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日常マンガって何だろう 『神様がまちガえる』 感想

漫画『神様がまちガえる』を読了した。作者は『やがて君になる』の仲谷鳰先生。前作は百合漫画ながら圧倒的な描写力とストーリーで超人気作となった。

そんな売れっ子作家の(連載作品としては)2作目の本作品。多くの人が百合作品を期待していたかもしれないが、描かれたのは「日常的にバグが起きる」という少し不思議な世界での、中学生と大学教授の日常だった。多くの人が日常漫画!?と驚いただろう。あなた、百合の人じゃなかったんですか?と。

でも、読み終わった後今ならわかる。仲谷先生のルーツを考えると全く違和感はない作品だったなと。むしろ『やがて君になる』のほうが異色なのかもしれない。そして、作者の個性をしっかり出しながらも、日常ものとしての一種の完成形を描ききった素晴らしい作品だと思う。


2巻でわかるこの作品の本質

1巻を読んだとき、少し残念に思ってしまったのが正直な感想だった。『やがて君になる』の完成された美しくも緊張感のある世界観を期待してしまっており、作品の持つゆるい空気にうまく馴染めなかった。

2巻を読むまでは。
2巻のラスト。かなり衝撃的な展開だった。あまりにも衝撃すぎて、すぐにnoteで記事を書いてしまった。

本作品を今から読む人は、2巻までは必ず読んでほしい。そこまで読んで合わないなと思ったらしょうがない。この作品がどういう作品か、そこに描かれている。

今作品は、シェアハウスに引っ越した中学生の「紺」と、そのシェアハウスの大家であり、「バグらない」という体質を持ったバグ研究者「かさね」の2人の物語である。

紺とかさね

正直、2巻までは年の差男女のラブコメ漫画なのかなと思ってしまっていた。そうじゃないと示すのがこの巻の最後のエピソード。主人公とかさねはなぜ出会うのか、この2人が物語の中心にいる意味とは何なのか。それが明かされるのが2巻だ。

「バグの影響を受けない人間」と対になる人間がいるとしたら。そこを考えると、確かにこれ以上にない「2人が2人でいる理由」だ。そして、この2人がバクだらけの世界でどう過ごしていくのか。それが、この日常マンガの大きなテーマである。


日常って、なんだろう

本作品はジャンル的には日常マンガになるだろう。バグが日常的に存在する世界、といってもそのバグで世界が危機に陥ったり、人が死んだりと、シリアスな展開になることはない。

でも、街の中がジャングルになったり、人間が空を歩けるようになるバグが存在する世界である。我々が住んでいる日常とは大きく異なる。なのに、読んだ時に素直に「日常マンガだなぁ」と思うことができる。これってなにげに不思議なことだと自分は思う。

何をもって「日常マンガ」と我々は認識しているのだろうか。長編ストーリーじゃなければ日常マンガになるのか。今作品も、数巻も続くような長編が展開されると、シリアスマンガとして認識するのだろうか。それとも、もっと男女の恋があればラブコメへとなるのだろうか。


どうも違う気がする。このマンガを読んでいて、1つの日常マンガの定義みたいなものを考えた。「その世界の当たり前」に対してそのマンガのキャラたちがどう思い行動するか、それを描けば日常マンガなのだ。

それが、我々の現実世界と全く同じ世界であれば、話はシンプルだ。美味しいごはんを食べることや読書。流行りの音楽やSNS。
そこがファンタジー世界になれば、それが、モンスターや魔法、勇者との冒険、といったワードになる。でも、それはその世界ではありふれた出来事やワード。そんなワードや出来事に対して、キャラたちがどう思うか、どんなリアクションをするか。それを描くのが日常マンガだと思う。


そして、この作品はそういう意味で言えば、日常マンガだ。みんな、「バグ」という存在を当たり前のものとして認識している。「ワクワクするもの」として認識している人もいれば、「便利なもの」と活用する人もいるし、「研究対象」な人もいる。

バグという「その世界の当たり前」に対して色んなキャラが反応し、日常を送る。その様子を描いているからこそ、この作品は日常マンガなのだ。そして、しっかりとバグというその世界の日常を軸に、各キャラのエピソードを描写している。

例えば、主人公と同居するシェアハウスの個性豊かな同居人たちがバグに対してどう反応するか。夜に眠れないバグが起きたとき、バイト漬けな大学生は、ここぞとばかりに深夜の居酒屋バイトを始めたり。映像クリエイターは、透明人間になるバグを利用して、映像の素材作りをしたり。主人公も、学校の友達とバグで色んなイタズラや経験をしていく。

1つ1つバグに対する反応エピソードで、各キャラの個性を描きつつ、1本のストーリーをきれいに描いている。

最終巻も、この作品らしく、かつ今までの総決算って感じで完璧な終わりだった。やっぱりこの人はマンガを描くのが上手いなぁと思った。最初は今までと毛色が違う作品に不安になったけども、これなら次回作も安心して読める。


この人のルーツとして

百合作家という印象を持っていたので、この作品が出た時には自分も確かに驚いた。でも、今回改めて『神様がまちガえる』や『やがて君になる』だけでなく、先生の同人作品も読み返した。そこで、気づいたことがある。むしろ、今作品のほうが、仲谷鳰の作品としては、違和感は少ないなと。

実は、仲谷先生はかなり多くの東方同人を作っていた。総集編も2冊でている。

しっかり購入している

東方Projectは基本キャラが少女しかいないという特殊な作品であることもあり、当然百合作品が多い。だが、百合ではない『神様がまちガえる』と共通する要素も当時から多くあった。

東方Projectも、世界観としてはファンタジーな作品である。妖怪が存在し、少女は空を舞う。そんな世界で生きる少女同士の物語を先生は描いていた。それらのエピソードのフックとしては、我々としてはファンタジーだが、その世界やキャラにとっては当たり前のことだった。

不死身だったり、吸血鬼だったり。でも、その設定そのものをとやかく描くのではなく、そうした当たり前に存在する「その人や世界の個性」をキャラたちがどう解釈し、葛藤するかを描いていた。そこに世界の滅亡やバトルはない。

何だが、不思議と同じような匂いを感じたのだ。普通の学園生活を送る女子高生を描いた前作品よりも、今作品のほうが、同じ匂いを感じた。


最終巻のあとがきで「自分的にはチャレンジだった1話完結日常もの」と仲谷先生は書いている。「百合」だけが引き出しじゃないということをしっかりと世間に示せたし、先生のルーツを感じられて、自分はこの作品はすごく好きだ。

日常マンガとして、すごくオススメです。やっぱり仲谷先生はすごいや。






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