかし、である。
そんな自分が第一話を見たとき、ボロボロと泣いてしまった。ただ、老いたヒンメルたちとフリーレンの冒険のダイジェストのあとに、流星を見る。それだけのシーン。物語が始まって15分も経ってないアニメの1シーンにすぎない。

ここらへんからポロポロと

どんなキャラなのか、彼らがどんな物語を歩んできたのか、ほとんど知らない。なのに泣けてしまう。その後のフリーレンが涙を流すシーンよりも、自分はこちらに感動してしまった。

これって、物語としての力ではないだろう。だって、彼らがどんな人物で、何を思っているのかなんて、ほとんど分からないのだから。


アニメ作品としてのクオリティ

では自分は何に感動したのだろうか。それは、アニメ作品としてのクオリティだったと思う。

派手な戦闘シーンでもなければ、感動の場面でもない。誰も涙を流したりはせず、老人3人とエルフの少女が丘に座って星を眺めているだけのシーン。

でも、そこに至るまでの丁寧な作り込みたるや。

ダイジェスト的にその丘に行くまでの老いた勇者パーティの冒険が描かれるのだが、そのワンシーン、ワンカットの描写がよい。1枚1枚のシーンでの表情や戦い方で、彼らがどういった気持ちで冒険をしているのか、言葉を使わなくても視聴者に伝わる。コンテの作りとアニメーションが素晴らしい。

そして映像と一緒に流れるヒンメルの語り。そこに劇伴される優しい音楽。それが、流星のシーンに近づくにつれ、徐々に盛り上がりを見せていく。ハリウッド映画のような「とにかく豪華に」ではなく優しく物語の世界に寄り添って。

このあたりから視聴者は気づいてくる。冒頭の魔王を倒したあとの勇者ヒンメルたちのやり取り。老いたヒンメルを訪れるフリーレン。そこでの会話。すべては、このあとに描かれるシーンのためのものだと。

そして迎える流星を見るシーンは、1つの映像作品として抜群のカタルシスを持っている。あそこで終わっても、一作品として成立するくらいには。


作画、キャラデザ、コンテ、声優、音楽。アニメ作品を構成するいろんな要素があるけども、どれが1つだけが長けていても、このクオリティにはならない。そのすべてがトップクラスで、かつ調和が取れてないと、あのシーンは描けない。

なんだか、奇跡みたいなことだなと思ってしまう。それくらい、自分はそのワンシーンのクオリティに感動してしまったのだ。なんというか、1つの才だけでは構成されていない感じ。そして、それは今作品を通しての感想となった。「アニメ作品」としての総合的なクオリティの高さと、それを成し遂げたマッドハウスのすごさに感動したのだ。


1つだけ、抜きん出た功績をあげるとしたら。

本当にこの作品は奇跡としか思えないくらい、すべてが高クオリティだなと思う。

監督の斎藤圭一郎は、ぼざろに引き続き、またもやヒット作を生み出した。やっぱりこの人のコンテはすごい。絵コンテをうまく切るというよりは、シーンの盛り上がりどころを見つける勘所というのが、卓越している気がするのだ。

おそらく、大多数の人がフリーレンの1話を作るとき、一番の山場は、フリーレンが涙を流すシーンにすると思う。自分がもし監督になったらそうしていただろう。

分かりやすい感動ポイントではある。特に、原作を長く読んでいる人ほど、あのシーンの重大性を感じるだろう。あのフリーレンが涙しているのだ。

しかし、彼は流星を見るシーンを1話の最大の山場のシーンとして描いた。見てみると、これ以上の1話はないと思える構成だ。この思い切りの良さというか、「アニメ作品としての正解」を常に選べるのが彼の才能だと思う。


キャラデザ、作画。このあたりはさすがのマッドハウスというべき高クオリティ。なにも文句をつけるところはない。

なにげにSEも魔法の音や小さな環境音まで拘りを感じる作りで大好きだった。

声優もキャラにピッタリ。個人的には2クール目の魔法試験編に出てきたキャラたちの声が大好き。というかあいつら全員好き。


そんな中で、一番他作品より抜きん出て素晴らしいなと思うもの。アニメ『葬送のフリーレン』という作品で一番重要だったと思うもの。1つだけ選ぶとするなら、音楽だと思う。

音楽製作はエヴァン・コール。彼の音楽を意識するようになったのは、大好きだった大河ドラマ『鎌倉殿の13人』からだ。かっこよすぎるOPをはじめ、劇中曲はどれも素晴らしかった。


ふつうのアニメなら、BGMのクオリティはそこまで重要視されない。もちろん、良いほうがいいが、そこまで意識することは少ない。だが、『葬送のフリーレン』という作品においては、重要な要素だったと思う。

この作品、原作からそうだが、全体的に淡白な作品。どのキャラも、感情が動くことは少なく、淡々としたリアクションをする。主人公であるフリーレンが代表格だ。戦闘シーンですら、冷静な魔法使い同士の対決として、各キャラが大きなリアクションをすることはほとんどない。
(だからこそ例外的に人間ぽく調子に乗るアウラが人気になったのかなと思う)

そんな中で、物語に緩急を作る存在として、BGMが非常に大きなウェイトを占めていた。薄い反応をするキャラを補うように、音楽で視聴者にシーンのメッセージをしっかりと伝えていたと思う。


また、エバン・コールの素晴らしいところは、作曲家が目立とうして作った音楽というよりも、あくまでメインは作品そのものなところだ。徹底的に黒子に徹している。

視聴者に印象つけさせるのは自分自身の音楽ではなく、映像もセリフも含めたシーン全体にしよう。そんな心意気を感じる音楽になっている。だから、ぱっとフレーズが思い起こせるようなBGMはほとんどない。しかし、自分は全話を通して、ずっと「音楽が良いなぁ」と感じていた。この絶妙なバランス感覚。まさにプロとしての素晴らしい仕事だと思う。


「ただの趣味」だからこそ

監督やら作曲家やら、メタ的な部分について色々と書きすぎてしまった。肝心のストーリー部分について。

個人的に一番好きだったのは、「魔法」という技術に対してのフリーレンの態度だ。彼女は魔王を殺すために鍛錬は積んでいた。それは事実。しかし、魔王を打ち倒したあとの世界でも魔法を収集する旅を続けている。

なぜ、彼女は魔法に対してそれだけ拘るのか。それを教えてくれるエピソードが第2話で描かれる。サブタイトルは「別に魔法じゃなくたって…」
一番好きな話だ。


フェルンになぜ魔法の収集にそんなに執着するのか、そう聞かれたフリーレンはこう答える。
「ただの趣味だよ」

すごくシンプルな回答だ。もちろん、その背景には、役に立たないと思っていた魔法を褒めてくれた勇者ヒンメルの存在や、師匠フランメの存在があるのだろう。でも、根源的にはこの一言だと思う。

後のエピソードで、「ほしい魔法を1つ与えてやる」と言われたときに、「魔法は探し求めてるときが一番楽しいんだ」とフリーレンは回答する。つまり、結果ではなく過程を、魔法という存在そのものを楽しんでいる。


この答えだけでは、フリーレンの魔法への執着が理解できないフェルンはフリーレンに言う。
自分が魔法使いになったのは、魔法が好きだからではないと。
「別に魔法じゃなくたって…」
そうつぶやくフェルンにフリーレンはこう返す。

「でも、魔法を選んだ。」

いい表情

そのことばを聞いてフェルンが思い出すのは、幼い頃に魔法を使った場面。

そこには、笑顔のフェルンがいた。それを見て微笑むハイターも。どんな趣味も、執着も、別に「〇〇じゃないといけない」という合理的な理由は必要ない。「ただ好きだから」というシンプルな理由でよく、それを追い求めることでしか得られない幸せはある。

フリーレンのことばを聞いたフェルンは幸せそうに微笑む。このフェルンの表情も、諭すフリーレンの表情も、すっごく好きな表情だ。この顔だけで、セリフはいらない。こんな講釈をたれる必要もない。素晴らしい表現力だ。


趣味を純粋に楽しむことの尊さみたいなのを表したエピソード。この話を見たとき、自分も少し救われたような気がした。すごくイタイ行為だが、魔法を追い求めるフリーレンと、こうした「書くこと」を趣味とする自分を重ねてしまったのだ。

お金儲けをしたいなら。友達や周りの人からチヤホヤされたいなら。もっと良い方法はある。こうして「書くこと」に拘る必要はなにもない。でも、他者には理解できない、自分だけの「書くこと」の楽しさがある。だから趣味としてカタカタとPCに文章を打ち込んでいるのだ。

だからこそ、このエピソードが大好きなのかもしれない。第2話に限らず、ちょくちょくとこうした魔法に対しての、魔法使いたちの姿勢が描写され、それが非常に自分のツボだった。


逆張りしなくて良かった

自分は俗に言う逆張りオタクというやつで、世間から評価が高い作品ほど、視聴意欲が失せていく、面倒くさい人間。正直、原作が自分にとってイマイチだったことも含めて、この作品を見るつもりはなかった。

逆張りを発揮してスルーする気満々だったのだ。そこを引き止め、強くオススメしてくれた偉大な先輩と、素晴らしいアニメーション作品を作ってくれたマッドハウスに、改めて感謝したい。



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