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 私の作品紹介「ホームグラウンド〜私の故郷」

北陸特急サンダーバードが終着駅の大阪に着いた。
一番近いエスカレーターを探し、階上に位置する一番線を目指す。
そこは、大阪市内をぐるりと走る環状線の発着ホームだ。

エスカレーターは、実にゆっくりとした速度で、上っていくが、
せっかちの大阪人も先を急ぐわけでもなく、誰一人として列を乱さない。
その流れに、身を任せた。

中程まで進むと、水平走行の場所がある。
眺めていた時は、意味のない空間に思えたのに
何なんだろう、この心地よさって、ホッとする。踊り場の感覚だ。

のぼり切った正面には、数日前と同じ光景が横たわっていた。
広い通路を挟んで見える改札口、そのすべてが明るい光に包まれ輝いている。
まるで都会の象徴のような眩しさだ。

私が立っている横には、座り心地の良さそうな待合の椅子が、
旅人の気持ちに寄り添うように、程よい間隔で置かれていた。

そのまま、右方向へ視線を向けた。
北陸に向かう前に利用した喫茶店があった。
あの日のわくわくしていた自分が愛しい。

一番線ホームは、端に位置しているので、
辿り着くまで、全国各地に繋がるホームも見渡すことが出来た。
今まで感じたことのない思いに駆り立てられていく。
この雰囲気、空気感、何とも言えない境地になった。

この場所だ。この場所しかない。
 
やっぱ好きやねん〜
馴染みのメロディが徐々に聞こえてくる。
大阪環状線は、各駅にちなんだメロディが発車時に流れるようになっている。

JR大阪駅は、やしきたかじんの「やっぱ好きやねん」が流れる。
ひっきりなしの発車と共にリフレインするメロディは
何度も何度もお帰りなさい温かく迎えてくれるかのように聞こえた

 やっぱ、めっちゃ好きや。
私のホームグラウンドは大阪だ。ここで生きていくんだ!

故郷とは、いったい、どこを指すのだろうか。定義は何だろう?
生まれ育った場所が、故郷というのなら誰でも有りだが、
引っ越しの繰り返しで、その場所には愛着も何も湧かなかった。
兄弟がいるわけでもなく、一人で過ごす毎日から何が生まれよう。

まるで絵日記に何も書くことのない夏休みのような故郷。
いつでも避けて通りたい話題の故郷。

しかし、北陸から大阪に帰ってきた時、故郷に戻ったような気がした。
まるで、駅のホームで、嬉しそうに語る帰省客の隙だらけの笑顔。

コロナ禍に入る前に体調を崩した。
殺風景な病院と家とのシーンに彩るものが欲しくて、
体と天気の許す限り、大阪城がシンボルである公園の散歩を日課とした。

今日が昨日と巡り合い、明日に向かう、
誰とも会わない日々をただ、緑の中で過ごした。
そこは、泣いても笑っても自由に正直に、自分をさらけ出すことが出来る場所。
故郷の温もりと同じだったのかもしれない。誰よりも何よりも愛した。

大切なものは日常だ。
どんなにささやかな日常であっても
当たり前の繰り返しの中で、形成されていくもの。関わり合う何か。

大阪から離れ、再び戻ってきた時に、確かにこの街で生きていた
与えられていた特別なものを知った。

田舎臭い都会、温かくてごちゃごちゃしていて、
お節介と義理と人情と

それが私のホームグラウンド大阪なのだ。

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