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「紫」への思い 母のエッセイ 『戦争、そして今――あの日々を、一人の女性が生きぬいた』より

 玄関を出入りするたびに、ドアの脇に置いてあるプランターを眺める。二十日ほど前、桔梗の根茎を十五株植えた。いつ芽が出るか、毎日屈みこんでは眺めていたが、なかなか出て来ない。十日程経った頃、ようやくほんの三、四ミリの可憐な新芽が土の中から顔をのぞかせた。

 小さくて、か弱げな姿。大きく育つだろうか。でも植物の生命力はたいしたもの、心配をよそに今では十五株がみな暖かい春の陽ざしをいっぱいに浴びて、すくすくと成長している。六、七月には美しい紫や白の花を咲かせてくれることだろう。

 私は色では「紫」が好きだ。静かで落ち着いた雰囲気、しかも気品がある。昔から貴人の服装に多く用いられたようだ。

 先日、奈良県飛鳥村の高松塚古墳の様子をテレビで見た。中の壁画の傷みが激しく、その保存方法が問題になっている。石室の壁には四人の女性像が描かれているが、その一番奥の女性の服の色が長年分からなかったそうだ。最近科学の力で紫色と判明したという。

 本によれば、古代から紫色は紫草という植物の根から採るとのこと。現代の科学染料とは違う美しい自然そのものの色だ。草地に自生しているそうだが、今はかなり少なく採集には苦労するらしい。根が紫色でそれを乾燥し煮出して布地を染める。

 先日やはりテレビで見たのだが、著名な染色家がこの色の再現に努力していた。かなりの年配の人で、その上病持ちとのこと。しかし病身に鞭打ち二人の息子さんの協力を得て、その採集から染め出しまでこの古代紫の再現に命を賭けている様子だった。時々身体を横にして休みながらの作業だった。なんとしてもあの色を出したいという芸術家の執念のようなものを感じて感動した。

 ようやく抽出された紫色の液の中に、真っ白な布を浸す。何回も煮出し美しい古代色に染め上げられた布が、釜の中から姿を現す。染め上がった布は淡く気品のある紫色。この布であの古墳の壁画に描かれた中国風の古代女性の上着が作られた。老染色家はさぞ満足したことだろう。

 天智、天武両天皇に愛された宮廷歌人、額田女王は“紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)”とうたわれた才色兼備の女性だった。才媛、額田女王の身に纏う衣装こそ紫が相応しいと私には思える。その美しい姿が、今でも目に浮かぶようだ。

 我が家の庭には、今、「都忘れ」がひっそりと咲いている。何年か前に植えたものだが、毎年顔を出す。四、五十センチほどに伸びた茎の先に咲く可憐な花。これも美しい紫色である。

「都忘れ」とはどこか寂しげな名前だが、この花の命名にはなにか由来があるのだろうか。この命名の謂れを語る説話を最近本で知った。

「承久の乱に敗れて佐渡に遠流になった順徳帝が、草ぼうぼうの庭に一茎の野菊が紫色に咲いているのを見つけ、『紫といえば京都を代表する美しい色だったが、私はすべてを諦めている。花よ、いつまでも私のそばに咲いておくれ。都のことを忘れられるかも知れない。お前の名を今日から都忘れと呼ぶことにしよう』と傷心の慰めにした」という話である。

 戦に敗れ佐渡の配所に流された帝が、一茎の都忘れに心を癒される。哀れの思いをそそられずにはいない話である。都忘れの名前は、やはりここから来たのだろうか。順徳帝は配流された佐渡で二十年余りを過ごされ、ついに其の地で崩御されたという。かの都忘れは、毎年春ともなれば可憐な紫色の花を咲かせて、帝の寂寥を少しでも癒すことが出来ただろうか。

 桔梗も都忘れも古くからの日本の花。赤や黄、ピンクなど洋花の明るさ、華やかさは無いが、静かで楚楚としたたたずまい、その控えめな美しさに私は惹かれる。

 私は紫の色が大層好きだが、自分の衣服にこの色のものはほとんどない。紫という気品のある色の衣服を着こなす自信はまったくないからだ。唯一の例外は数年前に編んだ鉤針編みの毛糸のベストである。これは今でも大切に着用している。

 「紫」に思いを馳せているうちにふとある光景が私の脳裏に浮かんで来た。昔、まだ若かった頃、母が紫色の銘仙の着物を作ってくれた。            

 母は私の結婚を大層心配してくれた。終戦直後父が脳出血で急死し、間もなく妹が結核で入院した時、弟はまだ小学校五年生だった。学業を中途で止め、米軍で英文タイピストとして働いていた私の将来に対して、母は責任を感じていたのかも知れない。とにかく幸せな結婚をさせたいと懸命だった。そのお見合いの時着たのが、あの、母が作ってくれた紫色の矢絣模様の着物である。見合い写真が残っている。カラーではないが矢絣模様ははっきりと映っている。両手を膝の上に重ね、着慣れない格好の和服姿でかしこまっている若い日の私。懐かしい思い出の一齣だ。

 近頃、身内、友人などの訃報を聞くことが多くなった。この歳になれば致し方のないことだ。時に話題に上るのが、死出の衣装のことである。私は昔ながらの白装束は着たくない。今、手元に一枚の黒のロングスカートがある。この上に紫色のブラウスを着よう。なんと美しい死出の衣装ではないか。紫好きの私にぴったりだ。

 夫との最初の出会いとなった記念すべきあのお見合いの日、母が着せてくれた紫の矢絣の着物に替えて、今度は私の人生最期となる日、このブラウスとスカート姿で母の許に行きたい。

 再会の時、母はなんと言うだろうか。
「はるえさん。あなた、紫がけっこう似合うじゃない」

 笑顔で言ってくれるだろうか。私の幸せな結婚を願って努力してくれた母。父亡き後、苦労をし続けて亡くなった母。そんな母に私は生前一度も面と向かって「ありがとう」と言った覚えがない。今度、母と再会した時、母にどんな言葉をかけたらよいだろうか。もう時間は残り少ない。

二〇〇六年八月一九日 執筆



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