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インド思想で非常に大きな位置を占めるのがヴェーダンタの考え方です。 変わりゆく政治経…

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インド思想で非常に大きな位置を占めるのがヴェーダンタの考え方です。 変わりゆく政治経済社会に行き当たりばったりやその場しのぎの巧妙な生き方ではない人生を真に願うならば、確固不動なる存在を求めこの世の変化に惑わされないような強固な生き方をご一緒に学びましょう。 東京都墨田区在住

マガジン

  • ヴェーダンダ哲学の解説を試みる

    この世の中の全体的な流れからして、変わりゆくような政治・経済や社会そして気候の状態というものを、変動が極めて激しい現代の中で、私たちがどのようにしてそのまっただ中を生き抜いてゆくかという時に ただただ行き当たりばったりだとか、そのときに応じた巧妙な生き方ということだけではない、確固不動なる信念を心に抱いてこの世の中を生きていきたいという人物にとって、まさに確固不動たる存在をどこに求めるのか?という時にこそ このヴェーダンタ哲学が提供するものを私たちが見出し日々の生活において活かすならば、重要な支えになるものだと思います。

  • 保守本流のヨーガについて

    保守本流のヨーガの系統に属するデーラナンダ・ヨーギが古くからインドに伝わる教授法であるシュラヴァナ(聴聞)・マナナ(熟考)・ニディディヤーサナ(瞑想)にて得たヨーガの技術とヴェーダンタ哲学の智慧を分かち合います。

最近の記事

苦しみの連鎖(カルマ)から解放するための智慧もしくは希望について

まずはじめに前回は、「欠乏から必要が生じ行為によって埋められない苦しみの連鎖」にて、「付託」により誤って認識してしまう「無智さ」からどのようにして「行為」とその「結果」について苦しむのかについて、ご一緒に考えてみました。 今回は、その苦しみの連鎖、つまり、カルマ(行為)から解放するための智慧もしくは希望について、ご一緒に考えてみましょう! 苦しんでいるのは誰?ここで、苦しんでいるのは誰なのか?について考えてみたいと思います。 あなたが苦しんでいるのは、あなたが誤って「

    • 欠乏から必要が生じ行為によって埋められない苦しみの連鎖

      まずはじめに今回は、「非アートマンとの相互付託」という非アートマンをアートマンとし、または、アートマンを非アートマンであると誤って認識してしまう「無智さ」からどのようにして「行為」とその「結果」について苦しむのかについてご一緒に考えてみましょう。 必要というマーヤー(幻力)ブラーフマンもしくはアートマン(真我)には「欠乏」という考えが無い。したがって、「欠乏」を補うための「必要」が生じることが無い。 しかし、上記のシャンカラ師の教説によれば、身体をアートマンであるとする

      • アートマンを知覚主体と誤るカラクリがマーヤー(幻力)を生み出している

        まずはじめに以前に「輪廻とは無明であり解脱とはその無明を滅することに他ならない」にて、付託、つまり、アディアーサ(adhyāsa)についてご一緒に考える機会がありましたが、今回は、「非アートマンとの相互付託」という非アートマンをアートマンとし、または、アートマンを非アートマンであると誤って認識してしまう「無智さ」のカラクリについてご一緒に考えてみましょう。 顔と鏡とその映像について『ウパデーシャ・サーハスリー』の訳注にて、前田専学先生は、シャンカラ師がアートマンの本性が太

        • 絶対に答えが出ない思考実験であるMatrix(仮想世界)からRealityへ

          まずはじめに前回の「輪廻とは無明であり解脱とはその無明を滅することに他ならない」を書いた後で、瞑想の熟考によって受け取ったことを文字起こししてみようと思います。 思考実験について「思考実験」という言葉自体は、エルンスト・マッハによって初めて用いられたそうです。 「思考実験」とは、読んで字のごとく「思考上で行う実験」のことになります。 現実的に不可能な条件や、倫理的に実行できない条件の実験、あるいは、ある条件を極端化した上で、頭の中の想像で実験を行います。 「仮に○○

        苦しみの連鎖(カルマ)から解放するための智慧もしくは希望について

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        • ヴェーダンダ哲学の解説を試みる
          23本
        • 保守本流のヨーガについて
          19本

        記事

          輪廻とは無明であり解脱とはその無明を滅することに他ならない

          まずはじめに今回の題名は、前田専学先生がシャンカラ思想を「輪廻とは無明であり、解脱とはその無明を滅することにほかならない。さらに言い換えるならば、ブラフマンとは別異であるという直観を捨てて、不異の直観を得ることが解脱である」と述べていることから、このテーマにて『ウパデーシャ・サーハスリー』を引用して、ご一緒に考えてみましょう。 輪廻について輪廻(りんね)または輪廻転生(りんねてんしょう)とは、サンスクリット語のサンサーラに由来する用語で、命あるものが何度も転生し、人だけで

          輪廻とは無明であり解脱とはその無明を滅することに他ならない

          混迷に陥る変幻自在な世界を作り出すマーヤー(幻力)から自由になるとき

          まずはじめにヴェーダーンダ哲学を語る上で欠かせない初代シャンカラ(アーディ・シャンカラ・アーチャーリヤ)が書いたとされる(学者さん方の間では真作であることに疑いはない)『ウパデーシャ・サーハスリーUPADESASAHASRI』から引用して、「マーヤー(幻力)」が作り出す「現象世界」の中においても寂静でいることの意味について、ご一緒に考えてみたいと思います。 シャンカラ師についてシャンカラ師(700年 - 750年)は、不二一元論ヴェーダーンタ哲学を唱えたインド最大の哲学者

          混迷に陥る変幻自在な世界を作り出すマーヤー(幻力)から自由になるとき

          神に恋する神人が観るヴィジョンとは?

          まずはじめにここのところ、ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドのヤージナヴァルキァ師がヴィデハ国ジャナカ王との謁見での対話をご紹介させていただいておりますが 今回は、私たちの内奥に潜む神人(=プルシャ=アートマン=真我)について、熟眠状態と夢眠状態そして覚醒状態のそれぞれを教説した後に触れる一節について引用します。 そして、ヤージナヴァルキァ師の二人目の妻であるマイトレイーに真我(アートマン)について言及する教説を引用し、「神に恋する神人が観る世界とは?」どのような

          神に恋する神人が観るヴィジョンとは?

          パラマハンサ・ヴィシュワナンダ師とのダルシャン体験

          パラマハンサとは?PARAMAHAMSA(パラマハンサ)とは、サンスクリット語で「至高の白鳥」という意味となり、白鳥が水とミルクを飲み分けるということから、世間のただ中にあって、真理を実現した覚者のことを古くからインドにおいて使われてきた言葉だそうです。 また、難しく言うならば、霊的識別力の象徴としてパラマハンサを意味していて、神との霊的交歓という最高の状態を達成した人に与えられる称号だと言われています。 パラマハンサと聞くと、私にとっては『あるヨギの自叙伝』で知られる

          パラマハンサ・ヴィシュワナンダ師とのダルシャン体験

          罪とは無縁の聖者について

          まずはじめにジャナカ王に授けた教説「真我を悟る聖者とは?」でブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドのヤージナヴァルキァ師がヴィデハ国ジャナカ王との謁見での対話をご紹介いたしましたが、再びその一部を引用し、聖者についてご一緒に考えてみたいと思います。 罪な行為と善き行為に心惑わされない理由!■聖者というものは… 下記にてヤージナヴァルキァ師の教説を引用します。 この教説は、前の「真我の外形たる人は、行う通りに成り、行為の通りに成る」と言った後で、例えとして、「善い行いを

          罪とは無縁の聖者について

          神人とは愛する妻に抱擁されている男が...と同じく...一切を認識しない状態

          まずはじめに今回もブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドよりヤージナヴァルキァ師とジャナカ王との対話による教説を引用して、真我についてご一緒に考えてみたいと思います。 ヤージナヴァルキァ師には、マイトレイーとカーティヤーヤニーの二人の妻がいて、マイトレイーの方は、いつも絶対者ブラーフマンについて夫と議論するような妻で、カーティヤーヤニーの方は家事をする普通の妻であったようです。 ヤージナヴァルキァ師がジャナカ王からいただいた財産を置いて遊行に出る前のマイトレイーが食い下

          神人とは愛する妻に抱擁されている男が...と同じく...一切を認識しない状態

          貴方の人生における「その仮説の実証」はやすらぎをもたらすものですか?

          まずはじめに前回は、ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドのヤージナヴァルキァ師の思想となる【これではない、これではない】として、つまり、「ネイティ・ネイティ・ブラーフマン」として、「真我(ブラーフマン)」ではないとの「否定の道」を説くジャナカ王への教説をご紹介しました。 そこで、「真我が知覚する世界」と「諸々の欲望に支配されている私たちが知覚する世界」は、まったく異なることについて少し触れました。 今回は、「知覚」=「解釈」ということに注目してみたいと思います。といい

          貴方の人生における「その仮説の実証」はやすらぎをもたらすものですか?

          ジャナカ王に授けた教説「真我を悟る聖者とは?」

          まずはじめに前回に引き続き、ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドのヤージナヴァルキァ師の思想についてご一緒に考えてみたいと思います。 前回に学びましたように真我とは客体化されないので言語にて説明することができません。ヤージナヴァルキァ師の独自思想ではなく他の思想家や哲学または神秘家と同様に「否定の道」のみが「それ(真我)」を表す方法であると考えたので、そのことを中心に引用してみたいと思います。 ネイティ・ネイティ・ブラーフマン■ジャナカ王に授けた教説 ヴィデハ国ジャ

          ジャナカ王に授けた教説「真我を悟る聖者とは?」

          貴方の内奥に住まう観照者こそ内制者であり真我である

          まずはじめに今回は、ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドのヤージナヴァルキァ師の思想である内制者(アンタルヤーミン)についてを引用して、相対的智慧(ヴィジュナーナ)にて認識する主体であるアートマン(真我)についてご一緒に学んでみたいと思います。 ブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッド■ヤージナヴァルキァ師について ヤージナヴァルキァ師は、インド哲学におけるウパニシャッド最大の哲人であり、「聖仙」とも称される古代インドの哲人となります。およそ紀元前750~前700年の

          貴方の内奥に住まう観照者こそ内制者であり真我である

          ヨーガは体と心を識別し心が霊を自認しながら生活を営む技術

          まずはじめに前回は、チャーンドギヤ・ウパニシャッドの中に記述されているウッダーラカの思想をご紹介し、続いてブリハッド・アーラニャカ・ウパニシャッドのヤージニャヴァルキヤの思想について触れる予定でしたが、その間に、保守本流のヨーガにてヨーガの技術についてのおさらいの意味でヨーガの技術に書いてみたいと思います。 1.身体と心を識別する為の観察■アーサナ アーサナとは、ヨーガの技術の中での座位と立位であり、アーサナが実習の中心となるヨーガのスタイルはインドの「伝統」にはなく20

          ヨーガは体と心を識別し心が霊を自認しながら生活を営む技術

          It's In Every One Of Us.

          まずはじめに今回は、ヴェーダーンダ哲学において代表されるような「サット・ティヤム」というチャーンドギヤ・ウパニシャッドの中に記述されているウッダーラカの思想をご紹介します。 自己の内奥にそれを見出す■ウッダーラカについて ウッダーラカ・アールニは、クル・パンチャーラ属のバラモン(婆羅門)でガウタマ家系に属し、父はアルナ・アウパヴェーシであった。クル・パンチャーラ属は中国地方すなわちガンガー河とヤムナー河の中間の平原地帯に居住していて、当時は、最も強大で文化的にも最も進んで

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          汝自身を知れ以外に求めるものは無いのだが...

          まずはじめに古代ギリシアの賢人の中で「汝自身を知れ」という格言がありますが、作者が誰であるのかは定かではないらしい。 意味としては、自分自身を理解するということは結局のところ他者をも理解するということであるから、この「汝自身を知れ」という格言は人間の行為・道徳・思考を理解するという理念を表すものと拡大解釈されることがあるとのこと。 ヴェーダーンタ哲学において、真の意味では汝自身とはアートマンつまり真我を指し、無知蒙昧にまみれて識別智を失っている個我ではない。 そこで、今

          汝自身を知れ以外に求めるものは無いのだが...