愛と憎

愛することにはいつも、憎むことが伴う。
愛することは大切に想うこと。
大切だと思えば思うほど、失うことを恐れるようになる。失うリスクを背負いたくないがために、大切に想うあまり相手に執着、固執し嫉妬や束縛、時に裏切りを感じ憎しみを募らせる。心が近ければ近いほどに、依存は深まり、関係の正常性は失われていく。
関係の正常性が失われてしまうと、途端に心の距離は離れていく。決して失いたくないと思っていたとしても、感じ方や態度を誤ると途端に一緒にいることが出来なくなる。
嫌いではないはずなのに、嫌悪感を強く感じ、じきに関心を失う。
それでも互いを尊重できれば一緒にいることは叶うかもしれないが、嫌悪感を感じるストレスに人は基本的に耐えうることができない。

またその感覚のキャパシティは人それぞれで異なる。嫌悪感を感じるまでのキャパシティも嫌悪感を感じながらも尊重しあえるキャパシティも。様々な恋愛を経験する中で自分のキャパを知っていく。恋を知り、愛を知って、その悦びや哀しみと、怖さを知る。
愛がいつも正しいとは限らない。

時には愛の気持ちを制することが必要である。どんなにその愛情を表現したくとも、そのエネルギーを放出したくとも、その気持ちが憎しみに変わらぬように、憎しみに変えさせぬように、相手の気持ちに寄り添い尊重することをやめてはならない。
自制をすることも一種の愛の表現であると知れ。

一緒にいる上で、最も重要なのは愛ではない。尊敬と尊重である。相手のことを愛することで、自制できず尊重できなくなるのであれば、それは本末転倒であると知れ。尊敬と尊重を最重要視することで、人の心の愛情はもう1ステップ高みに引き上がる。愛しあい一緒にいることを最重要目的と置くのであれば、尊敬、尊重⊇愛ではなく、愛⊃尊敬、尊重とすることを強く我が身に刻み込め。

尊敬と尊重を重要視するあまり、相手を自分から手放してはならない。時に冷めることもあるだろう、時に目移りすることもあるだろう、時に自分の愛を受け取ってくれる相手に出会うこともあるだろう。それもまた事実であり、真実だ。ただ見失ってはならない。積み上げてきた愛情と相手に対する尊敬と尊重を。自分の中にある、真実を。唯一の愛があるかはわからないが、あなたがあると信じるロマンチストであるのなら、自分の愛を見失うな。いつの世も恋の始まりは盲目的であり、気の迷いであると知れ。

そんな心持ちであれたなら、お前の愛は誰も傷つけなくて済む。お前は愛することを許される。心ゆくまで、愛の泉に身を沈めるがよいだろう。

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