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2度目の車中泊旅で感じたこと。

前回の投稿は、初めの車中泊を通して
「行ったことない土地に赴き、文化や営みに想いを馳せることが好きなのだ」という気づきをご紹介しました。

今回は2回目の車中泊で気づいたことを書きたいと思います。

それは、
「不安感こそが旅をより一層魅力的にする」
という気づきです。

どういうことか、その思いに至ったのかを回想していきます。

まず、2泊3日で高知の西側を巡ったのですが、一泊目の夜のことです。

夕方、梼原という村で夜ご飯と温泉を済ませて、入野海岸近くの道の駅ビオスおおがたまで車で向かうことになったのです。

梼原→道の駅ビオスおおがたのルート

時刻は夜の10時。

梼原からしばらく街灯一つない暗闇の一本道を進まないといけないのです。

対向車が来たら一発アウト。

でも対向車も夜遅くなのでいない。

当然、後ろからも車はこないけど、道の端が常に崖で、引き返すにももう後戻りは出来ない道がずーっと続きます。

イメージ

色んな怖さがあるんですよね。

引き返せない怖さ。

突然、行き止まりになって夜ずっと山の中に取り残されてしまうんじゃないかという怖さ。

獣が出てくる怖さ。

霊的な怖さ。

そんなあらゆる怖さと一緒に進み、やっとの思いで道の駅に到着。

そこでも、夜の海だし、街灯も少ないし、車中泊するってなっても完全な安全が保証されていない怖さもあります。

はたまた次の日は、日中足摺観光をして夕方から松葉川温泉という場所を目指してドライブしました。

足摺→松葉川温泉

そこでも先ほどの山道を走り、獣道を横目にしながらやっと辿り着いたのが松葉川温泉。

なぜか土砂降りの雨。

やっとの思いで辿りついた山の中の露天風呂には、他に入る人が居ない時間があります。

川に面しているのですが、夜なので見えません。

聞こえるのは屋根を叩きつける雨音。

そして雷が光ります。

露天風呂から見たイメージ

またしても、こんな山奥で閉じ込められたらどう生きるんだろう。

山で遭難するだけでも怖いのに、こんな豪雨だったら終わるだろうなという不安感。

色んな怖さがありました。


・・・


と、まぁつらつら、旅で感じた不安感を書き連ねましたが。

でも!

不安感と同時に、不思議と生きている感覚を感じるんですよね。

普段ぬくぬくと生活していたら感じることのない、大袈裟に言うと生と死を、自然の中では感じることができる。

生命の危機すら感じる場面は記憶にも焼き付けられます。

この不安感こそが、実は旅を豊かにするのではないかと。

むしろこの不安感を感じに行っているのではないかと。

凄く景色が良くて、明るくて、宮殿のようなホテルに泊まるのも凄く良いです。

ですが、常に動物の一種としての人間を感じ、恐怖と隣合わせで感じる生の心地こそ、旅の醍醐味であり、素晴らしい体験なのではないでしょうか。


皆さんにとって旅の醍醐味とは何ですか?

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